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わたしとわくちん

私はワクチンを打っていません。1回目も2回目も、もちろん3、4回目も打つ気は毛頭ありません。20年程前、乳児院の調理職員として働いていた時、インフルエンザワクチンを打ちました。希望した訳ではなく、職員含め施設にいる子供も大人ももれなく接種する義務があると言われ、院へ通ってくる医師により2回の接種が行われました。それまで一度もインフルエンザ予防接種を受けたことはなく、人生初の接種。2回目の接種の約1〜2週間後、カラダの痛みと寒気を感じはじめました。

元旦、私は早番で朝6時半に出勤。朝ごはんをひとりで切り盛りし、8時になる頃、他の調理師たちが出勤してきます。翌日の仕込みで野菜をひたすら刻んでいる最中、悪寒と熱っぽさが耐えられないレベルになり早退。帰宅後、熱を測ると38度を越えています。まさか…だって…予防接種受けたし…違うよね?あまりのしんどさに身動きが取れず、近くに住んでいた親に連絡して病院へ連れて行ってもらうことに。折しも時はお正月。救急外来の待合室に案内されると、そこには私と同じようにただグッタリとうなだれて受診を待つ人たちがいっぱい居ました。順番が回ってきて診察室へ。「ルールですから。」とインフルエンザの検査で鼻の奥に長い綿棒を突っ込まれました。結果を待つ間も熱が上がって来てツラい。過呼吸に陥り息がうまく吐けません。看護師さんがゆっくり息を吐いて〜と背中をさすってくれました。脇の下には挟んでいた体温計を見ました。40度…チーン( ̄  ̄)

検査の結果、インフルエンザ確定。んなアホな!予防接種はどないなっとんねん!シンジラレナ〜イ ʅ(◞‿◟)ʃ 診察してくれた医師が「帰るのもしんどいでしょう、でもインフルエンザだからね〜大部屋は無理なので個室(隔離)へどうぞ。」ということで個室にて1泊入院。「ルールですから。」と座薬(解熱剤)を入れられ、強制的に熱を下げさせられました。40度から38度5分へ。スーっと熱がひいていくのがわかります。ハァ〜(´-`).。oO ため息が出ました。普通に息ができるようになり、個室のベッドで久しぶりに熟睡することができました。翌朝、病室で飲んだ薄い味噌汁が染みました。

退院後も熱は平熱に戻らず37度半ばを行ったり来たり。発熱と共に咳、気管支の痛み、鼻水、倦怠感、食欲不振…不調から抜け出すことができないまま1ヶ月間も休職状態が続きました。インフルエンザの後遺症でこんなに休むことになるなんて。自分でもよく理解できませんでした。ただただしんどくて、とても出勤できるコンディションではなかったのは事実。精神的にも参っていたのだと思います。インフルエンザとわかる前に飲んでしまった風邪薬が良くなかったのかなとか、ただサボりたいだけなのかなとか本当に色んなことを考えていた気がします。

2022年の今だから言えること。その① インフルエンザに罹患したのはワクチンを接種したから。その② 後遺症が重く長引いたのはワクチンを接種によって罹患したインフルエンザだったから。その③ 免疫力が下がっている時にワクチン接種すると症状が重症化しやすいということ。1回目で免疫力下がる→2回目接種でキメられた感。私の偏った主観かもしれませんが、冷静にそう感じるのです。

ワクチン接種後、職場では発熱や重度の倦怠感により欠勤する人、顔面神経の麻痺により顔半分の筋肉が弛緩、感覚がなくなり、瞼や唇が垂れ下がってしまった人など、不調を訴える職員さんが他にもいらしたようです。

乳児院の子供たちはとにかく命を守るという旗印の元、過剰な程の殺菌、消毒、外部との接触は最低限、滅菌殺菌状態で過ごすため、免疫力を獲得するチャンスがなく、何らかのウィルスが持ち込まれると一気に集団感染。日光に当たる時間も少ない、まさに「もやしっこ」。表情も乏しく、体からはみ出すようなエネルギー、子供らしい覇気というものがほとんど感じられませんでした。

Covid-19ワクチン接種の話が巷を騒がせ始めた頃、20年前のインフルエンザ体験のことをありありと思い出しました。周囲が打つ打たない、打ちたいけど予約が取れない、もう打った?などと騒がしくなっていく中、私の答えは最初から決まっていました。

パートナーにも「打たない」と伝えました。夫は接種を選択。2回目の接種を終えた頃、夫の母親がワクチン接種後に急性心不全を起こし酸素吸入装置から離れられない生活になりました。喀血もあり顔色は真っ青、一時は容体が危ぶまれる状態でしたが、1年経った今は食欲も取り戻しみるみる回復。驚くほど元気になりました。お義母さんは心不全の原因がワクチンではないかと医師に尋ねました。もちろん医師は認めません。それどころか2回目の接種を勧める始末。患者を殺す気でしょうか。お義母さんは接種を頑なに断り続けました。それ以降、夫も接種していません。

noteでワクチンのこと、シェディングのことを、Covid-19にまつわる真実を知りました。戦争のこと、行方不明の子供たちのこと、選挙のこと、書き換えられた歴史、善人の顔をした悪魔の存在を知りました。読めば読むほど絶望的な気持ちになりました。知らない方が良かったのかもしれないと思うこともありました。でも、私は気付いていたのです。私は羊ではないということに。

私のカラダがちゃんと私に教えてくれてたのです。どうするべきか、よりも、どうしたいのかを知ること、そして自分で選ぶこと。迷ったら、カラダにきけばいいということを。私のカラダが伝えようとしてくれていたことが、気になる記事を読むことでどんどん言語化されていきました。まるで答え合わせのようで面白くて、来る日も来る日も読み漁りました。私のカラダが教えてくれていたことは間違っていなかったと裏打ちされたようで嬉しくなると同時に、この世界のカラクリを知ってしまった上で生きて行くのはなかなか難儀やで〜とも思いました。でも気付いてしまったのですから、もう後戻りはできません。したくもありません。

この投稿が誰かの目に触れることはあるのか、誰にも見つからないままただ流されていくのか、私にはわかりません。もし偶然にこの投稿に巡り合う人がいたら、これからのことはご自分のカラダにきいてみてとお伝えしたいです。テレビを消して、飛び交う情報から離れて、リラックスできる場所で、自分のカラダにきいてみてください。

「わたしこれからどうしたい?」




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