ケンの想い出

※東北大地震のあとに11ヵ国57人の作家たちが、日本のために作品を寄せた『Kizuna-絆』を出版しました。そこに書いた掌編です。

 まだ東京に原っぱがあった時代の話だ。
 小学三年生のぼくは、クラスのリーダー的存在だったマサトに、野球チームを作るから入らないかと誘われた。それまでキャッチボールくらいしかしたことはなかったが、下手でもいいというので、ぼくは参加することにした。
 放課後に、近くの原っぱで練習をしていると、ケンという若い男性が、監督をさせてくれといってきた。ぼくらは相談して、監督はいたほうがいいなと思って迎え入れた。
 ケンは九歳のぼくらより十くらい上の小柄な人で、なにをしているのか、どこに住んでいるのか、ぼくらは知らなかった。
 ケンは、どんな選手に対しても、褒めるのが上手かった。ぼくは、最初のころは打っては空振りばかり、守備では、ぼてぼてのゴロも後逸した。ところが、ちょっとしたよいところを褒めてもらっていたら、ほんの一月ほどで、かなり上手くなれたのである。
 ポジションも外野のレフトから、二塁手になった。打順も九番から五番と上がった。
 もっと上手くなって三番か四番を打ちたいし、ショートを守ってみたいというのがぼくの目標になった。
 ケンは、日曜日にはほかのチームとの試合も組んでくれた。ほとんどの対戦チームは、お揃いのユニフォームを着ていたが、ぼくたちは、選手もケンも普段着のままだった。
 結果は負けてばかりだったが、ケンは怒ることはなく、
「よくやったよ。お前たちは、もっと練習すれば、勝てるようになるぞ」
 そういって、励ましてくれた。
 ぼくは楽しかった。チームの仲間たちも楽しかったはずだ。誰も練習を休むことがなかったのだから。

 ところが、四年に進級するときに、クラス替えがあり、ぼくはマサトと違うクラスになってしまった。ぼくのクラスには、チームの仲間は少なかった。
 ぼくは、クラスが違っても、また同じチームで練習し、試合をするものだと思い込んでいたのだが、
「クラス替えしたから、チームは解散だ」
 あっさりとマサトに告げられたときは、愕然とした。
「ケンにはなんていうの?」
 ぼくの問いに、
「なんにも。面倒くさいからな。お前もいう必要ないぜ。もっと広いグラウンドでユニフォームのあるチームに入ったほうがいいぜ。ケンだと試合に勝てないし、たいした監督じゃないよ」
「でも、みんな上手くなってるから、今度は勝てるよ。だから……」
 ぼくの言葉は、走り去ったマサトには届かなかった。
 ほかの仲間たちも、マサトが決めたことだからと、チームを去るそうだ。中には、つづけたい者もいたに違いないが、マサトには逆らえないようだった。

 そして、いつもの練習の日になった。
 ぼくが原っぱへ行くと、チームの仲間は誰もいなくて、ケンだけが待っていた。
「ほかの連中は遅いな」
 ケンは、普段どおりに、みんなが集まると思い込んでいるようだった。
 ぼくは、口ごもりながら、クラス替えでチームが解散したことを告げた。
「そっか、そりゃあしかたないな」
 僕は、ケンが怒るかと思ったが、あっさりとした答えが返ってきた。
「いままでありがとうございました」
 ぼくが、しょんぼりとした声で言うと、
「ああ」
 ニコっと笑い、じゃあと手を上げて去っていった。
 ケンの後ろ姿は、心なしか寂しそうだった。ぼくは済まない気持ちでいっぱいで、大切なものを失くしたような気分だった。

 その後、マサトは大きなチームに入り、ほかの仲間も、バラバラのチームに入った。
 ぼくも新しいチームで野球をしたが、叱られてばかりで、ケンがいたときのような楽しい野球は、二度と味わえなかった。そのせいかどうか、あまり上達もしなかった。
 大人になり、ケンのことをたまに思い出すことがある。
 ケンは、素晴らしい監督だったと……少なくともぼくにとっては。
 そして、最後に別れたとき「ありがとう」の言葉をちゃんと言えた自分が誇らしく思えた。
                             (了)

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