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錯綜するフェミニズム

私は前回このnoteを書いたのだが、敢えてフェミニストとツイフェミを分けて書いた。というのは、フェミニストの中にもいろいろと分類がされて複雑に入り乱れているからだ。ここで、フェミニズムの定義についておさらいしてみようと思う。


フェミニズムとは

フェミニズムとは、いわゆる民主主義的な近代社会において、法の理念や人権概念において、男女の平等が達成されていないという現状認識から出発し、女性にとっての、政治的、法的、権利的、経済的、アイデンティティ的、文化的、心理的などの視座を包含する社会運動と、そのイデオロギーからなり、基本的に、政治運動の形態をもつものの総称である。

ここから分かるように、フェミニズムは女性にとっての社会運動である。ということは、女性が社会運動を起こせば全てフェミニズムとなるのだろうか。もう少し詳しく見てみよう。

フェミニズムは「世の中を男チームと女チームに分けて考えるという発想をしたとき、内容を問わず誰かから女チームの主張として発せられる意見の総称」

そして、フェミニズムの矛盾点として、

「他者の権限を預かるリーダー職の女性比率を増やせという主張がされる一方、同時に他者の権限を預かる責任を負わねばならないリーダー職を女性は望んでいない」という矛盾

「ジェンダーバイアスの除去のためには男の子も人形遊びすべきだが、人形遊びをする男の子に性欲を感じ取って気持ち悪い」という矛盾

審美、エロティックキャピタルについての「フェミニズム」間の意見の齟齬

を挙げている。このような矛盾が生まれるのはなぜか。

両者はどうあっても折り合いがつかない主張だが、どちらも「女性が自然体で生きのびのびと能力を発揮するため」というお題目で出てくるフェミニズム的主張である。

そう。フェミニズムは女性にとって快適なことを目指す思想であるから、むしろ矛盾していて当然なのだ。

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また、フェミニズムは一人一派だから、フェミニズムの中での考え方が対立するのは当然だ。ただ一つ言えることは、フェミニズムとは、

「女性の意見を尊重しよう」と努力し続けた末にたどり着いた結論

であるということだけである。


フェミニズムの歴史と分類

フェミニズムが女性にとって快適な環境を目指す思想であると一口に言っても、その種類は様々だ。そこで、フェミニズムの歴史と分類を詳しく見ていきたい。

フェミニズムには四つの波があると言われている。まずはその四つの波について。

第一波は、19世紀末から20世紀前半にかけて高まった女性の相続権、財産権そして参政権を求めた運動に象徴されます。イギリスではサフラジェットと呼ばれる女性参政権獲得運動を繰り広げた女性たちが中心となり、それまで男性が独占していた政治や行政に女性が参加する権利を勝ち取りました。

第一波フェミニズムでは、男女間で不均衡が生じている法律を是正しようという動きが中心であった。このような動きはリベラルフェミニズムと呼ばれる。

第二波は、政治や経済活動などの公的な領域を担うのは男性、私的領域である家庭は女性、というジェンダー化された区分が存在していると指摘し、そのような構造を問い直そうとしました。

第一波フェミニズムでは法律改正のための運動であるのに対し、第二波フェミニズムでは私的な領域も是正しようとする。このような動きはラディカルフェミニズムと呼ばれる。また、女性たちをしばりつけるのは「家父長制か資本主義か」、それとも「家父長制と資本主義か」を論点に、ラディカルフェミニズムから派生してマルクス主義フェミニズムというものも生まれた

1980年代終わりから1990年代にかけて起こった第三波は、第二波の問題意識を引き継ぎつつ、あらためて「女性とは何か?」を問い直していきます。

第二波フェミニズムでは「女性らしさ」を否定していたのに対し、第三波フェミニズムでは「女性らしさ」も個人の自由であるとする動きだ。第三波フェミニズムはポストフェミニズムとは分けて表現される。

ポストフェミニズムについての説明もしよう。

The term postfeminism (alternatively rendered as post-feminism) is used to describe reactions against contradictions and absences in feminism, especially second-wave feminism and third-wave feminism.

ポストフェミニズムという言葉は、特に第二波・第三波のフェミニズムの矛盾に反対し、特に第二波・第三波に関してフェミニズムは必要ないとする動きを表す。(Translated by Shu.A)

制度的にも実質的にも女性差別というものはもはや存在しないため、フェミニズムはもう不要である、ということだ。

こちらの記事はポストフェミニズムをよく表しているだろう。

Postfeminism strives towards the next stage in gender-related societal progress, and as such is often conceived as in favor of a society that is no longer defined by gender binary and gender role.

ポストフェミニズムは、社会の進歩におけるジェンダー関連の部分において次の段階(=フェミニズムの次の段階)を目指しており、しばしば「性別二元論や性的役割では定義されない社会」に賛同していると考えられている。(Translated by Shu.A)

ポストフェミニズムでは、従来の性別二元論(性別は男と女の二種類である)や性的役割(男は働き女は家事をする)にとらわれず、フェミニズムの次の段階へ進んでいる。

ポストフェミニズムでは性別による差別はないとしているのに対し、第三波フェミニズムは、頻発するセクハラ事件等を例に挙げ、未だに性別による差別は残っていると主張する。こうして生まれたのが第四波フェミニズムである。

2010年代からの第四波の特徴は、問題へのアプローチの手法にあるとみています。SNS利用の急拡大にともなって、オンライン・アクティビズムとして運動への参加や問題意識が世界中で共有されるようになりました。18年にTwitterで起こった#MeToo 運動はその典型でしょう。

いわゆるツイフェミと呼ばれる人々はこの第四波フェミニズムの運動を行っているといえる。


複雑化するフェミニズム

だが、フェミニズムはさらに複雑化している。

日本の社会運動は分類が曖昧なまま活動し続けた結果、味噌も糞も一緒くたに「社会運動する奴は全員クズ」みたいな扱いで運動ごとまとめて片付けられてしまう事が多い

お恥ずかしながら、私自身フェミニズムの分類は完全に分かっていたわけではなかった。フェミニズムの分類についてはフェミニスト自身もよく分かっていないことが多い。

ここで、分かりやすい診断を紹介しよう。

フェミ派閥診断
夫「私は家庭的な女性が好きなので専業主婦になってください」
リベラルかつ向家庭「分かりました、そうします」
リベラルかつ向社会「いいえ、貴方の意思には添えません。さようなら」
ラディカル「そのような発言をするのは差別であり間違っています」

リベラルフェミニストはあくまで法律に関してのみ改正しようとしているため、このような場面では個人の選択を重視する。一方でラディカルフェミニストは個人の選択にも介入するため、このような場面でもジェンダーロールを押し付けられることを嫌う。

そして、フェミニズムの概念はさらに複雑化している。というのも、「真のフェミニズム」というものが出現したからだ。

これらのnoteは、フェミニストのやり方には賛同できないが、フェミニズム自体には賛成という考え方だ。

こちらのツイートにも、普段はツイフェミを批判している人々が「本来の意味でのフェミニズム」を称賛しているのが窺えるだろう。

私はこれに異論を唱えたい。

こちらのツリーでは、フェミニズムの恐ろしさについての説明がされている。

こちらのnoteで女性の中絶の権利等をフェミニストが訴えた、とある。が、その実態は恐ろしいものだ。

中ピ連はピンク色に♀マークを記したヘルメットを被って暴れ回る、<略>基地の外の住人でありました。彼女らはピルをいち早く海外から輸入し自分達で飲んで自ら人体実験を致しましたが結果、全員が体調を崩したことによりどうやら身体に悪いらしいという結論に至ったとされております。それから彼女らは中ピ連を結成致しました。<略>つまり彼女らは副作用の問題があると身をもって知りながらピル推進運動をやっていたのでした。反社会的勢力フェミニストにとってはピルはあくまでも政争の具でしかなく生身の女性のことどうでもよかったわけであります。

フェミニストは女性の権利すらも考えていない。それどころか女性の権利向上を政治利用までしたのだ。さらに、中絶の権利の問題に関してもフェミニストはとんでもないことをしている。

中絶が一大論争になるというのは主にキリスト教圏の話でございます。<略>キリスト教では人間とは神が自らに似せて作ったその他の獣とは違う特別な存在でありその人命は神からの授かり物と考えます。そのためその命を葬り去ってしまう中絶を神への冒涜と考えます。そうして中絶そのものに反対する考えを持った人達をプロライフと呼びます。
このプロライフに対抗し女性の自己決定権を重視する中絶賛成派がプロチョイスです。プロライフ側がキリスト教系の女性だったりするのに対しこちらはフェミニズム、リベラリズム寄りの女性だったりします。
さらにアメリカの場合は中絶問題は政界も巻き込みます。保守系の共和党の大統領のドナルド・トランプや敬虔なキリスト教徒で知られる副大統領のマイク・ペンスはプロライフ側です。対してリベラル派の民主党のヒラリー・クリントンや前大統領のバラク・オバマはプロチョイス側です。ちなみにヒラリー・クリントンはピル・中絶推進運動を行う組織PPFAへの支援を行なっております。PPAPではございません。ピコ太郎ではございません。ペンパイナッポーアッポーペンではございません。PPFA(プランド・ペアレントフッド)はフェミニストであるマーガレット・サンガーが結成したピル・中絶運動を推進する組織であります。

そのPPFAは、動画の中で胎児の臓器密輸について語っている。

フェミニストの横暴はまだ終わらない。

1948年に中絶の解禁とともに旧優生保護法が制定され障害を持った方やまた親族に身内がいる方、中には何ら障害を持たない方までが素行不良という曖昧な理由で男女ともに不妊手術を本人の意思に関係なく受けさせられ人としての尊厳を奪われました。その数は2万4991人にも及びます。これは戦後最大の人権侵害と言われ現在も被害者の国家への訴訟が続いています。この法案を提出したのが中絶推進派で社会党(当時)のフェミニストであり日本初の女性議員となった加藤シヅエでありました。

フェミニストによって尊厳を奪われた人々がどれほどいるだろうか。彼女らの横暴はこれだけではない。

これは、フェミニストが自説を強化するために一人の少年やその家族の尊厳を奪った話だ。

noteで紹介されている「ブレンダと呼ばれた少年」という著書である。

1970年代、医学心理学者のジョン・マネー博士が双子の兄弟の兄が赤ん坊の時に性器を損傷してしまいマネーは彼に性転換手術を施し彼は女性として生きていくことに弟は男性として生きていくことに。手術の経過は良好で一家は幸福に暮らしている。セクシュアリティは生まれつきのものではなく育ちで決まるのだ。これはそれ以降のラディカル・フェミニズムにも大きな影響を与え代表的なフェミニストのケイト・ミレットの「性の政治学」にも影響を与えました。本書はそんなマネーの成果に対しその後を追い実態を描いた作品となります。

この兄が、ブレンダという女性名を名乗らされたのだ。

そして、ジョン・マネーはこの哀れな兄弟にある実験を行う。

マネーのレイマー兄弟へのカウンセリングはどんどん度を超えていき兄弟にセックス の真似事を無理やりさせてそれを写真に撮るというとこまで行きます。これは兄弟に強いトラウマを与え大人になって以降も明らかにPTSDの発作を発症しています。

このような残酷な実験をさせられ、兄は一度男性に戻ったものの、兄弟二人とも自殺してしまう

これほどひどい所業が許されていいものか。これらは全てフェミニストが自分らの利益のために行ったことだ。

こちらもひどいものだ。

ざっくりと言いますとね電撃を放てるようになった女達が世界中で男達への反乱を起こし女の支配する国を作ったり世界を支配するようになるという。いや、これ420P以上もあるんですよ。何度も言いますけど。とにかくこの小説、特殊能力を持った女が男を拷問して拷問して(×n)殺して殺して(×n)犯して犯して(×n)辱めて辱めて(×n)殺して殺して(×n)支配して支配して(×n)殺して殺して(×n)殺しまくるという・・・

noteの著者、魔色さんの憎悪が伝わってくる文章だ。これだけでも何となく内容が分かるほどである。要はエマ・ワトソンというフェミニストの推薦する小説が男性を殺しまくるという胸糞の悪い話だ。

フェミニストの横暴はまだまだある。


こちらで紹介されているのは、強制異性愛社会という概念だ。これについての説明がnoteでされている。

まずこの言葉の提唱者リッチ(厳密には先行する提唱者がいるようなのですが)の主張は「レズこそが原初のものである」とでもいったものでした。もう少し詳しく言うならば、「人は誰もが母親に育てられ、母親に懐くものなのだから、女の子にとっては同性愛の方が自然だ」といった感じでしょうか。

精神分析学者のラカンは「異性愛とは女性に性的欲望を感じることだ」と指摘しているといいます。(男性誌の表紙が女性であると共に)女性誌の表紙が女性であることが象徴するように、女性にとっては自分の性的魅力で男性を惹きつけることこそが重要です。レディースコミックが「男性が女性に求愛する」というヘテロセクシャル男性向けのポルノとほぼ同じ構造を持っているのも、それ故です。昨今はイケメンを鑑賞したがる女性も多いですが、例えば女性向けの男性ヌード雑誌などというモノはさっぱり出てきません。
 逆に考えるなら、「女性もまた女性に性的欲望を感じているのだから、みんなレズ」と言ってしまえば、言えなくもない。

つまりまとめると、「女はレズなのが自然である」ということだ。そしてこの考え方はある意味では正しい。

リッチの唱える「女性もまた女性に性的欲望を感じているのだから、本来はレズが正常」という発想は、ある意味では正しい。しかしさらにその「女性の女性への性的欲望」は、それに先行する自己愛の一種であると考えた方が理解しやすい。だから女性は自己愛、同性愛的要素を温存させつつ、「異性愛」、つまり「男性に自らを欲望させる」段階へとステップアップしていくのだと、一応、そうした見方ができるわけです。

これは一体何を意味するか。

「男性の肉体への性的欲望」は極めて例外的ということにもなります。「ホモはキモい」という価値観は普遍的だ、と考えざるを得ない。いわばリッチの主張は「ホモフォビア」を「正しい」とするものなのですね。

リッチの主張は(レズ推しなのだから当たり前ですが)女性性は極めて優れた尊いものだ、ホモはしょせん男だから下等だ、とでもいったところにあるわけです。

これはまさに、「差別反対(を実際に掲げているかは置いておくとして)」のフェミニストによる差別だ。


真フェミ教徒の誤解

「真のフェミニズム」を信じる人は基本的に女性に優しい。故にフェミニズムの恐ろしさを知らないままフェミニズムそのものに賛同する。

フェミニストとは簡単に言えば、男女平等を目指す人たちのことを指すみたいだ。そう考えると、世の中にはフェミニストの皮を被った偽フェミニストが多い気がする。

過激な活動をしているフェミニストも、リベラルなフェミニストも同じフェミニストだ。どちらが真のフェミニストでどちらが偽のフェミニストということはない。

また、フェミニズムは男女平等主義でもない

こちらのnoteで紹介されているのは、フェミニズムが進んだ社会である、モソ社会だ。

モソ人は、家父長制ならぬ「家母長制」を敷く、世界でも珍しい民族集団である。

ここで紹介されている著書はこちらだ。

モソ社会での「家母長制」は、このようなものだ。

モソ人は、母系社会を構成している。そして、結婚という制度がない。
 家族は祖母を頂点として構成される。女性は夫を持たず、通い婚する男を受け入れる。これを走婚(セイセイ)という。だからモソ人の女性は、全員シングルマザーであるといえる。
 ではさぞ困窮するだろうと思うところだが、そこは問題ない。財産の相続権は女性だけにある。つまり、家も農地も、すべて祖母から母へ、母から娘へと譲渡される。男達には分配されない。では男達はどうやって生活していくかというと、祖母なり母なりに養われるという形となる。もちろん自身も働くが、その収入は基本的に母の手に渡る。
 男達には、政治的権力もない。村長を選ぶ権利は、女性だけにある。ただ、被選挙権は男にもあるらしく、男性の村長が選ばれないわけではない。

これは、フェミニストが散々忌み嫌っている家父長制の男女逆バージョンだ。これのどこが男女平等だろうか。フェミニストが目指しているのは男女平等社会ではなく女尊男卑社会だ。

こちらのnoteでは、フェミニストとアンチフェミニストの和解を考えているが……。

実際問題、フェミニストvsアンチフェミニストを繰り返しても社会は良くなっていませんよね。我々に必要なのは『和解』です。手を取り合って協力し合いましょう。

甘い。フェミニストとアンチフェミニストが和解できることはない。なぜならフェミニストはクレーマーであるというだけでなく、残酷な差別主義者であるからだ。


リベラルフェミニズムならましでは?

先ほどから述べてきたフェミニストは確かにラディカルフェミニストといえるだろう。ではリベラルフェミニストであればいいのではないか。こういった声が聞こえてきそうだ。

この記事でも、

フェミニストを標榜する人たちは、仲間同士でがっちりとグループを形成しており、彼ら彼女らが「アンチフェミニスト」と呼ぶグループと、ひたすらにガミガミと抗争を繰り広げているばかりです。
平和な社会の樹立に向けた前向きな議論がなされているようには、とても見えませんでした。

と、フェミニストの過激な行動には反対しているものの、

私はリベラル・フェミニズムに共感しているので、他人から見れば「あの人はフェミニストだな」と言われるでしょうし、特に否定もしませんが、今のところはまだ自分から名乗ろうとは思わない、といったところです。

本来フェミニズムとは、ラディカルでもリベラルでもマルクスでも、世の中を全ての人々にとってより良い方向へ向かわせよう、という思想のはずです。

このように、「本来のフェミニズム」とされるリベラルフェミニズムには賛成している。

だが、リベラルフェミニズムも容認してはならない。

リベラルフェミニズムでは法改正を行う。そのため、女性の権利抑圧が是正されて男女平等になると考える人もいるだろう。だが、実際には違う。

男女平等とされる国ほどSTEM分野(生物学・医学系を除く)の女が少なくなる傾向があるがパラドクスではない。自由に選べるようになるほど、環境要因よりも遺伝要因の差が強く表れてくることの反映である。解放されていないからSTEMに進まないのではなく、解放されているから興味が乏しいSTEMに進まなくなるのである。逆に、女の経済面での自由度が乏しい国では、自立するためにSTEM分野に進む女が多くなる。

女性の権利が拡大されたからといって女性が責任を果たすわけではない。

もっと女性の無責任さを表しているものを紹介しよう。



フェミニストはこのように無責任なのである。良いフェミニスト、まともなフェミニスト、ましなフェミニストというものは存在しない。

フェミニストから見て「まともなフェミニスト」というのは、例えば上野千鶴子であり牟田和恵であり千田有紀であり小宮友根にあたるわけです。

・ツイフェミはフェミニストと全く別の存在ではなく、「今の」「日本の」フェミニズムの実態が生み出した存在
・根源である今のフェミニズムの実態を認め反省し改善しない限り、トカゲの尻尾切りになり、ツイフェミは生まれ続ける
・本当に現状を改善し、良心的なフェミニストが増えてくれるなら歓迎する
・フェミニズムに対して批判的でも女性差別には断固として反対する。そういう人が沢山います。勿論男性差別にも。
・「フェミニズムを批判する=いけない事のような気がする」と言うイメージがあるので、何となく支持しないといけない空気があるけど、そういう訳ではないし、女性差別反対&「今のフェミニズムの実態」への批判は両立する


今こそ敵を見定めるべき

真のフェミニズム」、「良いフェミニズム」などというものは存在しない。

「真のフェミニズムはいいもの」「まともなフェミニスト」「ツイフェミとフェミニストは違う」

これらを信じる者たち、騙されてはいけない。敵はフェミニストだ。彼らと和解できる、などということも考えてはならない。彼らに和解する気はさらさらないからだ。

フェミニストとの対話はほぼ不可能だ。ではどうすれば良いか。

対ツイフェミ三原則
・ツイフェミとは対話・議論をしない。
・ツイフェミの発言の矛盾を冷静に指摘し、その指摘を共有する。
・通報できる隙を見つけ次第通報し、ブロックする。

アンチフェミニストがやるべきは、フェミニズムを論破することではない。
 フェミニズムの評判を落とすこと、だ。
 フェミニストと名乗るのは恥ずかしいことだ、と自覚させるのだ。

フェミニストには正攻法で戦っても意味がない。そもそも向こうが手段を選ばず攻撃してくるのだ。こちらもそれなりには手段を選ばない戦い方にしなければ先に殺されるのはこちらだ。

また、男女平等を目指すという理由からフェミニスト(もしくは真のフェミニスト)を名乗るのはやめよう。何度も言うがフェミニズムは男女平等主義ではない

もしかして、「女性の即時的な自由を求める思想」って、フェミニズムではないのでは?
自由を求める思想…それって「リベラリズム」でよくないですか?

はたまた、男女平等主義で良いではないか。

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とにもかくにも、フェミニズムは害悪である。フェミニズムは絶対に許してはならない。

フェミニズムから国民を守る党党首である魔色さんに続いて、私も入党したいと思う。

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賛同して頂ける方は是非ご一緒にご唱和願いたい。

フェミニズムをぶっ壊す!!!

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