『アンチヒーローズ・ウォー』 第二章・2
シュガーは慎重に歩を進めた。
耳と鼻に意識を集中し、空中で網を広げるイメージで周囲のようすを感覚する。
大丈夫。身体にはなにひとつ異変はない。
いつもどおりやれば、敵がどこから襲ってこようと察知できる。
ケット・シー組のスタート地点までは、およそ二㎞。
最短ルートは、街を東西に貫く大通りだ。
怪人の全力疾走なら、最高速度到達までの時間やら何やらを加味して三十秒もあれば駆け抜けられる距離である。
速攻をしかけるつもりなら、とっくに会敵していてもおかしくないが、いまのところその気配はない。
向こうもこちらの出方を窺っているのか――
「止まって」
「どした?」
すぐ後ろをついてきていたシャーリーが訊ねた。
「焦げ臭い。それに、なんか爆ぜる音がする」
「物が燃えてるのか。どこだ?」
ぴくん、とシュガーは耳を動かした。
「一個じゃない。すくなくとも五……いや、六?」
「なんか罠でも仕掛けたのかな?」
「わかんない。とりあえず、いちばん近いやつを調べてみる」
「わかった。気をつけろよ」
十字路を左折し、崩れかかったビルの隙間に入る。
打ち捨てられたガラクタを蹴飛ばさないよう注意しつつしばらく行くと、次の通りに出た。
音の発生源はすぐにわかった。
無造作に突き立てられた棒の先で、炎が燃えている。
松明《トーチ》――ゾルダの仕業か!
すぐさまふたりは周囲を見回したが、それらしき姿はない。
「つか、なんのためにあんなモノを?」
シャーリーがいう。当然の疑問だ。
とにかく調べてみようと、シュガーは松明に近づいた。
「き、気をつけろよ」
「うん。わかっ――」
いい終える前に、炎の中心からその一部が弾丸のように飛び出した。
とっさに首をひっこめる。高熱を発する物体がシュガーの頭上を通過してゆき、背後の壁に衝突した。
振り向いて確認すると、壁が溶けてこぶし大の穴があいていた。
「ぶっ壊せ!」
「わかってる!」
再度松明から火球が発射されたが、取り出した三尖刀で弾き返した。
一度攻撃すると、数秒のクールダウンが必要らしい。
その隙を逃さず接近。
燃えている根元をひと突きし、落ちたところを何度か踏みつけて火を消した。
ここで気を抜くほど、シュガーもぼんやりしてはいない。
案の定、周囲を取り囲むように、新たな炎が現れた。
あからさまに松明のかたちをしているものは囮。それを破壊すると、隠されていた火種に点火する仕組みのようだ。
炎の輪の中心にいるシュガーに向けて、一斉に火球が発射された。
横に一回転して、火球のことごとくを叩き落とす。同時にシャーリーが、炎すべてに投げつけたカミソリを命中させた。
「ナイスコントロール! つか、なにが正面から戦うタイプよ。めっちゃ搦め手使ってくるじゃん」
「いや、こんくらい予想の範疇だろ。むしろこれで仕留められるとか思ってンなら、それこそ脳筋っつーか」
今度こそひと安心、と思われたが、戦闘の緊張で研ぎ澄まされたシュガーの耳は、背後の物音をはっきりと捉えていた。
会話を続けながら振り返り、奇襲の成功を確信している敵に、問答無用のひと突きを喰らわせようと試みる。
そいつは、地面から生えるようにして出現していた。
目が合う。宝石のような、きれいな瞳。
小柄で、細くしなやかな手足。
身体に張りつくような黒の衣装。網目のアンダーウェア。
カメレオンの名を持つ少年は、忍者モチーフの怪人《ノワール》だった。
ユリーはすでに攻撃態勢に入っていたが、彼の手にした小太刀は三尖刀とかち合い、シュガーに届くことはなかった。
「どぉぅぅらぁぁぁぁアアアアッッ!!」
横合いからシャーリーが駆け寄ってくる。
ユリーは素早くシュガーから飛び離れ、突っ込んできたシャーリーの腹に、カウンターのひと蹴りをくれた。
こちらも小柄なシャーリーの身体は軽々とふっとんだが、攻撃したユリーも苦痛に顔を歪めていた。
「へっ。オレは全身にカミソリを仕込んでンのよ。うかつにさわるとケガするぜェ」
「………」
ユリーは返事をせず、傷ついた足をかばうようにじりじりと後退すると、地面に腹をつけるような姿勢を取った。
すると、衣装を含めた彼の体色が一変し、瞬く間に地面に溶け込んでしまった。
「野郎ッ。逃げる気だ!」
シャーリーが指さした。
地面の上に、点々と血の跡が続いている。
「逃がすな! 追って仕留めちまえ!」
「うん!」
シュガーが駆け出す。
その背中を見送りながら、よろよろとシャーリーは立ちあがった。
口許についた吐瀉物を拭う。
あれはなかなかいい蹴りだった。彼女のほうも、それなりにダメージを受けていたのだ。
腰に手をあて、動かずにいると、建物の陰から人影が現れた。
「よう。待ってたぜ」
シャーリーはニシシと笑う。
「見た目によらず小細工を弄するじゃあねーか。ひょっとして来ないんじゃあないかと心配になっちまったぜ」
「怪人《ノワール》は見た目じゃあないんだろ?」
赤茶色の装甲に覆われた巨躯の怪人《ノワール》――トーチスコーピオンのゾルダは、唸るような低い声でいった。
「こっちとしちゃあ、戦力を分断したつもりだったんだが。わかってて乗ってくるたァ、えらい自信だな」
「よけいな邪魔を気にせず、思いっきりヤリ合いたかったのさ」
「たしかに、俺もそのほうが好みではある」
ゾルダも、口許に凶暴な笑みを浮かべた。
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