映画「仏滅花嫁」撮影日誌(画像付き)

【物語のはじまり】
誰からも忘れられた場末の花街「新千鳥街」。
青い扉のバーatm.で、焼酎のお湯割を手渡すついでに
「大野くん映画撮りなよ」
って振ってくれたのが、我らがBON山本氏。

BON山本氏については追って記すとして
その頃、僕はこのお店に通うお客さんたちと呑みながらいろんな話をする楽しさを覚えはじめた頃だったので、この楽しさをそのまま映画にしようという発想は、安易だけど無理がなかったと思う。

始める時はシンプルがいいよね。
どうせややこしくなっていくんだから。

ともあれその時
出演をお願いしたい方が2名浮かんでいた。
「シャンゼリゼ蘭子」役の
オナン・スペルマーメイド氏と、
「微笑みの主婦シノブ」役の
なすがすき氏。

【オナン・スペルマーメイド氏】
オナン氏は
もう僕ごときがわざわざご紹介するまでもない、間違いなく日本背負ってるドラァグ クイーン・・だから役をお願いしたわけではなく、オナンさんの印象で(勝手に)作った役が
「シャンゼリゼ蘭子」
だった、という事です。

この役の境遇は、ひとつ間違えば恨み節の人生。


でもオナンさんからは(僕が知る限り)憎いとか恨むとか呪うとか、そういうのが見えてこない。

だからこそ、観客にドロを浴びせる事なく、この「愛に生き、夢に生きたら全て失くしたドラァグ クイーン」を演じてもらえる確信があった。


言葉は軽く、眼差しは深く。
恨まないけど忘れさせはしない・・

こんな演技、自分の人生の落とし前を自分でキッチリつけて生きてる人にしかできないんじゃないだろうか。

【なすがすき氏】

いつも何か面白い事を探しているような
冒険に憧れる小5の男子みたいに自由な魂を秘めていそうな彼女なんですが、そう簡単にその境地へは至らないと思うんですよね。

ずーっとそんな感じで生きてこられたら新千鳥街でなんか呑んでないって。

かくして
彼女に宛てたシノブという役の
過酷を極めた人生を
「生きてりゃそういう事あるよね」
とばかりにさらっと演じてくれた彼女。

夫婦仲の亀裂からセックスレス、不妊治療の辛さ・・ミカンむきながら語るの大変だったと思うけど、その言葉には実感がある。

重くも軽くもなく、口元は微笑、眼差しは穏やかに遠く・・

実際の彼女の人生とは違うだろうけど
この実感は演技の枠で語られる事ではない。

やがて流産、精神科通いの日々を送る(設定の)彼女には上等のダイヤモンドリングを用意した。

「結婚指環のダイヤ眺めて自分を取り戻すみたいにね」

えびさわなおき。氏の演じるキーオは、遠回しに彼女をそう慰める。

結婚指環がダイヤモンドなのは
ユダヤ系企業の商魂だけじゃない理由があると思うし、その答えを今回は提示できたと思う。

それは勿論、
劇中でのなすさんの存在に嘘がなかったから成立したのだと思う。

すべての色を受け入れて無色透明に輝くダイヤモンドとタイトルの「仏滅」(元は「物滅」大元は「空(虚)妄」全てむなしいという意味)。

このお互いに相容れないように見える2つを重ねた時に見える真実こそ、僕が観客として見届けたい物語なのだから。

【えびさわなおき。氏】

マスター役はBONさんをイメージしていたけど、ちょっと微妙な時期だったので
ご出演かなわず・・
どうしようかなー・・と、目を上げたところに、アコーディオニストのえびさわなおき。氏。

って
みんなの真ん中で調和をはかる役にピッタリじゃないか!

台詞の多さにたじろぎながらも
「おもしろそうだから」
って出演してくれた。この軽やかさ。

演技といっても、他の誰かになってほしいわけじゃない。
えびさわ氏に読んでもらいながら設定や台詞を書き換えていく。

役名も「キーオ」に変更。

個人的には気に入ってる役名なんですが、えびさわさんぽくないですか?

そしてちょうどこの頃、
atm.というお店は変化の只中にあった。

楽しいおしゃべりの日々の中にも、
この「場所」を愛する人たちのいろんな思いが持ち寄られ、語り合われ、揺れていた。

役者が物語を駆け抜ける瞬間を切り取るように、移り変わるこの「場所」を記録する映画となった。図らずも。

ただこの件に関しては
新参者の僕は何も語る言葉を持たず、だからキーオもこう語るしかない。

「いいじゃない!
思うこと言い合えて、喧嘩できてさ。
どんな人にも居場所があるのがこの店!そうでしょ?
・・呑みなよ。
それしかすることないよ、ここは。」

文字にするとこしらえ事になる。
そこに実体を与えてくれるのは演技者(ここでは役者とは呼ばずにおく)という、とてもありがたい存在。

台詞は演技者が語って初めて成立する。

試写会で映画をご覧になった方々から
「脚本を読みたい!」
というお声をよく頂いた。

だけど
「映画で観るほど面白くはないですよ」
と僕が答える理由はここです。

そんな大切な、かけがえのない演技者たちの話を続けていきましょう。

【かげみさと氏】

「謀略の主婦、チヅコ」役を演じた かげみさと氏は、物語の後半でヴィンテージのウェディングドレスに身を包んでいる。


「衣装は私の命なの」
と語ったのはブランチ・デュボアだけれど、この衣装のシーンのチヅコは女の緊急事態、ボロボロの心で、それでもこのバーに乗り込んできたのはどこかに信じたい気持ちがあったからなのに、それすら砕かれた。

だけど一度は愛した男、
憎みこそすれ恨めない。


その愛の狂気にふさわしい衣装として、かつてアメリカのヒッピーが婚礼で着ていたウェディングドレスを選んだ。

編み上げのブーツで草を踏み、自由の風が吹く、ヒッピーたちの婚礼。

パンクを愛する かげみさと氏は
このドレスを自由な魂で着てくれた。

だから全然お人形っぽくないでしょ?

衣装合わせの時、黒いタイトなドレスから着替えるというプランを提案してくれたのは彼女。

その黒いドレスで我々の目に焼き付けたのは

「オンナの怨(オン)、恐怖の芋くばり!」

恐ろしさに膝が震えながらモニターから目を離せなかったカット(本当に)。


この一連のシーンにはいろんなアイディアが飛び交って、最も充実した撮影だった。

自由の風は、現場にも吹いていた。

衣装の話が出たのでついでに言うと
えびさわなおき。氏に
選んだトップスは
ラルフ・ローレンのヴィンテージ。
コットンリネンの質が良く陰影がきれいに出る逸品。



ファストファッションも結構。
だけど、この脚本は演じる者に美しい衣装を要求する。

美しくあらねばならぬほどに
残酷な現実を扱うのだから。

テネシー・ウィリアムズに絡めて、いつか語りたいと思う。

同じ理由で
かげみさと氏には
アコヤ真珠のネックレス、
なすがすき氏には
淡水真珠とシルバーのロングネックレスをその頸にかけた。

彼女たちの演じる役は事実しか口にしない。
だからジュエリーも嘘があってはいけない。

そしてドラァグ クイーン、
女性の身体を「デフォルメ」するために必要なのは男性の身体・・ひっくり返せば彼らが真実を語るにはフェイクが必要なので、そこに登場人物たちの明確な対比が生まれる事を視覚的に狙った。

メンズパール流行った時にいくつか買っておいたのが役に立ってよかった笑

【野見隆明氏】

装飾品の話で続けると、
「勇壮なる名もなきオカマ」役の野見隆明氏にはスワロフスキーのアンティーク素材に、オモチャのボタンなどを組み合わせてアクセサリーを作った。


彼の衣装のコンセプトは
「本人の個性でかき消されてしまう個性的なファッション」

繊細で可愛らしいものを身につけたい心があるのに、それをノシノシと踏み越えてしまう彼の個性に、その人生の背景を感じていただきたい。


野見隆明氏は
主演作「さや侍」(松本人志監督 2011年公開)で第35回日本アカデミー賞優秀新人俳優賞に輝いた、言わずと知れた名優である。

彼の存在は言葉を超えている。
思いがけず目撃してほしい。



彼との同性カップルを演じる千葉祐一氏、この2人に役名がないのも、脚本の言葉のルールで彼らを縛りたくないという思いからだ。

物語では名前がつくと役割を負う。

「男が!」
「女が!」
「ゲイが!」
「ストレートが!」
と、出口のない舌戦のさなか

名前を与えられない2人だけが

互いを思いやりながら寄り添いあって
ひとつの部屋へ帰っていく。


この物語で最も幸せな2人、それが
野見隆明氏演じる
「勇壮なる名もなきオカマ」と
千葉祐一氏演じる
「やさしい人」のカップル。

【千葉祐一氏】

千葉氏は
今回の出演者の中で最も呼吸が安定している。

野見氏の隣に並んで収まりがよい人ってなかなかいないと思うんだけど、千葉氏のバイオリズムが安定していることはそれに必ず関係している。

息を
「詰める」「潜める」「凝らす」「殺す」

同じ状況で演じ分ける鍵は「呼吸」。

呼吸を変えれば演技のニュアンスが変わる。
「自然な演技」という矛盾を整合させる技術は呼吸のコントロールに始まる。

「こう演技したい」が先に立つ役者は大抵、オナラを我慢しているような顔をしている。

【BON山本氏】

ことほど左様に、出演者たちの呼吸の上にこの物語は進行している。

逆に言えば
出演者の呼吸を無視して作ると絶対に破綻する。

彼らのバイオリズムの安定に細心の注意を払いたいが、今回はありがたいことにatm.というカフェバーに集まる家族みたいな仲間たちと撮れた事で、すでにそれは叶っていたと言える。

まずオーナーのBON山本氏が中心にいてくれたおかげで、出演者たちは安心できた。

彼がどういう人物かは、
ぜひ一献酌み交わして知って頂きたいので多くを語ることはせずにおく。

数多クリエイターたちの愛を集める人物であることは確かである。

閉店後、撮影前の仕込み



みんな大好きBON山本氏は果たして
現場で絶品カレーを振る舞ってくれたのだった。

辛辣な喧嘩、
息詰まる告解、
瞳が潤んだ愛のシーンさえも

BONさんのかき回す大鍋から漂うカレースパイスの香りの中、
特大カツを揚げる油気を感じながら、
モリモリとご飯をよそう彼を横目に、

粛々とその撮影は続けられた。



全員の士気を高めたそのカレーは
次の日から店のメニューに上がっていた。

こういうとこがBONさん!
楽しいよね


意外な隠し味は
撮影前日の店内で機材を仕込みながら目撃した僕しか知らない。

現場でみんなが癒されたものといえば
かげみさと氏による手間暇半端ないサンドイッチも忘れられない。


一体何種類あったんだろう・・
美味しさに目を白黒させながら、全員で奪い合うようにがっついても次から次へとバッグから出してくれた、目にも鮮やかなサンドイッチ!

メイン具材に合わせて多種チーズやシーズニングも使い分けられ、一切ずつ個性の違う、完成されたお料理たちだった。

驚くべきはクランクイン1発目カットは
かげ氏と新宿タイガーの演じるラストシーンで、早朝7時半には彼女は余裕で現場で身支度を終えていたのにもかかわらず、そのパンはふっくら、具材は新鮮。


きっと楽しく作ってくれたと思うけど

「こんなの挟むだけよ!」と疲労の影もなく笑うかげ氏と極上サンドイッチに現場は救われたのでした。

【あらいなな氏】
ものを美味しそうに食べることにおいては右に出る者がない生粋のコメディエンヌ、あらいなな氏。

その一見傍若無人な振る舞いは、現場でみんなを楽な気持ちにしてくれたし、その空気感は映画にしっかり焼き付いて、物語に軽い歯触りをもたらした。



「アタシは黙らない!」を地で行く彼女には
大御所ドラァグ クイーンに喧嘩ふっかける一介の主婦、という楽しい役に挑戦してもらい、見事演じ切ってくれた。



また、
性も立場も平等化されていく中にあってなお、ドラァグ クイーンがクイーンたり得ている、今この時のバランスを映画にしておきたかった。


加えて
ユーモアの在り方にも触れたかった。

人間らしく生きる知恵のユーモアとして、ドレスとメイクとオネエ言葉を彼らが選んだのなら、そのオネエ言葉はクリシェの集大成と言える。

もしかしたら
そんな孤高のユーモアなんて、

生まれない方が
平和な世の中なのかもしれないよね。

だけど
平等化とともにユーモアは、
失うでなく変化していると捉えたい。

例えば
そのへんの奥さんと本気で喧嘩しちゃうほどフラットなドラァグ クイーン。

もしかしたらそっちの方が
近くて遠い、幻のような存在かもしれないよね。

【高野智行氏】

流されるまま流されて、傷つけたくないと言いながら責任から逃げ続けるダメ男・・
字面にしたら身も蓋もないんだけど、こういう男が情を集めてしまうのも世の常。

高野智行氏はこんなダメ男を、彼なりの誠意をもって演じてくれた。だから憎めない役に仕上がってる。

最後に手痛いしっぺ返しにあう彼ですが、そんな彼を慰めてあげたくなっちゃった人は不幸になる才能のある人かもね。

【清水公介氏】

彼の演技力には大変助けられた。

今回は役を演技者に寄せていくことで、演技経験のない出演者も演じやすくしたつもりだが、清水氏に関しては、配役が決まってから撮影まで間がなく、彼の演技力に頼るところが大きかった。

撮影前に一度だけ会い、たたき台としての脚本を読んでもらいながら、彼の思考や個性に合わせて台詞を書き直していく中で差し挟まれる質問や提案の内容に、彼がこれまで「役」に対してどれだけ真摯に向き合ってきたかが伝わってきた。

役に対して潔い。
この彼のパーソナリティが、彼の演じる「一介のミセコ・マコ」役に、ひたむきで、かつドライな印象を与え、嘘のない仕上がりを見せている・・最後の彼の表情が、この物語に深い印象を残している。

【新宿タイガー】

新宿でたまに遭遇する縁起のいいジンクスくらいに思っていた新宿タイガーに、こんなにガッツリご出演いただけたなんて、本当に人生って面白い。

男も女も性をさすらう人々も、呑んで、笑って、語りあう延長線上でカメラを回す。

そんなふうに作ったら
いつもタイガーが言う、夢とロマンと美女と酒・・そんな映画に仕上がるしかないよね。

「この映画の人たち、妙に楽しそう」
というご感想が多いことを僕はとても誇らしく思う。

人様にお見せするものとして至らない点や及ばない部分は次回クリアさせる課題として受け止めるとして、
今この場所で、今ここにいる人々と、ハラハラしたりさせたりしながら楽しく作れたこの記録が、心から愛おしい。

「仏滅花嫁〜なけなしダイヤモンド〜」

この脚本は、新千鳥街「atm.」で出会った大好きな人たちへの、極めて個人的な手紙であると言える。

大野世姿

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