チェンソーマンのアニメの色々を見て元・制作進行が思うこと
はじめに
私は、とあるアニメ制作会社で数年間制作進行をしていて、今はアニメに関係のないところにいる者です。
個人的にチェンソーマンのアニメを見て楽しんで、何だかえらいことになっているのを1ファンとして眺めていました。
その中で、アニメ制作に対する情報不足から来ている意見が多いな~と思い、筆を執りました。
この記事は、チェンソーマンのアニメで議論を呼んでいる原因を、元・制作進行目線で解説し、少しでも皆さんのモヤモヤが晴れてほしいな~という内容です。
それではよろしくお願いします。
原因:期待度が高すぎた
まず勘違いしないでいただきたいのですが、制作陣はとんでもないクオリティで制作してくださってます。
こんなにすごいクオリティなのに、それを上回る期待感を放映前に持たれてしまった。というか、このクオリティで無理ならどんなアニメ化すればいいんだレベルで期待感がデカすぎた、というのが私目線の感想です。
詳しく説明しましょう。
チェンソーマンのアニメ化には、放映前から期待させる要素が多くありました。
MAPPAによる制作、同社制作の「呪術廻戦」のクオリティの高さ、もっと遡るなら「鬼滅の刃」の大ヒットも期待感への要因になっていたと思います。
しかし、ここには2つの「大きな勘違い」があるのです。
1.「制作会社が同じ」=「クオリティが同じ」ではない
よく、「制作会社〇〇!これは神アニメの予感!」といったお話を見かけます。
バッサリ言うのですが、これは間違いです。
それは何故か?作っている人が違うからです。
例えば……制作チームAというものがあったとしましょう。これはアニメーターさんで構成された集団だとお考え下さい。
制作チームAは、会社①に所属していて、ある作品を作って大ヒットしました。
その作品は2期が決定しました。嬉しいですね!
しかし、1期を完成させた後、制作チームAはまるまる会社②に移りました。
このとき、「作品を制作する権利」は、制作チームAにはありません。「会社①」か、「会社①」が属する製作委員会にあります。
さて、2期の制作をするうえで、どうすべきでしょうか?
最高なのは、「会社②」に依頼し、制作チームAに作っていただくことですよね?
しかし、これを外から(ファン目線だけで)観測するとこうなります。
【あれだけヒットした1期から、制作会社が何故か変わった】
心象としては非常に悪いですね。
しかも、このシステムには他にもいくつかの問題があります。例えば、1期で使われた設定は「会社①」が持っていることが多いので、「会社②」でそのまま使うことはできない……といったことです。
ここまでで、ファン目線や作品にかかる権利等々を考えて、「会社①」の制作にした方がやりやすいことがおわかりかと思います。
ですが、「会社①」に、制作チームAのメンバーはいません。つまり、「会社は同じなのに、別のスタッフが作る」状況が発生するのです。
これは「1期と2期」という例ですが、「1つの会社が複数の制作ラインを持っている」場合でも起こります。
MAPPAさんが何本のラインを持っている、などの情報は私にリスクがありすぎて明かせませんが、ためしに「チェンソーマン」と「呪術廻戦」のメインスタッフの方々を比較してみましょう。
※敬称略
※EDクレジットで自力で確認しました。抜けがあったら本当に申し訳ございません。
※太字は重複するスタッフさんです。
<チェンソーマン>
監督:中山竜
シリーズ構成:瀬古浩司
キャラクターデザイン:杉山和隆
総作画監督:杉山和隆・齊田博之・伊藤公規・清水貴子・松浦力・
駿・山﨑爽太・矢島陽介
演出:中山竜・谷田部透湖・中園真登・田中宏紀・吉原達矢・高田陽介・榎戸駿・佐藤威・金子貴弘
<呪術廻戦>
監督:朴性厚
シリーズ構成:瀬古浩司
キャラクターデザイン:平松禎史
総作画監督:平松禎史・小磯沙矢香・清水貴子・西位輝実・小林由美・長田絵里
演出:梅本唯・竹下良平・伊福覚志・阿部英明・高田陽介・長田絵里・朴性厚・御所園翔太・高橋賢・筑紫大介・赤井方尚・田中宏紀・西澤千恵・中園真登・中山竜・神谷友美
どうでしょうか?同じMAPPAさんと言えども、中核となるスタッフの大部分が異なることがお分かりかと思います。
つまり、多くのファンの方々は無意識のうちに「制作会社がいつの間にか変わっていた現象」を体験しており、今回のチェンソーマンのアニメはまさにそれだと言えるでしょう。
結論としては、「制作会社ではなくスタッフで見た方がファン的には良いのではないでしょうか」ということになります。
2.「チェンソーマン」はアニメ向きじゃない
なにいってんだこいつ、と思われるかもしれません。
チェンソーマンはアクションが多く、血しぶきや異形も豊富で、十分にアニメ向きの題材であるからです。
この「アニメ向きじゃない」という表現は、先だってヒットしていた「鬼滅の刃」「呪術廻戦」と比較してアニメ向きではない、ということなのです。
くわしくご説明いたします。
「チェンソーマン」は、「漫画」という題材で最強の魅力を発揮する作品だと思います。(もちろん、「鬼滅の刃」「呪術廻戦」も原作が最高であることに異論はないです。)
「鬼滅の刃」では呼吸が派手なエフェクトとしてアニメ的に補完されていたり、「呪術廻戦」においては領域展開や虚式・茈の表現を大きく美しく盛ることで、素晴らしい映像になっていました。
この、言わば「盛り幅」がチェンソーマンには少ない、つまり「アニメ向きじゃない」と、私は感じました。
これが最大限に出てしまったのが「永久機関」のシーンではないでしょうか。
あのシーンは、もともと漫画の見開きで最大の威力を発揮する画面で、めちゃくちゃ映像化が難しいシーンだと思います。
元が見開き、つまり「画」が完成したシーンを動かすのは難しいです。「どう盛るか」演出家さんは考えねばなりません。
「じゃあ止め画にしろよ」なんて声が聞こえてきそうですが、難しいでしょう。
理由を述べますと、尺が長すぎるからです。
アニメのセリフは、1文字につき3コマと言われています。アニメは基本的に24fpsですから、セリフ8文字で1秒です。
「テメエが俺に斬られて血ィ流して!」から「これでノーベル賞は俺んモンだぜ~!」までは(セリフ間の区切りや伸ばし棒も含めて)78文字。尺にして「9秒+6コマ」となります。
いかに画が素晴らしいシーンと言えど、10秒近く同じ画がアニメで映るのは嫌ですよね?ということです。
しかし、ここで声を大にして言いたいのは「あそこの演出私はものすごく好き」&「それは個人の感性によるところが大きい」ということです。
結局のところ「合う・合わない」があるということ、そして、アニメ的にどうしても難しいシーンというのは存在するということを知っておくと、「ここは演出家さん頑張ったな」なんて玄人面でアニメを見れるかもしれません。
まとめ
情報を仕入れて正しく期待しましょう。その方がファン側も制作側も得すると思います。
おわりに
なかなか話題に事欠かないことになっているチェンソーマンのアニメですが、個人的には大変素晴らしい作品でした。制作陣の方々、そして製作陣の方々も、ありがとうございます!
最後に、再アニメ化の署名運動云々で騒いでいる方々へ。アニメ1本作れる予算を用意してから言ってください。無料の署名でアニメは作れません。
そして、中山竜監督を降ろせとかぬかしてる方々へ。アニメは複雑で、監督に全権はありません。様々な方々が意見を出し合い完成するものです。仕組みを学んでから言ってください。
何か意見や言いたいことがある方は歓迎ですのでぜひどうぞ。
一応私のtwitterへのリンクも貼っておきます。
https://twitter.com/WBGPtomorrow
以上です。長々とありがとうございました!
チェンソーマン最高!アニメ版チェンソーマンも最高!
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