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あかりとインドのヨガ日記⑮-鼻から口から-


今日は内容が多くなりそうなので

①今日の出来事編
②感性編


の二つに分けてみようと思います。

①今日の出来事編

鼻から口から

鼻から直径3mmくらいのゴム?をいれて口から出すというカオスすぎて本当に目も当てられないことを先生がしだした。

浄化する方法の一つらしくて、みんな挑戦してたし、2人くらいの人はできてた。

待ってほしい。まじで待ってほしかった。

もう、みんな普通にええ〜!みたいな感じで先生の周りに集まってみてるんやけど、私は1人、輪から5mくらい離れたところで、ドン引き。
無理すぎる。ほんまに見れへんかった、こわいこわい。足の力が完全に抜けた。やばすぎるやろ〜〜て。

これからできひんこともたくさんあるやろうし、悔しいと思うこともいっぱいあると思う。できるようになりたいことも、挑戦してみたいことも、ただやってみたいこともたくさんあるやろうなと思う。

だが、しかし、

これだけは一生やりたくないと思った。そんな土曜日の朝。今日もヨガの1日が始まります。


疲れた〜

さすがに、6日連続ともなると疲れる。
一週間の身体と心の変化としては、

慣れずに疲れる→慣れてくるから楽しくなる→疲労がたまって疲れる
って感じなんやなと改めて実感。

普段、大学の生活してたら、4年にもなると今日が何曜日かとかいう一週間の体感?がないから(怠惰)なんというか、こう、生活してるって感じ。


最後の哲学

哲学の授業が最後やった。話が長すぎる先生。話が飛ぶ先生。
最後なので、インドでよく見るオレンジのお花の首飾りをラジェンドラ先生が渡したんやけど、その儀式みたいなののときに、「あかり歌う?」って言われて、前に召喚されてしまった。

マントラの歌詞?(歌詞とか言ってる時点でなんか違う)さほど覚えてないけど、音楽の授業やと思ってるから、いつも全力で歌う(唱えてほしいそこは)のをラジェンドラ先生が気に入ってくれてて。

おお〜まじか。どうしよう、こんなヨガの長みたいな人を前にわたし歌うんか、、、と思ったけど、一応しっかり歌っておいた。なますて。

なますて〜って言ってからまた話始まって、
ありがとう〜ってなってからまた話始まって、
次のクラスの先生ももちろん来てるけど、
無限に帰る帰る詐欺を繰り返す先生。

ラジェンドラ先生も、食い気味で先生が話す内容に相槌いれて、アピールするが伝わらない。

次のクラスの授業の先生はまだ20歳の若い人やから、この人にとったら、哲学の先生は師匠の師匠くらいの人やし、あんま文句とか言われへんねやろな〜と思いつつ。

20歳の先生に「帰りそうになって、話すっていうのめっちゃ繰り返してたね〜」って言ったらおっきい口あけて大爆笑してた。めっちゃ嬉しそうに。20歳って感じ。いいぞいいぞ。

この20歳の先生、サガール先生は、本当に細いし骨と筋肉しかないし、まじで体脂肪率5%とかやと思う。一つ説明するたびにOK?OK?って聴いてくるねんけど、求められることが多すぎて頭ではOKやけど、全然OKではない。

わたしはこのクラスを筋トレと呼んでいます。

20歳やのに、30代や40代の外国の人に、英語でヨガを教えるってすごいなあって思う。

ダンスの時間
いつも瞑想する時間に、今日はダンスの先生がきた。
暗闇の中、目をつぶって流れてる音楽に身を任せておどるっていうなかなか不思議な体験。絶対目開けたあかんな、、、って思いつつ、壁にぶつかりそうになったときに、目あけたら、みんな揺れてていい感じやった。

その後に、ひたすら音楽かけて円になって踊ったんやけど、もうめっちゃ疲れた〜〜、楽しい、息切れ、疲れる、って感じで、一週間の締めくくりって感じやった〜。

確かに、座ってじっと目をつぶって瞑想してるより、何も考えずにひたすら踊ることに集中してたから、よっぽど瞑想的な効果が合ったのではないかと思う。

②感性編

昨日くらいから、音とか今の気持ちとかをイメージで捉えやすくなりつつある。というか、多分今までもずっとそうやったけど、それを意識し始めたっていうほうが近いかなあ。

例えば、ダンスの先生の唱えるマントラの声は紺色と青色が混ざったつるつるの石を下から上にきゅいいいんってなぞる感じの感覚?というかそういうのが目にうかんだ?心に浮かんだ?って感じ。

シャバーサナ(寝っ転がるだけのポーズ)のときに流れてた音楽は草原やったけど、その中で、木とか動物?とか、なんというかライオンキング。うん。ライオンキングやった。(説明を諦めがち)


気持ち


人に対して、嫌やって感じる気持ちって、その人に自分自身の嫌いな部分をみたり、自分の弱さを見るからっていうことが多いと思うんやけど、それも、それだけじゃないかって思えてきた。

嫌なオーラを感じたり、うううっていう圧迫感を単純に感じるってだけのこともあるねんから、すべてを納得させるのとか、自分につなげて反省?するのやめようと思った。そういうこともある。そう感じるんや。


それがすべてで、ただそれだけのこと。


哲学の授業で(聴いてないなりに考えてるな私、えらいぞ)いつも「真の自分」とか、「Who am I, What I am」みたいな話が出る。

その真の自分を見つけることこそ知識だみたいな話があるねんけど、なんで、真の自分が存在することが前提で話が進んでるんやろうって思う。
というか、すべての話そうよなあと思う。前提をどこまで信じるか、というべきか。

何かを教える、とか、伝えるってなるとそこにその「何か」が存在することが前提になる。でも、そもそも夢かもしれないこの世界で、みんなは何をこんなに学んでいて、何をこんなに語ってるんやろうって思ってしまった今日の授業。

Free from deathって言ってるけど、それはdeathの存在を肯定しているということではなかろうかって思うし、そもそも、じゃあなんでfree from death が死を恐れることより良いとされているのか、いや、別に良しとされてるわけではないのか、、、。

ただ全てはバランスで、死への恐怖と同時に、そこから自由になるという心も持ち合わせるっていうバランスなんかな、、、。

はいもうどう頑張っても全部STAR WARSに思えてくるので、映画を観たほうが勉強になりそうです。


つっかれた〜〜〜なますてなますて。


世界に色が増えるように、色ペン1本購入します。