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椎間板ヘルニア+腰椎分離症の体験

小学1・2年生の頃、甲子園で活躍するPL学園のK・Kコンビの姿に憧れて、上手い下手は置いといて、野球にドはまりした野球少年でした(^^)
特に清原選手が大好きで、「背番号3」と言えば「長島茂雄」というイメージが残っていた時代に私にとっては「背番号3=清原和博」でした(^^)
ソフトボールのスポーツ少年団に入った小学5年生からは学校は野球(ソフトボール)をするために通う場になっていました♪
そんな私が中学と高校で体験した腰椎椎間板ヘルニアと腰椎分離症の経験をまとめてみました。


1.椎間板ヘルニア

ⅰ)発症

中学2年生のとき、1期上の先輩方が引退し、新チームの練習が始まった矢先に右足に力が入らなくなり、膝がカクンとなって右足だけでは立てなくなって、ボールが投げられなくなりました。
それまでは掌が床についていた前屈が膝辺りまでしか曲がらなくなりました。

すぐに整形外科に行き、レントゲンで検査しましたが異常はなく、「筋肉痛」と診断されたため、それを信じてジョギングや筋トレなど軽い練習を続けました。

ⅱ)症状悪化

「筋肉痛」という診断を信じて軽いトレーニングを続けた結果、徐々に右足にの裏側、特に外側にしびれや痛みが出るようになってきました。
1ヶ月ほどでちょっと動こうとすると腰に激痛が走るようになり、足が半足分しか前に出なくなってしまいました。
5分で通っていた学校に1時間かけて通学するような生活になっていました。

前屈は体を曲げたりひねったりしようとすると腰に痛みが走るので、できなくなっていました。
それが怖くて、呼ばれても体全体で振り返らないと、首や上半身だけ回すということができなくなりました。

座っても立っても5分も経たないうちに右のお尻の後ろから太もも、ふくらはぎ、足先まで右足のすべてに痺れと痛みが出るので、同じ姿勢を維持するということが困難な状態になり、病院に行くにも車の後ろ座席で横にならないと耐えられなくなっていました。
車での移動は車の揺れや遠心力によって腰に力が入るため、そのたびに「ウッ」と耐えながら移動していたのを覚えています。

当時の我が家にはベッドがなかったので、床に敷いた布団に寝ていました。
ちょっと背骨を曲げるだけで激痛が走るので、布団への出入りはかなりしんどかった。。。(^_^;)
朝起きて立ち上がるのにいたくないか様子を探りながら体を起こすので、5~10分かかってしまいます。
日中は母が妊娠時の身体の負担を和らげるために購入していたリクライニングできる一人掛けソファがに横になっていましたが、やはり立ち上がるのはしんどいので、トイレは行きたくなったときは粗相がないようにかなり前から準備するようにしていました。

そんな状態なので食事もままならず、お盆に載せた食事を床に置いて、オットマンにうつぶせになってお腹を圧迫しながら食事をしていました。
お腹は空くのに、食べようとするとお腹を圧迫しないといけないという状態。
家族と一緒に食卓に座ることもできず、非常にもどかしかったです。

一番つらかったのはトイレ。。。
まだ和式トイレが普通だった時代、腰痛の人間にとってこんな辛いことはありません。。。(^_^;)
ただでさえ起き上がったり座るという行動のが辛いのに、しゃがんで姿勢を維持しないといけない。。。
今は笑い話にできますが、便秘気味の時や咳が出る時は本当に辛かったです(^_^;)

ⅲ)足もみに繋がる不思議な体験

この症状が悪化の一途をたどる間、両親が「病院でホットパックをするのだから、温泉もいいはず!」と頻繁に温泉に連れて行ってくれました。
「○○温泉が腰痛にいい」という話を聞いてくるとそこへ行きました。

温泉に浸かり、蒸気が満ちた温かい浴室にいると痺れや痛みが消えて前屈もできるようになるんです(^^)
「家の風呂だとこんなにならないのに。。。」それが不思議で不思議で。。。
おそらく、豊富な湯量が作り出す蒸気によって空間全体が温かかったために体全体の血優が良くなった効果だったと思います。

そして涼しい脱衣場に出てきた瞬間に痺れと痛みの症状に逆戻りするのです。。。

今は足もみを通じて血流の大事さを知っているので、なぜそうなったかが理解できますが、当時は中学生だったのでそんな知識はなく、ただただ不思議でした。

この頃はまだ理解できていませんでしたが、既に「血流ってすごい!」って体験をしていたんですね(^^)

ⅳ)入院

症状は悪化する一方で、なかなか回復の兆しが見られないため、大きな病院でMRI検査をしたら、「あ、出てますね。」と素人目にも一目でわかる完全なヘルニアで、即手術と診断されました。
その時に「何でこんなになるまで放っておいたんだ!」と怒られ、「病院には行ってたのに・・・。」と釈然としなかったのを覚えています。

この時が「医療も完ぺきではないんだ」と感じた最初の体験だったかもしれません。この頃は「病気は病院に行けば治る」とか「病院に行けば治してくれる」と思っていたんだと思います(^_^;)

そして、「手術をしたら野球はできなくなる。」と言われて目の前が真っ暗になりました。

でも、入院した大学病院で説明を受けると、ある選択肢が出てきました。
当時開発されたばかりの手術で、メスは入れずに椎間板をドリルのような器具で削り、椎間板の圧を下げて飛び出した部分を引っ込めるという手術。
この手術は体が生長している間しか受けることができない手術で、年齢が上がるほど成功の確率は落ちていくとのこと。
術前の説明では、当時中2の私の成功の確率は20%程、失敗すれば下半身不随になる可能性も有る。とのこと。。。(^_^;)

今の知識があれば「そんなリスクは犯したくないな。。。」と躊躇したかもしれないですが、当時は足もみなど知らず、「野球がすべて」だったので、その手術を受けることにしました。

術前2週間ほどで、レントゲン検査や造影剤を入れての詳細な検査を経て手術に臨みました。
手術は脇腹の少し背中側から器具を入れ、背骨の周りの靭帯に穴を開けて器具を背骨まで通して椎間板を削るというものでした。
手術は下半身麻酔で行われたため、意識ははっきりしています。
「靭帯には麻酔が効かないから穴を開ける時にすごく痛いけど、靭帯に変な衝撃を与えると下半身不随になるから絶対に動かないでね。」
と非常に怖い状況で手術が進行しました(^_^;)
靭帯に穴を空ける作業は最初小さく、少しずつ大きくこじ開けるという感じで3回行われ、それが私が体験したこの世で一番痛い体験になりました。

動けば下半身不随・・・。という恐怖と手に付けた心拍計の音が緊張するとピッピッ!と早くなる恥ずかしさでゆっくり呼吸したりとなんだか変な心境で受けてました(^_^;)

手術の結果…、痛みはウソのように消えました!(^^)
後日MRIで検査したら、椎間板は引っ込んでいなかったけど、神経に当たらなくなったみたいです(^^)

手術で削り取った椎間板
戒めの為に術後にお願いしていただきました。

数日後に同じ手術を受けた高校生は手術がうまくいかず、後日メスを入れる手術になったと聞きました。
やはり成功の確率は低かったようです。

痛みはなくなりましたが、筋肉が萎縮して体がめちゃくちゃ堅くなりました。足を伸ばして座れなくなったのです。
前屈でいうと太ももの半分くらいまでしか指先が届きません。
術後はストレッチによるリハビリが始まりました。

入院中は毎日2回、主治医の先生が来て絶叫しながらのストレッチ。
退院後は主治医の先生がやっていたことを父にバトンタッチしてストレッチ。

半年ほどのリハビリを経てようやくコルセットを付けた状態という制限付きでグラウンドに戻ることができました。
術前のように思うようには動けなくなってしまったけど、野球がきることがありがたく、幸せでした(^^)

2.腰椎分離症

高校2年になった時、野球の練習中にヘルニアの時と同じような痛みと痺れに襲われました。
ヘルニアの時と同じで、布団から立ち上がるのに5~10分かかってしまいます。
ヘルニアの再発を覚悟しまたが、ヘルニアではなく、腰椎にひびが入る「腰椎分離症」でした。

2週間ほど部活を休み、安静にしていたら、痛みが引きました。
「治った!」と勘違いして骨の状態を確認する前に野球をしてしまい、痛みが再発してしまいました。。。
ほんとバカです(^_^;)

「どんだけ野球がしたかったんだ!」と思いますが、当時は夢中だったのだと思います。

画像検査の結果、「もう完全には塞がらない」と告げられ、「無理をするとひび割れたところにかぶさったかさぶたのようなものが割れて放散痛というヘルニアとよく似た痛みが出るから、気を付けてね」と言われました。

客観的に見ると「もう野球やめたら?」と自分でも思いましたがやめられず、20代までは草野球などで無理をすると1週間ほど寝込むことがありました(^_^;)

この腰椎分離症の放散痛は椎間板ヘルニアより「え?」という瞬間に発症することがありました(^_^;)
一番びっくりしたのは、バスを降りた時の衝撃で痛みが出たときでした。
「自分の腰はこんなにもろいの??」とショックを受けたことがあります(^_^;)

足もみに出会う前は椎間板ヘルニアと腰椎分離症は症状がよく似ているため、「もしかしてヘルニア??手術??」と心配してしまい、精神的にもよいことはなかったなと今振り返ると思います。

今は足もみで腰痛が出る予兆を把握したり、出た時の対処法を理解できてきたため、整形外科にはお世話にならずに済んでいます(^^)
また、ヘルニアも分離症も「腰痛」とひとまとめにして「腰が痛くなったら足をもんだら大丈夫!」という感覚で対処できているので、精神面でも楽になりました(^^)

3.足もみに生きた経験

そんな体験をしてきたことが形を変えて生かされる時が来ました。
昨年甥っ子が2カ所の腰椎椎間板ヘルニアになり、「一生スポーツ禁止」と診断された時、自分の体験を話し、足もみでの対処を進めました。

「どうせ部活できない状態なんだから、自分でも足もんでみたら?私がなった時より前々体動いてるから、うまくいけばまたスポーツできるかもよ?」

と話して部活を見学しながら赤棒で足もみに励み、時々施術で様子診せてもらうということをやってみました。

診断された日、前屈で膝の頭に届かなかった指先は1ヶ月で床につきました(^^)

発症2週間後の甥っ子前屈で足の甲に指がつきそうなくらい曲がるように(^^)
4週間後には指が床についてスポーツの許可がでました♪

「スポーツをしていいかどうかは病院に判断してもらってね。」
と伝えて病院を受診してもらうと、スポーツ禁止と言った同じお医者さんからスポーツの許可が出ました(^^)

「いいなー。ヘルニア出たとき足もみがあって。。。」と羨ましく思いつつも、「あの経験は無駄にならなかった(^^)」と感謝。

他にも、様々な腰痛の方が来られます。
そんな方々にも自分の経験や足もみに来ていただいた方の経験が積み重なって対処する時の引き出しが増えました。

腰痛の相談は多く、狭窄症、ヘルニア、側弯、ぎっくり腰、坐骨神経痛などなど、いろいろ傷病名がありますが、足もみでは同じ方法で対処できるのが面白いところ(^^)

足もみで腰痛と向き合うときの改善への流れは様々です。
うちで対応させていただいた腰痛の方に現れた変化はこんな感じのことが多いです。
↓↓↓
・最初は足をもんだら痛みが消えても2時間ほどで痛みが戻る。
 これを何度も繰り返しているうちに痛くない時間が増えていく。
・当日変化はなくて翌日になると痛みが消えた。
・数週間かけて痛みが消えた。
・足をもみ続けると痛みが出ても体が動くようになる。
・腰痛が出る予兆が足を触るとわかるようになる。

体に負担をかけずに自分の血流の力で回復したいとか、一生付き合っていく自分の身体と主体的に向き合いたいという方はご相談ください。

注)もれなく痛みは付いてきます。その点は悪しからず(^^♪

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