あかりとインドのヨガ日記⑬-おやすみを言いたくない-
水色の水の感じ
瞑想、しばらく無理やってんけど、今日は久々にぐぐっとはいった気がした。
先週もちょうど4日目くらいにそうなった気がするから、だいたい4,5日で瞑想になれてくるんかな?
これまた、終わったあとにこの感覚を忘れたくないと思って全力でメモした。
昨日はひたすら質問してくるし、今日は終わった瞬間、見向きもせずに必死にノートかいてるし、この子はなんなんだって思われてるやろうな先生に。ナマステ。
今泊まってる部屋の真隣が、日本人の方がされてるカフェやねんけど、そこが15日から再会する。(今はお休み中らしくて)
その準備に来てはって、休み時間にちょっとのぞかせてもらったら、めっちゃ本があって。特別本が大好きってわけじゃないけど、うわあああ欲してた、、、って思って、すごいこう、魚に水を与えるみたいな、なんかそういう感覚になって。(文学部としてあるまじき内容と語彙力)
その後に瞑想したから、はじめは心のなかに水がひたひた落ちて、音もなくしっとり、すーーーっとつめたく?ひんやりしていく感覚やった。
水がおちるっていうのも、一粒一粒ぽたぽたって感じではなく、横一列に並んでるなにかから、5滴くらいが一気に落ちてくる感じで。
心の上のほうが横に広がっていく感覚。ひんやりしてるけど、それはネガティブな冷たさではなく、かといって草原のようなさわやかさでもないっていうそんな感じ(いやどんな)
ほんまは、先生の指示にしたがって、頭、肩、お腹、とかに意識を持っていったりとか、言われたことを意識するのがいいんやろうけど、
人の声を聴いて、それを意識するのは、私にとっては頭をつかうことやから、
それ以上に大事なのは、
今、何を感じているのか、って思ってる派やから、
完全に無視して心に集中してた。(不真面目とは言わせない)
黄緑と黄色がまざったまっちゃの薄い色?が思いついたり
何かを考えてるんやけど、考えていたという記憶はあるんやけど、瞑想から冷めた瞬間それがなにやったかわからんみたなとか。寝てないけど、寝てる?寝てるけど寝てないという感じ。
おやすみを言いたくない
小さい頃から思ってたし、今も謎に続いてるのが、おやすみって言いたくないっていう謎の感情。
もし、このまま起きれへんかったら、最後に発した言葉が「み」になるんやな〜って思ってた。そしたら、最後になんていう文字を発したいかな〜って考えて、うーん。「あ」かな。って思って、お母さんに「おやすみ」言ったあと、小さい声で布団の中で「あ」って言ってた気がする。いまだに、「おやすみ」っていうのすごい違和感ある。
たぶんこれからもずっとあるかも。なんかこう、終わる気がしてしまって、それがさみしくて、切なくて、そのさみしさとか切なさを良いと思えるほどまだ、成熟してないんやろうなと思ったり。おばあちゃんになっても、同じように思ってるかもしれんけど。
国が違うということ
国際交流サークルはいったり、なんかイベントいったり、ゲストハウスでしゃべったり。なんかいろいろ交流してきた気はするけど、今が1番本当の意味で交流してる気がする。
毎日同じ時間に起きて、一日中同じことをして、同じものを食べる生活。
文化も言葉も違うから、それぞれの人の性格が文化に由来するものなのか、それとも個人のものなのかとまどうこともあるし、きっとみんな思ってることの120%ではなく、少なくとも気を使いながら、母語じゃない言語で話してる。
相手の国の言葉を知ろうとすることが、文化を知ろうとすることが、こんなに相手に対して素敵な感情をもたらすものだとは思わんかった。
ありがとうって言われたらうれしいし、
いただきます、を覚えようとしてくれると嬉しい。
自分の国のことを話すときはみんなちょっと嬉しそうで、それでいて、一生懸命伝えようとしていて。文化が違うことはめんどくさいし、気も使うし、言葉も違うと本当に疲れる。でも、相手を知ろうとすることとか、思ってることをダイレクトに伝える、みたいなのって、やっぱりやっぱり大事なのかなあと。
そういえば、大学に入る前、「国際交流ではなく人間交流がしたいです!」みたいな感じでちょっと、なんというか、はいはい。みたいな感じやったんやけど、ここにきて、ああ〜そういうことか〜ってなってる。
家族以上に同じ生活をしていて、それでいて、年齢も国も言葉も何から何まで違う人たち。交流を目的に集まってるわけでもないから、むしろ余計に本質的な気がする。
ただそれを受け入れるということ
こわいも、嬉しいも、楽しいも、強いも弱いも。ただそれを受け入れるということ。
SLOW&EASYに。しなやかであれるのは、ぶれないものがあるから、だ。
なますて〜
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