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はじまりと終わり
何か特別なことが始まる時
すでに終わりを思い描いてしまう思考癖がある
これをネガティブと捉えるかどうかは
さておいて
夢みたいなことが不意に訪れて
あれこれと頭で考える間も無く
それは始まってしまう
これは心に素直に生きていれば
よくあることで
それでも我に返ると
びっくりしてしまうこともある
だからあまり意識しないようにして
ゆっくりと大切に味わう
そしていつかそれは当たり前の日常になり
自分の一部となる
その自分の一部は
ラベルも秩序らしきものもないまま
月日は流れて
心を揺さぶりだす
誰にでも「欲」というものがある
そして「理想」
そこからずれていけばいくほど
翻弄されて苛立ちを覚える
「はじまり」がなかったら平穏で暮らせたものを
心は自由に何かを求め
それを手に入れると「欲」に気づく
そして感情を持て余す
![](https://assets.st-note.com/img/1685861015040-kFojX7hHpY.jpg?width=1200)
すべてには「はじまり」がある
その時にすでに「終わり」を思い描いて
少しだけシュンとなってみることは
傷を負わないためのシュミレーションに近い
物事を当たり前にしないことや
新しい秩序を築いていくには
大切は作業なのかもしれない
そしてまたいつか秋が来て
「あの木はまた花を咲かせるだろうか」
とふと思う
![](https://assets.st-note.com/img/1685861363566-0YHSUyrnzg.jpg?width=1200)
あの花が初めて咲いた時も
「奇跡」だと素直に喜びつつ
「来年は咲かないかもしれない」と
冷静にそう思っている自分も存在した
この世は「不確かなもの」で溢れている
一見普通じゃない出来事も
あり得ないようなことも
夢みたいなことも、喜びも
当然のように起こってしまうけど
慣れてしまうと気づけない大切なものを
気づかせてくれるのは
「終わり」を想像することだった
そしてその時が来ても
「たいしたことじゃない」と
少しだけホッとする自分もいたりする
どうせ月日が流れたら
全ては過去になるのだから
確かなものは
「生」と「死」くらいのものなのに
その不確かなものに
人は頭を悩ませる
確かなものなんて何もないのに
何を怖がる必要があるんだろう
今までもそうやって生きてきたのに
「はじまり」は「終わり」
「終わり」は「はじまり」
これは四季の移ろいと
よく似ている
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