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産業革命とデザインの始まり

今日は「産業革命とデザイン」について
お話しします。

僕はとある専門学校で講師の仕事を20年以上やっているのですが
その学校で「デザイン史」の講義をすることになりました。

そのため、すごく久しぶりに
デザイン史関係の本を引っ張り出してきて
勉強し直しをすることになりました。

僕は個人的に昨年お亡くなりになられた
柏木博先生のデザイン史観が好きで
久しぶりに先生の本を読み返して
「産業革命の時代」と21世紀の現代とが
すごく似ているなということに気づきました。

ご存じの方も多いかと思いますが
「産業革命」とは19世紀後半に
ヨーロッパを中心におこった
産業機械化の波です。

機関車や自動車、自動織機などを始め、
石炭が主燃料となり、多くの業種で機械化が進んだ時代です。

その時代をうけて、近代デザインが誕生した時代でもあります。

近代デザインの祖と言えば、
こちらもご存じの方が多いかもしれませんが
ウィリアム・モリスです。

ウィリアム・モリスは
「アーツ・アンド・クラフツ運動」という活動の
中心的人物でした。

彼は手工業から自動化の時代になったことで
工芸品であった物がどんどんコモディティ化されたことを嘆き、
やや懐古主義的にゴシック調のデザインで
生活の質の向上を図ろうとした人です。


船舶移動が発達し、
大陸内だけでは無く、日本などの島国や
アメリカなどの他大陸との交流が容易になってきた時代でもあります。

そのため、国ごとにあった様式の垣根が無くなり、
善し悪しは別に、総花的に文化が行き交うことになりました。

この時代背景は現代のIT社会に通じるものがあります。

世界中の情報が現地に赴くこと無く
瞬時に触れることができ、
グローバルスタンダードと呼ばれる
雑多な文化交流が容易に生まれることになりました。


産業革命の時代に話を戻すと、
産業革命前まで、いわゆる「物」とは
熟練の職人が作る「工芸品」でした。

それが、「未熟な労働者」が作る
「商品」に変わってしまいました。

例えて言うなら、
刀鍛冶が作る「日本刀」と
ホームセンターで売られている「包丁」の違いです。

かつて、職人が作る「物」は希少性があり
「オーラ」が存在しました。

それが、機械によって大量生産され
簡単に未熟な労働者が「物」を作れるようになり、
「オーラ」が失われることとなりました。

そんな「物」の量産を憂えて
モリスは「物」にオーラを取り戻そうと活動していました。

この憂いはモリス達クリエイターだけでは無く、
機械化を進めた資本家達にも存在しました。

以前なら、差別化できた「物」達が
画一的に機械により生産されるようになり、
今で言う、「デフレ」化してしまったのです。

そこで、物の価値を上げるために
資本家達は「デザイナー」を起用するようになりました。

これが、近代デザインの始まりとなりました。

この現象は現代社会においても
引き継がれています。

私たちデザイナーは現代でも
19世紀後半から続く
「物」に「オーラ」を与える仕事として存在しています。

私たちの仕事である「パッケージ」は
まさにお店と商品に「オーラ」を提供するために
存在します。

近頃はデザイン用アプリケーションが
安価で手に入り、誰にでも
簡単にデザインができ、印刷も手軽に
行えるようになってきました。

しかし、その反面、
「物」にオーラを与えるという
高度な役割が損なわれてきたのではないでしょうか?

私たちをはじめ、デザインの仕事に就く人たちは
「オーラ」の提供者としての
デザインワークをとらえる必要があると僕は考えています。


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