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あかりとインドのヨガ日記⑫-2の色はオレンジ-

2の色

わたしにとっての2は、
にんじんの真ん中の山吹色みたいな黄色よりのオレンジ。

だから、2020年は基本的にいい感じやし、2月もどの色と組み合わせてもいい感じになる。2月12日の今日もいい感じの色。ちなみにこの並びやと、1は白く感じる。

身体の変化その2

昨日の疲れ、だるくて重い感じが朝も残ってて。朝の瞑想の時間と、それが終わったあとの疲労がはんぱない。というかしんどい。ねっむい。その後に、アーサナ(いわゆる動くヨガ)をするんやけど、それが終わるとちょっとすっきり。

朝ごはんは、そんなにお腹すいてなかったけど、フルーツが食べた過ぎて、マスカットをめちゃ食べた。ナマステ。

屋上での授業で太陽にあたってあったまると、身体の調子も回復してきた。やっぱあったまると、いろいろ循環して身体にいいんやろうなって感じた。

ちなみに、朝干したパンツが2時間くらいで乾いた。さすが屋上、さすが太陽。

そんな日差しの中授業受けててだいじょぶなん?って思ったそこのあなた。SORENA

TAPA

自分にとって難しいこと。
例えば、お酒が大好きな人にとって禁酒するのはTAPA。身体がかたいひとにとって、柔軟することはTAPA。他の人からみたらそうでもないことでも、その人にとって難しかったり、ちょっと乗り越えられそうな、でも大変なものをTAPAというらしい(わたしなりの理解)

お昼ごはんに、大好きなチャパティを2枚に抑えたら、「今日2枚なの?TAPA?」って言われた。そう〜〜〜〜〜!!!わたしにとって、筋トレ(ヨガのポーズがきつすぎて、アーサナと呼ばずに筋トレと呼び始めた)や瞑想よりも、哲学やマントラを唱えることよりも、何よりも大変なのは食欲をコントロールすること。

よるごはんは、チャパティ1枚にする!って自分で決めてたんやけど、みんなにTAPAだと公開されてるから、2枚目食べたくても食べれない。なるほど。これが公開ダイエットなるものか、、、。なるほど、、、。TAPA、、、。


ネガティブであること

ネガティブであることって悪いことなのかな。

悲しいこと、嫌なこと、苦しいことがあることは、それを感じることは駄目なことなのか?

瞑想がおわっていつも、ポジティブにものごとを捉えられるようになるっていう話をする先生にどうしてもどうしても疑問をもってしまう私。今日ついにもやもやが爆発したので、拙い、拙すぎる英語で頑張って聴いてみた。

私:ネガティブであることは悪いこと?ポジティブであることはもちろんいいこと。でも、ネガティブも愛したい。

先生:ポジティブもネガティブも、そこにあるということを観察する。ポジティブであっても、ネガティブであっても、あなたにそれは影響を及ぼさない。

私:でもそれって生きる意味なんなんですか?ポジティブも、ネガティブでさえも、「感じる」から、感じることが生きるだと思うから、ただ観察するだけって、じゃあなんで生きてるんですか?

先生:自分自身を見つけいれば、自分の中に自分がいる。だから、周りがネガティブなことを言おうと、ポジティブなことを言おうと、関係ない。自分は自分。だから常にポジティブでいられる。

私:うううううううん、、、。お、おっけい。

先生:人生は自分が思うようになる。だからポジティブにいれば、そうなる。

私:うううううううん、、、。それはわかるんだけどなあ。おっけい、、、ありがとうございます。

わたしなりに一生懸命話してるのが伝わったのか、他の生徒も一生懸命説明してくれる。


フランス人の彼:
例えば、自分が自分の髪型を嫌いだと思ってたら、それは嫌いな状態になる。他の人からみたら、それはなんともないことでも、自分の心が決めたことが現実になるということだよ。

Nさん:例えば、大嫌いな人がいるとする。ここに道があって、進んでると向かい側からその人がくる。そのときに、嫌だって思うのは、自分がその人を嫌っているから。その人が前から歩いて来ることに対して、喜びを感じる人もいるわけで。嫌っているということをただ観察して、自分の心を観察するということって聴いたことあるよ。


なるほど。

なるほど。

理解した。

でも幼いわたしはこう思う。

ネガティブな感情になってもよくないか?

私は自分の人生が好き。ポジティブに捉えてる。でも、ネガティブな感情になることも含めて愛せるほうが良くない?

ネガティブもポジティブもいっぱい感じてたいし、喜怒哀楽があっていいし、それが生きるって感じじゃない?って思う。自分とは何かと言われたら、感じることそのものって思ってるからなんやろうな〜

自分とは、の定義が違うから、解釈のズレが生じてるんかなあ。

ポジティブとネガティブっていう二項対立の言葉を使って説明されるからしっくりこんのかもしれんけど。

「人生は苦しい、大変、辛いことが多い。そこから脱して、少しでもポジティブに、何があってもハッピーにいられるように、ポジティブに考える。ただ観察する。」そういうニュアンスで語られることに疑問を感じてしまう。

だってそういう全部をただ達観してポジティブにみてるだけなら人間としてここに生きる意味なくない?って思っちゃう。確かに、身体があれば痛いし、しんどいし、生きてれば嫌なこともあるし、怖いこともあるし。けど、けど、でもそれは生きてるからじゃない?

ネガティブな感情を肯定、というか承認できんくてしんどかったことがある。

だから、どんな感情も大事にしたくて、どんな感情も、感じるものは全部正しいと思ってる。それが幼いからなら、たしかにそうかもしれんし、理解が足りてないからならたしかにそうかもしれん。明日になったらまた違うことを思うかもしれんけど、少なくとも今はそう思う。

先生に一生懸命説明しようとしてるとき、アツくなって泣きそうになった。どーでもいいとか価値観の違いとか、理解のなさとか、いろいろあるかもしれんけど、その時の感情は自分にとって、それだけ「感じる」ことが大事なのかを物語ってた気がしてる。

きれいとは傷跡がないことじゃない。傷さえ愛おしいという奇跡だ〜って歌詞あるけど、

そうやと思うねん。傷は傷やもん。傷は痛いし、ネガティブやし、それを無理にポジティブなものに思う必要はないと思う。でも、ネガティブでも、それを無理にポジティブにせずに愛おしいって思えたら、こう、なんといか、まるっと受け入れられるあったかさが生まれる気がするんやけど、どうでしょうか。

SNSデトックスとインディアンガイズ

今日はSNSデトックスするぞ〜〜と決めて。そしたら、思ったより時間が生まれて。なるほど、細かい時間を無駄にしてたんやなって思った。

夜に1時間、部屋にこもるのもあれやし、って思って近くのカフェに日記書きに行ったんやけど、3人のインドの若者がいて、ギター弾いて歌ってて。

生演奏聴きながら日記を書けるなんて最高〜〜って思ってしばらくしたら、一緒に歌う?ってなって、ドラえもんの曲を弾いてくれたり、いろいろ弾いてくれて。なんでも歌ってみて!あわせるから!ってゆって弾いてくれるねんけど、若干音がずれてるのがたまらんおもしろくて、ごめん、、、私が悪いんかなってなった。ナマステ。

ギター弾いてなかった人はグラフィックデザイナーしてるらしくて、最初からカフェにいた同じ生徒の人とわたしの絵を描いてくれた。

かわいい〜〜〜!!

ちなみに、お昼休み、みんなすごく真面目やから、勉強したり本読んだりしてる。

わたしもすごく真面目やから、その横でチャイ作ってる。
現場からは以上です。ナマステ。


世界に色が増えるように、色ペン1本購入します。