インタビュー「日本人の死生観と、その変遷」佐藤弘夫(東北大学名誉教授)
聞き手:菅井理恵
インタビュー写真:宍戸清孝
日本人特有の死者とのかかわり方
―― 死生観に関心を抱くきっかけはあったのでしょうか。
佐藤弘夫 小さい頃は身体が弱くて、「長くは生きられない」と言われるほどでした。小学校の低学年の頃は学校にもろくに行かず、家で横になっているだけ……。そうすると、小さいながらに、不安ではないけれど、自分が違う世界との接点にいるという感覚が非常に強くなりました。
今、自分が生きている世界=現実世界があるけれど、それではない、もうひとつの世界があって、自分はそこの間を漂っている――。元気になるとともに、そういう感覚もなくなっていったのですが、年を重ねるなかで、改めてもう一度、学問的に取り組んでみたいと思うようになりました。
面白いのは、死んだあとのことは誰も知らないはずなのに、死後の世界を考えない民族や地域、国はないことです。何らかの形跡が必ずあるんですよね。だから、死者がいなければ人間は生きていけない、やっぱり人間は死者を必要とする存在だと、私は考えています。
―― 日本人の死生観はどのような特徴をもっているのでしょう?
佐藤 日本人の死生観は時代によってかなり変化していますが、死者とのかかわり方が非常に濃密ですね。死者の側の能動性が非常に強い。だから、死者を追悼する儀式でも、死者は生きている人に一方的に何かをしてもらう存在ではなく、一緒に何かをする感覚です。
私たちはお盆になると、お弁当と飲み物を持って墓地に行きます。例えば、韓国でも墓地でお弁当を食べることがありますが、日本では死者の分もあって、死者と一緒に食べる。
死者を家に連れ帰る習慣もありますし、生と死が非常に強くつながっていて、その境目が非常に曖昧です。そういう曖昧な世界を儀式で経験することによって、死後の行ったことのない世界への不安を払拭する。死と折り合いをつけていくわけです。
―― 同じ仏教のベースがある東アジアのなかでも、違いがあるのですね。
佐藤 よく仏教の影響だと言われますが、むしろ私はその地域ごとの世界観がベースにあるのだと思います。日本列島には縄文時代以来、万物のなかに精霊の動きを感じ取る伝統がありました。それが長い時間をかけて日本人の信仰の根底を形づくってきたのでしょう。
例えば、浄土教が入ってきたことで、死後、浄土に行くという信仰が盛んになったと言われていますが、そうではなく、日本のなかで、目に見えない世界のイメージが膨らんでいるところに仏教が伝来し、仏教の言葉を借りて理論化していったのだと考えています。
中世は「現世を越えた救済」や「理想の世界を求める」など、仏教が本来もっているものを受け取れる土壌が初めてできた時代であり、だからこそ、鎌倉仏教が出てきたのでしょう。
来迎図に表れる日本人の死生観
―― アジアの国々との違いという意味で印象に残っていることはありますか。
佐藤 鎌倉時代は、幸福な死者はこの世にいてはならず、私たちが認知できない世界に行くことが理想です。代表的なのは、浄土信仰の極楽浄土ですが、日蓮宗の霊山浄土など、それぞれの宗派でそれぞれの浄土のイメージがあり、一番の理想は浄土からお迎えが来ることでした。
その様子を描いた来迎図が日本だけではなく、韓国にも残っています。ちょうど12~13世紀頃の高麗の来迎図は、お迎えに来た仏が画面いっぱいに描かれています。仏だけがクローズアップされていて、それ以外、何もないのです。
一方、日本の来迎図には自然の景観が描きこんであります。仏は山に現れるのですが、紅葉が色づいていたり、鹿が遊んでいたり……。本来、この世界は執着してはいけない穢土であり、早くこの世界を切り上げて浄土に行くことが理想なのですが、それでも、きれいな場所をこの世とあの世の接点として設定しているのですね。
前著『人は死んだらどこへ行けばいいのか』(興山舎)には、私が実際に訪れた、この世とあの世の接点になるような場所が多く登場します。非常に景色が良くて、見晴らしが良くて、「ああ、ここから(死者は)空に向かって飛び立つのか」という場所が多いですね。地獄は、割と閉じられた世界ですけれど(笑)
―― 『人は死んだらどこへ行けばいいのか』の続編として刊行された『激変する日本人の死生観』には、現在放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」で話題の紫式部も登場します。『激変する~』を読んで、中世に「紫式部が死後、地獄に堕ちた」という風聞が広まったことを初めて知りました。
佐藤 私たちは紫式部や清少納言、小野小町など、有名な女房の活躍の様子を知っていますが、大概、晩年のことは分かりません。まもなく刊行予定の第3巻では、小野小町が行き倒れになって亡くなったという京都の「小町寺」が登場しますが、大体、みんな貧乏になって行き倒れになります。挙句の果てに最後は幽霊ですよね。
なぜ、そんなふうになるのか……。ひとつには、やっぱりその方が面白いからです。
―― ゴシップみたいに(笑)
佐藤 中世になり、鎌倉仏教の世界になれば、一瞬にして救ってくれる仏のイメージが確定するので、生きているうちに仏の力によって救済が確定します。でも、それ以前の世界では、そこまで仏に任せきることはできないので、生前から死後に至るまで本人も周りの人たちも祈って、救済の世界に行けるように一生懸命後押しするわけです。ですから、紫式部も含めて、なかなかケアしてくれる人がいないと、救われずに地獄に堕ちたという話が多くなってきますよね。
死後は未知なる闇の世界?
―― そう考えてみると、今は死後の世界について考える機会が極端に少なくなっているように思います。
佐藤 死後の世界が実際にあるかどうかは別にして、生と死を貫くストーリーがなければ、大方の人は安心できず、安定した人生を送ることができません。そのストーリーのなかで非常に重要な役割を果たすのは死者であり、仏であり、神であり……人間ではない存在です。
近代は、この世界から基本的に人間以外のものを追い出した時代だと思っています。だから、人間だけが地球における特権的な存在になってしまい、傍若無人な振る舞いを抑止するものはなにもなくなってしまいました。そのおかげで、私たちは裕福で満ち足りた生活を送れるようになった一方、世界各地で異常気象が相次ぎ、ナショナリズムが台頭し、国際的な紛争が頻発しています。
神や仏や死者は、人と人の間のクッションになっていました。そうしたものを追い出すことによって、生と死の世界が完全に断絶してしまう時代になっているように思います。私はあまりドラマは見ませんが、死後の世界がおどろおどろしい世界として描かれている様子を垣間見るたび、死後の世界が未知なる闇の世界へと姿を変えつつあるようで危惧しています。
―― 他の国でも時代とともに死後の世界に対する考え方が変化しているのでしょうか。
佐藤 ずっと昔、韓国で講演を頼まれて、幽霊の話をしたことがあります。日本の幽霊について話をしたら、終わったあとで韓国の先生がつかつかとやって来て「先生は幽霊なんて信じるんですか?」と真顔で聞かれました。
それが今では、韓国ドラマに悪魔の使いや死後の世界がたくさん登場します。安定的な世界観や死生観が失われたことで、死後に対する不安が表れているのかなと感じています。
―― 現代人はどのように死後の世界と付き合っていけばいいでしょう。
佐藤 この急激な変化が、どこかで人々の不安につながっているような気がします。人間は死者や聖なるものがなければ生きられないはずなのに、それを強制的に排除するような考え方は、あまり正常とは言えないのではないでしょうか。
私たちがこの時代に、ここにいること。それを意味あるものにするためには、ただ一緒に同じ空間で同じ呼吸をしているだけで、その相手を尊重しなければいけない。それは人間だけではなく、この世界を分かち合っている、ほかの無数のものたちに対しても――。
草木供養塔と呼ばれる石碑には、しばしば「草木国土悉皆成仏」という言葉が刻まれています。人間だけではなく、自分と違うものであっても、それらが発するメッセージに耳を傾けられるような余裕がほしいですね。そうすることで、国境や民族、宗教などの違いを越えて連帯や共感を求める心が生まれるような気がします。
―― そうした意味でも、霊場を実際に訪ね歩くことは、今を生きる私たちにとって意味のあることですね。
佐藤 そうですね。やはり実際に歩いて触ってみることが大事です。私は山が好きで、春になると北泉ヶ岳のブナの森に行きます。誰もいない見事な森で、ブナの声を聞く。そうしていると、私たちの周囲にある小さな〝カミ〟の眼差しを感じ取れるようです。
―― 『激変する日本人の死生観』は旅行記にもなっているので、あの世とこの世をつなぐ手引書としても活用できますね。わたしも先人たちの死後の世界を覗いてみたくなりました。きょうはありがとうございました。
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