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特集展示「修験と密教の美術 祖師とみほとけ」半蔵門ミュージアム / 美術館ルポ・高橋伸城

ヘッダー画像:「役行者絵巻」第7段

 特集展示「修験と密教の美術 祖師とみほとけ」を開催中の半蔵門ミュージアム(東京・千代田区)――。同館を訪問した美術ライター・美術史家の高橋伸城たかはしのぶしろ氏のルポを掲載する。

運慶作と推定される「大日如来坐像」

 2008年3月18日、クリスティーズ主催のオークションに一体の仏像が出品された。平安時代の終わりから鎌倉時代の初めにかけて活躍した仏師・運慶うんけいの作と推定される「大日如来坐像だいにちにょらいざぞう」。大手百貨店を通じて落札したのは、真言宗の流れをくむ宗教法人の真如苑しんにょえんだった。日本の古美術としてオークションの最高額を記録したこともあって、ニューヨーク・タイムズやロイターなど、国外のメディアでも大々的に報じられた。

 この「大日如来坐像」が日の目を見るようになったのは、今世紀に入ってからだ。2003年の夏、東京国立博物館に勤務していた運慶の専門家・山本勉やまもとつとむ氏のもとに、ある個人から仏像の調査依頼が届いた。

 秋に実物を見た氏は、東京文化財研究所にX線による撮影を依頼し、その結果を踏まえて翌年の春に論文を発表。栃木県足利市にある光得寺こうとくじの像と様式や像内の納入品が極めてよく似ていることから、作者はおそらく運慶であり、さらに建久四年(1193年)、光得寺からほど近い樺崎寺かばさきでら堂宇どううに安置されていたと史料に確認できる「三尺皆金色金剛界さんじゃくかいこんじきこんごうかい大日如来像」に当たると推測した。

 同像が国の重要文化財に指定されたのは、クリスティーズのオークションで落札された翌2009年のことである。

「大日如来坐像」

「大日如来坐像」を所有する真如苑は、その他の所蔵品も含めて一般に公開するため、2018年4月に半蔵門ミュージアムを設立する。場所は、皇居を囲むほりから250メートルほど西へ入ったところ。2022年、3代目の館長に就任したのは、山本勉氏だった。


図画を借りなければ、伝えられない

 同館の展示は、大きく常設展示と特集展示に分かれる。常設展示を構成する2つのテーマのうち、「ガンダーラの仏教美術」は2~3世紀の仏像やレリーフ(浮彫うきぼり)を扱う。ガンダーラとはかつてのパキスタン北部を指す地名で、東はインド・中国、西はギリシャ・ローマの文化と接していた。大乗仏教の勃興からほどなくして、ここで仏像の造立が始まったと考えられている。

 釈迦の前世から誕生、入滅までを順番にたどる7つのレリーフの中で、「初転法輪しょてんぽうりん」には初めて説法する姿がかたどられている。台座に掘られた車輪は、仏の教えがどこまでも広まっていく様を、またその左右に腰を下ろす2頭のシカは、この場所が鹿野苑ろくやおんであることを示している。集まった聴衆を見ると、体ごと釈迦に向けて熱心に聞き入る者もいれば、驚いて顔を見上げる者、呆然と視線を泳がせている者もいる。

 石に彫られた釈迦の口元から、声は聞こえてこない。代わりに、その声に耳を傾ける人たちの各々に異なる表情が、説法に形を与えている。

「初転法輪」

 もう1つの常設展示「祈りの世界」では、密教に関する作品が取り上げられる。先述の「大日如来坐像」は真言密教の教主。透過率の高いガラスケースに収められ、光の反射を気にせず鑑賞できるよう工夫が施される。すぐ横の壁には、やはり密教に欠かせない胎蔵界たいぞうかい・金剛界の両界曼荼羅まんだらが掛かる。

 日本に密教を伝えた空海くうかいは、中国で師事した僧・恵果けいかの言葉として、「真言秘蔵の教えは経典や注釈書に隠されていて、図画を借りなければ、伝えることはできません」と書き残した(『請来目録しょうらいもくろく』)。同時に自らの言葉として、図画に「密蔵みつぞうの要」があるとも述べている。

 文章で伝えきれない要素を埋め合わせるという意味で、本来は補助的な位置づけにあったはずの絵や像が、それにもかかわらず中心的な役割を果たしていった。図画に託されたこの二重性のもとに、密教の美術は発展したと言えるだろう。

「両界曼荼羅」


〝巡る〟美術館

 一方、特集展示は「修験しゅげんと密教の美術 祖師とみほとけ」と題される(会期は2023年7月9日まで)。古来、日本で神聖な場所とされていた山野に入り込んで、不可思議な力を身につけようとする者たちが現れた。彼ら修験者の祖とされるのが、半ば伝説を帯びながらも飛鳥時代に実在したと考えられる役小角えんのおづぬ役行者えんのぎょうじゃ)である。

 12世紀頃から制作されていた役小角の彫像や絵像は、江戸時代に勢いを増して広まった。それは、登山の習慣が一般の民衆にまで浸透するのと軌を一にしている。「役行者絵巻」も、修験道が大衆化するさなかで描かれた。今回の展示では詞書ことばがき8段、絵7段のすべてが陳列されている。

「役行者絵巻」第2段

 同じ江戸中期に描かれた役行者絵巻には他にもいくつか類例があるが、半蔵門ミュージアムが所蔵する一巻の特徴は、なんといってもユーモラスな描写にある。

 たとえば、役小角が箕面みのおの滝で龍樹りゅうじゅ菩薩と対面する第2段。滝壺から跳ね上がるしぶきに立って真言の奥義を授ける龍樹菩薩は、かすかに頬を赤らめている。

 また、役小角が吉野山で金剛蔵王こんごうぞうおう菩薩と出会う第3段では、雲の上でポーズを決める菩薩がまるで見得みえを切っているようだ。

「役行者絵巻」第3段

 修験道と密教は深く関わっている。そもそも、役小角その人が道教や密教に由来する呪術を実践していたと見られる。また、山林での修行が一時的に途絶えたとされる平安時代には、空海の孫弟子である聖宝しょうぼう理源大師りげんだいし)という僧が再興に励んだ。この聖宝が京都に創建したのが、のちに真言宗醍醐派だいごはの総本山となる醍醐寺だ。

 しばらくのちに醍醐寺は、俵屋宗達たわらやそうたつ屛風びょうぶを献じ、狩野探幽かのうたんゆうが座敷絵を描き、尾形光琳おがたこうりんが能を演じる舞台にもなっていく。筆者はこれら絵師たちを法華信仰の観点から研究してきたが、現代で当たり前とされる「宗派」の境界を、はるかに自由にまたいで、造形的な実践がなされていたことを改めて思い知る。

「理源大師像」

 半蔵門ミュージアムを設計した建築家の栗生明くりゅうあきら氏は、同館を美術館であると同時に「祈りの場」と捉え、〝巡る〟をキーワードに据えた。イスラムのカーバ神殿や修道院の回廊、仏教の遍路などをヒントに、特定の宗教を超えて、祈る人たちに共通する行為に注目したのだ。

 地下の展示室は縦35メートル、横10メートルほどの縦長の構造になっており、中央の壁を挟んでコの字形に巡るように順路が設けられている。

 一番奥にある「大日如来坐像」のところまで歩いてきて、正面から横へ周り、後ろに立つ。寺にまつられていた当時は誰も拝むことがなかったであろうこの美しい背中を見て、材木に仏の姿を彫りつける作り手の祈りを感じた。


画像提供:半蔵門ミュージアム


〈展覧会概要〉
特集展示:「修験と密教の美術 祖師とみほとけ」
会期:2023年3月22日(水)~7月9日(日)
開館時間:10時00分~17時30分(入館は17時まで)休館は月曜日・火曜日
観覧料:無料
交通:東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」4番出口を出てすぐ左 
問い合わせ先:03-3263-1752


〈参考文献〉
石井公成『東アジア仏教史』(岩波書店、2019年)
石川知彦/小沢弘[編]『図説 役行者 修験道と役行者絵巻』(河出書房新社、2000年)
末木文美士『日本仏教入門』(角川学芸出版、2014年)
鈴木正崇『山岳信仰 日本文化の根底を探る』(中央公論新社、2015年)
正木晃『空海と密教美術』(角川学芸出版、2012年)
山本勉「新出の大日如来像と運慶」(『MUSEUM』589号、2004年)
山本勉『大日如来像のひみつ』(半蔵門ミュージアム、2022年)
『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』(朝日新聞社、2017年)
『弘法大師 空海全集 第二巻』(筑摩書房、1983年)


高橋伸城(たかはし・のぶしろ)
1982年、東京生まれ。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。著書に『法華衆の芸術』(第三文明社)。


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