「これが普通」になる恐ろしさ
当たり前だが、置かれている環境で人は考え方が違ってくるし、環境が変われば慣れていくものなのだな、と思う。私は中学生くらいまで、自分の家は“普通”なのだと思っていた。
我が家は中流家庭だった。
知らない人から見れば、真面目な会社員の父と、明るく人当たりの良い母。
自治会やPTAにも積極的で、大切な一人娘にピアノを習わせている、温かな家庭に見えていただろう。
ちなみに、母は身長こそ低いものの、かなりの美人で歳より若く見えた。
父はかなり前に亡くなった。
母とは最近になって絶縁した。
子供の頃から、私がいかにダメな人間で頭が悪く、親の言いつけを守らない問題児なのかという事を、日々両親に叩き込まれた。
言葉で、暴力で、私の自尊心や心が破壊されるまで、徹底して叩きのめした。
恐ろしいもので、そこが居場所だった私は、それが普通だと思っていたし、寧ろ親を困らせる自分は、本当にダメな欠陥人間だとすら信じ込んでいた。
残酷なことに、子は親の愛情を信じ、追い求めるのが生物として当たり前なので、決して報われる事は無い。
命がけで愛情を求めても、突如として怒り狂い始めた親に殴られ罵倒され、自我を叩き壊されるというのは、ある意味命がけの戦争のようなものだ。ただし、勝つすべなど無いのだから、親から一方的に侵略される負け戦とも言える。
徹底して自尊心と自己肯定感を破壊し尽くされているので、その瓦礫の上に確立されるのは自己否定の感情と、これが普通なのだと思い込んでいるが故に「逃げる」などという事にすら意識が向けられない、毒親にとって都合の良いサンドバッグだ。
更に社会に出ると、「これが人として普通の考え方」とされる常識やモラルに晒され、例えば「子を愛さない親は居ない」などという通説に苦しめられることになる。
ほんの数年前まで私も、「自分の考え方は多分間違っていて、父には父、母には母の事情が有った筈だ。私を愛していない訳が無い。私のほうが悪いのだ。」と思い込もうとしていた。
今のクリニックに転院して初めてハッキリと「貴方の親は普通じゃなかったんですよ。貴方は悪くなかったんですよ。」と聞かされるまで、何十年も呪いを受けたままで居た。
健全な環境で育たなければ、健全な考え方が出来る筈も無い。
抑圧された魂は、閉ざされた「家庭」という環境の中だけでどうにかしようと足掻き、誰かに助けを求めることなど出来ない。
「これが普通」を読み違える恐ろしさは、健全な環境で育ってきた人達にはきっと理解できないものだ。
普通と言えばだが。
今日は久しぶりに、近所のファミリーレストランへランチに行った。
いつの間に、ウェイターやウェイトレスがこんな物に入れ替わったのだろう。これからの時代は、これが普通になって行くのだろうか。
理由が感染拡大云々なのは明々白々だと思うが、楽しいはずのランチタイムが、なんとも白けた感じになってしまった。
何というか、「餌でも食べさせられている」気分になってしまった。
これが普通になって行く世界というのは、あまり想像したくないものだが、やはり人は、これに慣れていくのだろうか。
帰る時に迎えてくれた新緑と川の景色が、荒んでしまいそうだった気持ちに新しい空気を吸わせてくれた。
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