ーはじめにー 私が複雑性PTSDになったお話し
この記事をお読みになる前に
複雑性PTSDあるある…らしい私の過去
複雑性PTSDの場合、対人関係がうまく築けないという問題が、かなり大きく人生にのしかかってきます。
それは結婚生活にも言えていて、私の場合は2度の離婚を経験しています。
最初の夫との間には子供が2人居ましたが、生き別れ状態になっていて会えていません。なぜ生き別れになってしまったのかは、この「私が複雑性PTSDになったお話し」シリーズの中で、追って記していきます。
2番めの夫との間には1人居ますが、誕生日やクリスマスにプレゼントを送ったりはしているものの、難しい年頃なので、会うことはひかえています。
幸せの絶頂だと思っていた時に、突然のパニック発作
2番めの夫との間に子供が出来て最初の1年間、それはそれは子育てが楽しくて仕方が有りませんでした。
そんなある日突然、何がキッカケだったのか覚えていないのですが、パニックを起こして暴れ、その後何かが自分の中で切れてしまったかのように、茫然自失になりました。
ただ床を見つめ、食べることも飲むことも出来ず、外(ベランダですら)に出ることも出来ず、自分に何が起きたのか分からず、混乱するばかりでした。
診断が難しかった私の病気
慌てた家族が、あちこちの病院に連れて行ってくれましたが、どの診断名もなんだかシックリきませんでした。
育児ノイローゼ。ヒステリー。鬱。どれも自分に当てはまると思えない…。
思い当たるふしは、数年前まで一緒だった最初の夫に、極端なDVを受けていた事です。
しかし、ようやく見つけた病院で主治医に訴えても、PTSDという病名は出ず、鬱として処理されていました。
そしてまた、そもそもの原因がDVでは無いという事が明らかになることも、何年もの間有りませんでした。
今後の記事では
最初の夫から、どのような暴力を受けていたのか。また、精神疾患が明らかになった前述の発作から、PTSDという診断名がやっと出てくるまでのお話しなどを、徐々に書いていきたいと思います。
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