グラグラと揺れ動きながらも生きている
昨日はソファーで眠った。
寒の戻りで寒かったけれど、寝室へ毛布を取りに行くのも怖かった。
クローゼットからダウンのコートを出し、クッションに頭を乗せる。
高さが合わないからか、首が強張って頭痛がする。
自分の眉間のシワが深くなっていくのが分かる。
体が冷えたままだと良くないとボンヤリ思って、惰性でお風呂へ入ったのも悪かった。乾かしたつもりの髪はまだ濡れていて、急激に体温を奪われていく。当然、よく眠れないまま朝になってしまった。
昨日は朝からなぜか、マッドさんの機嫌が良くなかった。コンサータは朝一番に服用したらしいが、極度に疲れを感じているようで、一日中不機嫌な表情が無くならなかった。
その表情が、私のせいじゃないのは分かっている。
それが彼の問題であって、私の問題じゃない事も分かっている。
私に責任がない事も分かっている。
それなのに、ぷくぷくと湧き水が水量を増すみたいに、「怖い」という感情が体の中心から少しずつ全体を覆っていった。
「あそこに居る人は、不機嫌な顔をしているけれど、あなたに危害を加える人じゃないんだよ。そんな人はもう居ないよ。」と自分に話しかけてみるが、認知の歪みと愛着の障害は、そう簡単に私を開放してくれないらしい。
晴れ間が出てから手を付けた洗濯物。干す時にマッドさんが手を貸してくれたが、いつも通りに「ありがとう」と言うのが、とてつもなく大変だった。
夜になる頃には、私の痛みは飽和状態になっていた。
それでも、夕飯は食べなくてはならない。
気分が悪くて倒れてしまいたいけれど、すっかりマッドさんが怖くなってしまって、手を貸してと言う事すら出来なくなっていた。喉が詰まって声が出ない。
頭がクラクラして吐き気がする。
簡単に作れる物を一品作って、無心で胃袋に詰め込む。
逃げるようにその場を立って食器を洗い、自室に逃げ込んだ。
普通に起きて、「あれ、今日はマッドさん疲れているのかな」と軽く受け流して、出来る範囲の家事をして、手を貸してくれたら笑顔で感謝を伝えて、一緒に何かをやって、他愛もない会話をして。
そんな普通のことが、私達みたいな人間には難しくなる事が有る。
苦しくてどうしようもなく自分がまた嫌いになりそうになった時、碧月 はるさんの文章が目に飛び込んできた
そうだった。私も投げ出さないで生きた。100点満点で良いんだ。
なんなら、生きるだけで精一杯なのに、これだけの事が出来た。200点や300点を自分にあげても良いじゃないか。
こんな自分を、緩やかにそのまま受け止めてあげたら、少しは楽じゃないか。
朝になって、そろそろ昼だ。まだ声は出ない。
マッドさんに話しかけるのは怖い。でも、過ぎ去るのを待つしか無いから、フルスロットルで昨日から走っている自分を、少し労って休める事にしよう。もし夜までに声が出せたら、「今日はピザを食べたいな」とお願いしてみよう。
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