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煩悩

まるで5月のような陽気だった。

一日前の春の嵐は嘘のようで、からり晴れた青空と、初夏の日差しがあった。

義母と家族と乗った中央線には、半袖姿の親子が目についた。

黒やグレー、白の服を着た我々は、これからお寺に向かうのだ。
義父の一年早い七回忌、義父の叔母さんの、一年遅れの二十七回忌のために。

突然の暖かさに、息子達のニットのセーターやカーディガンが不要だった。

真白いシャツを着た彼らは、おそらく今日、どこかでどこかに汚れをつけるだろうなと電車内で思った。

長男の風邪が家族内を巡り、最後、私にやってきた。

今日私だけ、午前中の法事だけで帰ります、法事後の会食とカラオケ(義実家の集まりに「酒盛り」と「カラオケ大会」は必須)には不参加です、ごめんなさいと待ち合わせ駅のホームで義母に告げた。

熱はないんでしょう、せっかくのごはんなのに可哀想に、うつらないからあんたも来なさい、食べられるもの、あるでしょう、来なさいと言う義母に、みんなの前でマスクを外したくないこと、食欲が全くないこと、咳が出るからと繰り返し伝えた。

一人暮らしの義母にも、春休みを満喫中の甥や姪にも、年度末で仕事が忙しい義妹とその夫にも、お寺の方々にも、誰にもうつしたくない。

唐突に出る咳は防げないが、とにかく黙っていようと徹していた。

「せっかくあやしもさんが見つけてくれたお店なのに、あんたが行けないなんて……」
「私はうつらないから大丈夫なのに」

義母が気にいる店かどうかは、行ってみなければ分からない。
前回は入るなり「狭い」と言われたが、今回はどうだろうか。

親族の集まり、店選びと予約はいつの間にか私の役割になっていて、店を知らない自分はインターネット検索サイトで探すしかない。
先月の入院前に目星をつけておいた店は、退院したらすでに予約が埋まっていて焦った。


「店までの場所、あんた分かるの?」
義母が夫に聞いている。
大丈夫、地図をプリントアウトしてきて彼に渡してあるし、義母にも、義妹にも、うちの子ども達にも、各自スマホに店のサイトを送ってある。
(夫はガラケーであるのと、行き先は紙の地図派)

薬が効いてぼおっとしている頭でいろいろ考えていたら、駅に着いた。

◇◇◇

お寺の本堂で、席が二列用意されていた。

前列に、義母を真ん中に挟むようにして、夫と義妹の三人座った。
後ろの席に私と息子達、義妹の夫と甥と姪。

法事の最後に、お坊さんが煩悩のお話をされた。

この世にいて、人は煩悩に悩み苦しむこと。
南無阿弥陀仏と唱えること。

本堂に飾られた、お義父さんと叔母さんの小さな写真を見て、生きていた頃のふたりを想った。

目の前の三人の背中を見て、家族が生まれ、繋がってきたことを思った。

夫の大きな背中を見ていたら、妙な妄想が湧いてきた。

まったくもう、と自分にあきれながら素知らぬ顔でお念仏を唱えた。

◇◇◇

店は、みんな大変満足したそうだ。

美味しかったものと歌った歌の話をしてくれた次男のシャツ袖口に、茶色いしみ。

別に落ちなくてもいいや、とぼおっとした頭で思いながら眠った。

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