見出し画像

序章3 宣誓

 私の降りる駅は男性と青年が揉めていた駅の次の駅だった。

 駅のホームは夕方だからか混んでいて、エスカレーターを上る時もスカートの裾を気にしたり、改札を通る人混みの中も下腹部を少し気にして歩いていた。

 くたくたになった私は、駅から吐き出されていった。

 駅を出ると、いつも通っている駅前がどこか都会的な場所にも田舎のような場所にも見えた。

 栄えていると思わせるような高いビルもあるが、村や町のような雰囲気を思わせる下町商店街もある。

 どちらが正しいのかはわからないけど、この共存が私は好きだった。

 そのはずなのに、今日は気持ちが浮かんでくることは無い。沈んだ気持ちは沈んだままで、誰かに吐き出したくても、肝心の相手がいない。

 そのまま家に帰る事も出来るけど、少しだけ風に吹かれながら、歩いてみようと思った。気分も晴れてくるかもしれないし、という心積もりだった。

 けれども、いざ夕暮れの街を歩いていると、誰にも歓迎されていないような気持ちになる。

 誰も私を拒絶しているような、そんな気持ちが浮かび上がる。

 街灯も、木枯らしも、橙と藍色の空も、窮屈な制服も、私を心地良くはさせてくれなかった。

 もちろん、そんな事を確かめるような事はした事は無い。出来るはずも無い。

 だけど、ふっと現実から夢へ、夢から現実へ移るような、身体が浮かされる感覚に陥る。
 そんな時がある。

 その度に頭に思い浮かぶのは、恵美の顔だった。

 高校に入りたての私を、一番に受け入れてくれた。

 そう思っていたし、そう思いたかった。

 だけど、私の視界に映るのはいつも現実だった。

 現実は夢のように甘くない。

 大好きなケーキも紐解いていけば粉や卵やバターになっていく。

 現実を受け入れるには、紐解いてその中身を知った上で咀嚼するしか無いんだ。ここに粉がある。ここに卵がある。そんな風に噛みしめて味わうような苦労が必要なんだ。

 帰路の途中、まだ遠くにオレンジの太陽が残っていた。

 その太陽の下でサッカーボールを蹴っている少年を見かけた。小学校高学年くらいの少年だった。

 一人ぼっちで夢中でボールを蹴っている。上手に蹴っているかどうかというのは詳しくはわからない。

 でも、素人目で見て、お世辞にも上手いとは言えなかった。

 ボールを蹴っては追いかける。

 ボールに追いつくとまたボールを蹴る。

 それの繰り返しだった。

 公園には少年の他に誰もいない。

 その様子を見ていると少年に自分と同じようなものを感じた。

 少年は孤独に闘っているのかもしれない。

 誰にも相手をされない。

 そんな世界の住人なのかもしれない。

 おせっかいな想像だけど、案外、的を射ている気もする。

 その考え自体もおせっかいだ。

 公園の外の柵に寄りかかり眺めていると、公園には二脚のベンチがあり、どちらも空いている。私は何故だか少年から視線を外せなかった。

 何となくだけど、少年に自分と同じ何かを感じたのだろう。

 私は少年のいる入り口近くのベンチに座り、少年の後ろ姿を見ていた。

 夢中になっているのか、私がじっと見つめている事に少年は気付かない。

 それどころか、私がベンチに座っている事にも気付いていないように見える。

 この少年の背中は、私もいつか通ってきた道だ。

 少年はずっと夢中でボールを蹴っている。

 誰かと競うように。

 誰かに追い付くように。

 誰かに八つ当たりするように。

「隣に座っても?」

 ゆったりとした女性の声に肩が跳ねた。視線を向けると、七十代ほどと思われる女性が立っていた。

 女性はニットのセーターにベージュのスカートを履いていた。服装や立ち振る舞いは清潔感に溢れているけれど、外見から年齢がわかるほどに皺があり、白髪に少し黒髪が混じった髪をバレッタで後ろで束ねていた。

 手には何十本もの青い花束を持っている。

 どこか不思議で、安心感のある女性だと感じた。

 不思議と安心感は共存する音化矛盾する気もする。

 けれど、矛盾しているとしても、その矛盾すらも正当化出来るような存在感だった。

「あの子、いつも遊んでいるのよ。だから、私もたまに遊んで欲しくて、こうやって来ちゃうの」

 女性の言っている言葉の意味がいまいち掴みきれなかったけど、あの子はいつも一人ぼっちなのだと言う事はわかった。
 女性がウキウキと話すからか、どこか違和感があっても流してしまう。

「そうなんですか……。えっと、なんか、寂しいですね」

「ふふっ……。あなたもね」

「えっ……?」

「あなた、あの子を見てどう思ったかしら?」

 私が狼狽えているのを見て、どう反応をするのかを見たくて言っているようだった。女性は悪戯っぽく笑うと、私の言葉を待たずに言った。

「私は楽しそうだと思ったわよ。でも、人によって見え方って変わるものね。黒も白も、見る人が変われば違う色になってしまうのかもしれないわね」

「え、は……はあ……」

「そんなに身構えなくてもいいわよ。あ、そうだ」

 女性は笑みを見せながら、私に青い花束から数本選び、手渡してきた。

「あなたの寂しさを癒してくれるものよ。珍しいから誰にも渡しちゃダメよ。幸せの青い鳥と同じ。あなたの未来に幸せがあるように願っているわ」

 そう言うと女性はすっと立ち上がり、残りの花束を持って公園の出入り口に歩いていった。

 女性は一度だけ振り返り、私に手を振った。

 私も手を振り返した。

 それは反射行動のようなものだった。

「な……んだったのかな……?」

 女性の去っていった方向を見ながら首を捻る。

 女性は陽炎に溶けるように、遠くへ消え去っていった。

「お姉ちゃん!」

 またも、後方から大きな声が耳に入った。

 振り返ると、サッカーボールを蹴っていた少年が立っていた。少年はサッカーボールを片手に、土と汗に汚れたティーシャツを身に纏っていた。

「ん、どうしたの?」

 少年に声をかける。少年はニッと口の端を持ち上げ、言った。

「暇!」

 がっくりとうなだれてしまう。少年は爛々とした目で私を見てくる。

 私も少年に応えたいけど、もう陽もほとんど落ちてきている。

 少年の帰りを待つ親がいると考えると、ここで遊んでいる事も出来ない。仕方なく、という口調で言った。

「暇って言ってもね、もう帰らないといけない時間でしょ? また今度ね」

「へっ、つまんねーの」

 少年は唇を突き出した。少年の生意気な口調と態度に苛つきを覚えた。
 さっきよりも語気を強めて言う。

「だーかーら、もう帰る時間でしょ? 今日は帰ろう、ね?」

 少年は頷く事をしなかった。

 それどころか、深く溜め息を吐き、今度はサッカーボールを地面に置き、腕組みをした。

「お姉ちゃんさ、何に縛られてんの? 決まり? 時間? 他人? 未来? 行動? 感情? ……」

「あ、え、ちょ、ちょーっと。ちょっと待って」

 少年はすらすらと唱えるように言葉を繋いだ。その事も驚きだけど、話している言葉にも驚いた。私が戸惑っているのに気付いたのか、少年はにやりと笑った。

「だったらさ、お姉ちゃんの持ってる花。それ頂戴」

「な……、なんで? ていうか、だったら、の意味がわからないから」

 話している時に婦人の言っていた事を思い出した。

『珍しいから誰にも渡しちゃダメよ』

 ということは、渡しちゃダメなのかな。でも、そんなの言葉のあやかもしれないし。だけど、少年は食い下がってきた。

「いいじゃん。それくれたら、僕、帰るからさ」

「うーん……?」

 頭の中にはハテナマークが浮かんでくる。

 どうしたらいいのだろう。

 考えていると、少年は舌打ちをした。

「ちぇっ、ダメかー。じゃあさ、頂戴とは言わないから……」

「から……?」

 その先を待つ。少年は溜めに溜めて、言う。

「……僕とサッカーしよう」

 またもうなだれてしまった。というよりも、この少年はこんな夜にこんな場所にいて大丈夫なのだろうか。

 私はもう一度、説き伏せようとした。

「だからね、サッカーは出来ないの。ほら、もうこんなに暗いじゃない?」

「サッカーじゃ不満?」

「不満って言うか……」

「じゃあさ、ゲームしよう?」

「だーかーらーねー……」

「僕に勝ったらお姉ちゃんの望んでいるものをあげる……、って言っても不満?」

「うん、あ、え……?」

 言葉に詰まった。少年の言動が変わっているのは気付いていたけど、今感じているのはそういう違和感じゃない。少年の口調と表情が大人の……、いや、もっと老練されたものに聞こえた。

「やっとまともに聞いてくれるかな?」

「聞く……、っていうか……。ていうか、私の望んでいるもの、って何よ? 私にも見当つかないんだけど」

 少年はにやりと笑った。まただ。この感じはさっきのものと同じだ。

「それは、言えない。だけど、安心して。絶対に欲しいものだから。でもね、それはお姉ちゃんが勝ったら、の話。僕が勝ったら……」

 少年はまた言うのを焦らしてくる。この感じは大人に欲しい玩具を与えられないで焦らされている感覚に似ている。

「お姉ちゃんのいらないものを貰うよ」

「え、っと……、それだけ?」

「うん、それだけ」

 拍子抜けしてしまった。もっと、なんか、不思議なものを想像してしまった。

 だけど、目の前にいるのは少年。私の思い込みだっただけみたいだ。適当に流して帰ろうとしたところで、少年はクスッと笑った。

「あー、もういいかなぁ。この口調にも面倒臭くなってきたし。あーらら」

 少年は先ほどと打って変わった口調になった。コロコロと変わるため、というのもあるけど、どこか怖い、という不思議な感覚も刻まれていく。

「えーっと、諏訪藍子さん……。あなたのいらないものと、僕の持っているあなたの欲しいもの。奪い合いをしませんか?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?