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成長から成熟へ 考察

(1)イメージとしての「成長」  

 子供の誕生や成長を喜び、老いていく身体を憂う。私たちは生まれた瞬間の記憶を持たず、また死んでゆく最後の実際はわからない。わからないのに死に対して恐れや悲しみの感情が立ち起こる、不思議だ。

 四苦八苦。仏教の言葉で四苦は「生老病死」。
生まれたこと、それも苦しみであり老いる、病、そして死…その四つはすべて同じ苦しみとされている。

 成長すること、発展すること、上り詰めること、向上すること…これらを肯定的に捉え、一方で老いたり、下降する局面を否定的、悲観的に捉えがちである。究極は「不老不死」への願望か。

 いずれにせよ「成長」とは素晴らしいと刷り込みがある。そして増殖、増加といった「大きさ」や「量」が拡大するイメージは成長指標の言葉になる。

 人類史において、人間の寿命が長くなったのは僅か五世代程度。ずっと人間は短命だった。死への恐怖と生の執着という本能が「成長、発展、永続、長寿命」という言葉によって、生きる希望から生きる目的に変容したのかもしれない。

 成長神話は近代以降、より一層強まった。工業化する経済も社会も、学校の成績も企業の業績も、個人や家庭の収入までも同じ枠組みで成長神話に貢献した。物質的豊かさへの渇望がそうさせたのだろうと思う。

 成長は素晴らしいものと多くの人に刷り込まれた。同時に成長さえすれば良いという普遍的な価値観が作られた。しかし何を成長させたかったのか、、、

(2)成熟社会という言葉

 1970年頃、「成熟社会」と言う言葉が現れた。産業革命、つまり近代の幕開け以降、経済成長一辺倒の限界を感じた中からその言葉は生まれた。

  ◆1968年から始まった

 フランスで「五月革命」とも言われる、1968年5月にパリの大学生が政府の教育政策に不満を爆発させて暴動を起こしたのをきっかけに起こったド=ゴール体制に対する、広範な労働者・市民の反対運動が巻き起こる。
 またこの1968年という年はベトナム反戦運動の盛り上がりと結びついた学生運動が世界的な広がりを見せた。日本でも全共闘、学生運動の季節となる。第二次世界大戦後の経済発展至上主義の社会が、大きな曲がり角に入ってきたことを思わせる動きがマグマの如く蠢いた。

 「成熟社会」という言葉を使ったのは、後にノーベル賞を受賞したデニス・ガボール博士。氏は、「成熟社会は量的拡大のみを追求する経済成長が限界に至り、きわめて困難となり、そして終息に向かうなか、精神的な豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会となる」と見た。そのDガボール博士もメンバーの一員だった国際的なシンクタンクであるローマクラブが「成長の限界」と題した報告書を1972年に発表した。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」という予測で全世界に衝撃を与えた。

Dガボール博士の著書「成熟社会」ー新しい文明の選択を翻訳されたのが、林雄二郎氏である。林氏は1968年に出版された著書で「情報化社会」という言葉を日本で初めて用いた人である。


(3) モノと心・本能と物質


(4)成熟先進国としての日本



林雄二郎 主な著作(その他多数あり)



情報化社会−1968年
高度選択社会−1970年
成熟社会 日本の選択ー1982年


(5)生きる「質」を高める事を新たな成長と呼ぶ





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