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Withコロナ時代のアジアビジネス入門㊸「マザーテレサと<古楽>の響き」@札幌「テレサの森」物語(1)

園芸療法士と一級建築士の出会い
 この物語の舞台は札幌市南区真駒内郊外の700坪の自然豊かな傾斜地である。札幌芸術の森から車で5分ほどの距離にある傾斜地の景観は木々で囲われ「緑の癒し空間」と呼ぶのに相応しい。
 所有者の石山よしのさんはマザーテレサを尊敬する園芸療法士だ。これまで看護教員、看護管理、医療コンサルタント、私立看護専門学校副校長など看護医療の道を歩んできた。
 <自然の癒し空間と位置づけた自然環境のもと、「わたしの庭」(仮称)として敷地全体や屋内外、半屋外環境を多目的に積極的に利用していただきたい>
 2020年8月に石山さんと出会った一級建築士の畠中秀幸さんは、石山さんの構想に共鳴してマザーテレサの人生に準(なぞら)えて「テレサの門」「テレサの壁」「テレサの道」「テレサの家」を地形に寄り添うかたちで配置して表現したいと<山全体の構想>をデザインした。「テレサの家」中央部には石山さんの知り合いのアーテイスト、小助川裕康さんが「テレサの像」を造ることになっている。
 <山全体の構想>こそが「テレサの森」プロジェクトである。
「おお、おとめなるマリアよ」
 2021年の夏、ポリカハウスに屋根がつき、「テレサの家」の輪郭が見えてきた。10月10日にはプロジェクトのメンバーが集まり、「テレサの家」の床貼り作業に汗を流した。作業が終了した後、中世音楽のアンサンブル活動を続ける宇治美穂子さんと大伴やよいさんの美しいハーモニーと心に響く歌声が「テレサ森」に響き渡った。
 曲名は「おお、おとめなるマリアよ(O Virgo splendens)」。
 14世紀頃、巡礼地の一つだったスペイン・バルセロナ郊外モンセラート山の、黒い聖母像で知られるモンセラート修道院に伝承された宗教文書の写本「モンセラートの朱(あか)い本」に聖母マリアを讃える歌が10曲収められ、その1曲目が「おお、おとめなるマリアよ」である。
 いたるところに奇跡があるこのモンセラート(のこぎり山)には、
身分を問わず、世界中の巡礼者が登りに来ます♪
 聖母マリアの慈悲深く穏やかな眼差しで、
罪の縄に縛られ地獄で鞭打たれる者らが苦しむことなく、
あなたの祈りによって、
祝福された者らとともに、天に呼び寄せたまえ♪

 宇治さんは高校、大学と音楽コースを専攻した。2013年に山梨県で行われた都留音楽祭に参加し、そこで大伴さんと出逢い、本格的に中世音楽の勉強と演奏を始めることになった。
 床貼り作業には何人かの音楽家が参加した。そのうちの一人、石山さんの長男、賢伍さんは宇治さんの幼なじみだ。賢伍さんはバロック音楽の演奏家で2012年にフランスに留学し、2018年までの約6年間を欧州の文化に触れながら音楽を学んで帰国した。プロジェクトの協力者には、賢伍さんが渡仏後、一時帰国の際に何回か練習に参加させてもらった合唱団「クール・ポレール」の指導者、鎌田到さんもいる。札幌で活動する「クール・ポレール」は主にルネサンス期のア・カペラ作品を中心に演奏活動をしている。
コロナ禍で音楽家の活動の一助に
 石山さんが構想を思い描いたのはコロナで緊急事態宣言が出ていた2020年5月だった。コロナ禍で行政からの救済が遅れて後回しになるであろう音楽家や芸術家のために山の所有地が役に立つのではないかと考えたことがきっかけの一つだった。宇治さんと大伴さんの中世音楽、賢伍さんのバロック音楽、そして鎌田さんのルネサンス音楽、いわゆる<古楽>を志す音楽家たちの活動の一助になりたいとの思いが石山さんにはあった。
 確かに「テレサの森」プロジェクトは音楽と密接に結びついている。
 一級建築士の畠中さんも音楽家だ。9歳の頃よりフルートを始め、札幌の中学校で吹奏楽に出会って指揮棒を振り始めた。京都大学工学部建築学科に入学し、京都で建築の勉強をしながら札幌で音楽活動していた。2003年、札幌で建築設計・音楽企画事務所「スタジオ・シンフォニカ」を設立し、「音楽のような建築を、建築のような音楽を」を目標に、人々が集う空間づくりを目指してきた。2年前、畠中さんと建築家ユニットteam C.O.Lを結成した一級建築士でジャズのサックス奏者の保科文紀さんもプロジェクトに参画している。
 前述した2020年8月の石山さんと畠中さんの出会いは「テレサの森」プロジェクトを大きく前進させる原動力になった。
「ポエティカ」オーナー精神科医の直感
 二人が最初に会った場所は北海道長沼町に2005年に完成した「ポエティカ」という詩と芸術のためのゲストハウスだった。オーナーは精神科医の高塚直裕先生で、畠中さんが設計にあたった。畠中さんは竣工後もイベントの企画を行っていた。そうした活動を中世音楽アンサンブルの一人、大伴さんが知り、石山さんを高塚先生に紹介したのが始まりだった。
 では、なぜ、畠中さんは石山さんの構想に共鳴し、<山の全体構想>をデザインしたのか。
 それは畠中さんが高塚先生の直感を信じたからだった。以前から高塚先生のもとには「ポエティカを設計した建築家を紹介してほしい」というオファーがあったが、高塚先生が畠中さんに紹介してもよいと思ったのは石山さんが初めてだったという。畠中さんは石山さんの構想と自らの設計コンセプトとの間に強い親和性を感じた。
 さらに、石山さんのバイタリティあふれる人柄にも惹かれた。畠中さんは2011年5月に脳卒中を患い、リハビリをしながら活動を継続している。そのような状態であることを石山さんに伝えたところ、「全く問題ないです。むしろそのような経験を生かし『優しさ』によって繋がる時空間を演出してほしい」という言葉をかけてもらった。畠中さんによると、このマザーテレサが発したかのような石山さんの「愛」の言葉と、繋いでくれた高塚先生の思いに微力ながら応えたいと考えたことが、プロジェクトに参画する大きな理由だったという。
 次回は「テレサの森」プロジェクトに至るまでの、創設者の内面の軌跡を辿ってみたい。

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