見出し画像

西澤保彦著「神のロジック 人間(ひと)のマジック」感想(ネタバレ含む)



~はじめに~

 本日ご紹介するのは、西澤保彦著「神のロジック 人間(ひと)のマジック」である。西澤氏といえば、現実ではあり得ない現象を設定として持ち込んだSFミステリに定評があるが、本作は現実にはなさそうな独特な設定ではあるがSFとまではいかない内容になっている。SFミステリ以外でも西澤氏の作品は完成度が高く素晴らしいという事をこの作品を読んでいただければお分かりいただけることだろう。


以下、ネタバレを含みます。
未読の方はご注意下さい。




~あらすじ~

主人公・僕は、親から引き離され他の者達と共に学校(ファシリティ)で生活をしていた。そこでは普通学校ではやらないような犯人当てクイズなど奇妙な授業が行われていた。なぜ主人公達はここでそんなことをさせられているのか、連れてこられた主人公達には分からない。主人公達は様々な憶測を言い合うが結局真相は分からないまま日々を過ごしていた。そんなある日、新たにやって来た新入生の登場により僕らの平穏な日常は歪んでいく。





~おもしろいポイント~


①ユニークな設定

物語の舞台は、親元から引き離された「僕ら」が集められ、日々犯人当てクイズなどをやらされている<学校(ファシリティ)>という特殊な場所。この設定だけでも、なぜ彼らはここに集められてこんなことをさせられているのかとわくわくしてしまう方もいることだろう。主人公達も様々な現状・状況証拠から探偵の育成所であるとかスパイの養成所であるなど様々な推理(憶測)を披露しており、さながらワトソンの見当違いな推理によるミスリードのごとく、読者の想像をかき立てる。もちろんこのユニークな設定には細部まで考えられた合理的な理由があり、それこそがこの作品の核となっているのである。この核については完全なるネタバレであるため間をおいて事項で語る。



②衝撃の真相

さて、この作品の真相を申し上げると、<学校(ファシリティ)>に集められた「僕ら」は本人立ちは自分が10代の少年少女だと信じているが、実はヨボヨボのおじいちゃんおばあちゃんなのである。それが、本人達の思い込みと施設側の意図、そして西澤氏の巧みな叙述トリックによって隠されているのである。主人公達はある種の健忘症で12,3歳以降の記憶がないおじいさんおばあさんである。この施設の主はそんな人たちを非合法に集めとある実験を行っていたのだ。その実験とは、例えば周りみんなが「ポストは白い」と言えば「ポストは白である」と言うことが客観的事実となり、五感にも影響を与えるかという物である。つまり周りが、「主人公は少年で周りの在校生も少年少女だ」という客観的事実を突きつけ、主人公がそれを受け入れることで主人公には自分や周りが少年少女のように認識させられていたのだ。この客観的事実を創り出すために、施設内には60年前のテレビや車などが置かれて僕らが違和感を覚えないようするなど細工が成されていた。もちろん施設に来た当初は主人公もそれが受け入れられず違和感を感じていたが、客観的事実を受け入れるにつれて違和感は消えていった。それは「在校生達が少年少女である」という間違った客観的事実を受け入れ、「僕ら」が全員少年少女だという「ファンタジーが成立する共同錯誤現象の中に入っていったからである。しかしそこに、その客観的事実を受け入れられない新入生がやって来たために、「ファンタジー」を愛し守ろうとする一人に殺されてしまったのである。

僕らが少年少女である、という事実を知った後で読み返すと、食事が塩分控えめで軟らかい流動食のような物ばかりであることや、買ったはずのお菓子がいつの間にか回収されていたこと、窓を飛び越えて外に出ようとしたときに躊躇してしまったことなど様々な伏線が張られていたことに気付く。物語の最後にそれらが明らかにされるので、その後もう一度読み返してみるのも面白いかもしれない。




~最後に~

本作は、比較的短く一気読みしやすい作品だろう。一気に読んだ方がミスリードに引っかかりやすく、また前のシーンでの出来事も覚えているためよりラストの驚きを強く味わえることだろう。ぜひ時間を取って一気に読んでみていただきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?