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アジアビジネス入門65「令和版<山谷ブルース>とインバウンド」@地域再生を考える(4)

都内屈指の居酒屋「丸千葉」に向かう


 目指す台東区の居酒屋「丸千葉」は都内屈指の名店と太鼓判を押す。「下町酒場巡礼」(2001年、筑摩書房)「下町酒場巡礼もう一杯」(2003年、同)の3人の著者の一人、宮前栄氏=ペンネーム=の弁である。宮前氏は古くからの知り合いで労働問題などを担当するベテランのジャーナリストだ。今も首都圏の通信部で現役を貫いている。
 宮前氏とは上野からバスで吉原大門に向かい、そこから歩いて、かつて山谷(さんや)と呼ばれたエリアに踏み入れた。

インバウンドの街に変貌する「山谷(さんや)」


 「昔は日雇い労働者の街も、今じゃインバウンド(日本に来る外国人観光客)で溢れている」。宮前氏の話を聞きながら、辺りを見渡すと、「全室個室、宿泊代¥2,250」と書かれた宿屋が並ぶ。

 今日の仕事はつらかった♪
 あとは焼酎(しょうちゅう)をあおるだけ♪
 どうせ どうせ山谷(さんや)のドヤ住い♪
 ほかにやることありゃしねえ♪

 高度成長期の昭和ニッポンで、フォークの神様、岡林信康が歌っていた「山谷ブルース」。もはや歌に込められた情感や思いが感じられないほど時代は遠くに過ぎ去ってしまった。なるほど、令和の山谷は外国人から見れば、リーズナブルで、程よく下町感があって居心地の良さを感じられる場所なのだろうか。
 そんな感慨にふけりながら、山谷の街を進み、しばらくすると居酒屋「丸千葉」に着いた。

下町酒場巡礼と大衆の意味


 「下町酒場巡礼もう一杯」には「丸千葉」がこう書かれている。
 <山谷で夜、ホームレスの人たちが集まる場所に『いろは商店街』がある。アーケードが付いていて雨や寒さがしのげるのだ。この近くに『丸千葉』はあった。(中略)外見は目立たないが、中は広々としてコの字のカウンターにテーブル席。くすぶった古さのこれまでの路線とは違うが、実にくつろげるのだ>
 予約席につくと、宮前氏は顔なじみのマスターと話しながら刺身や焼き魚、それにレモンサワーを頼んだ。お店は常連のお客さんであふれ、妙に落ち着く空間だった。
 宮前氏は「下町酒場とは大衆の居酒屋である」としみじみと話す。山谷と同じく大衆という言葉が使われた時代もすでに遠くに感じられるが、なぜか宮前氏が大衆を語るとその意味が伝わるのは労働問題などの取材で弱者に寄り添ってきたジャーナリストの生き様ゆえか。

消滅する<昭和的なるもの>と令和の再生


 「下町酒場巡礼」には46店、「下町酒場巡礼もう一杯」には42店が紹介されているが、出版から20年が経ち、残っている酒場は2割程度だという。資本の論理を持ち出すまでもなく、夫婦経営で高齢化し後継者もいない中で事業承継できずに消滅する下町酒場。しかし、令和の時代、山谷という地域がインバウンドで活性化しつつあるように、大きな暖簾、太い文字、縁が丸くなったコの字のカウンターが練り上げてきた大衆の居酒屋が新たな客層の巡礼地として再生されることを願っている。 


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