『バラックシップ流離譚』 影を拾う・4

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〈幽霊船〉に住む竜族といえば、人のような竜――人竜族《ツイニーク》と、竜のような人――竜人族《フォニーク》がその代表だ。
 本来群れることが嫌いな彼らだが、船内では〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉なる集団を形成し、最強勢力の一角を担っている。
 竜たちにとって鬼とはなんなのか。
 なぜそう呼ばれるようになったのか。
 そこまでは〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉にも書いていなかった。

「あっ、この本意外としょぼいなって思ったね?」
「お、思ってません……」

 シャービィは慌てて否定したが、本当はちょっと思っていた。
 さすがは〈記録魔《ザ・レコーダー》〉。
 伊達にあちこち探索して回っていない。たいした観察眼である。

「あくまで『今は』だよ。新しく事実が判明したら、ボクが書き加える。そうやって〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉は完成に近づいていくんだ」

 だから、なにかわかったら真っ先に報せてくれたまえ。
 ニーニヤはそういって、シャービィとマキトの肩を叩いた。

「あ、あんたは来ないの?」
「あいにく今日は外出日ではないのでね」

 心底残念だというように、ニーニヤは口許を歪めた。



「どこにいけば竜族に会える?」
「そうだねえ」

〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の本拠は船首側上層にあり、彼らの生活圏もその周辺に偏っている。
 なので、その辺をぶらついて出くわすのを待つのが妥当ではあるが、問題がふたつあった。
 ひとつは、彼らの絶対数が少ないこと。
 もうひとつは、好戦的な性格なため、彼らの関わる揉め事に巻き込まれる危険があることだ。
 シャービィひとりならなんとでもなるが、マキトの安全までは保障できない。

「気長にやるしかないかねえ……」

 とりあえず人通りの多い通りを目指す。
 シャービィは人ごみに酔う質《たち》なので若干つらい。あるいは早めに休める場所を確保し、そこから通行人をチェックしたほうがいいかもしれない。
 そんなことを考えていたら、マキトからすこし遅れてしまった。
 慌てて足を速めようとしたところで、前からやってきた男とマキトがぶつかった。

「あっ」

 急いでいた相手に肩をひっかけられたという感じだったが、マキトはバランスを崩し、さらにもうひとりとの衝突をかわした拍子に鞄を取り落としてしまった。
 落下の衝撃で、鞄の口がひらく。
 マキトはそれに気づいたようすもなく、とっさに手をのばした。

「マキト!」

 まるで黒い舌がのびるように、鞄の口から大きな塊となった影が這い出てくる。
 それは瞬く間に、マキトの指先から手、そして腕へとまとわりついた。

「お姉ちゃん!」

 どういうことだ。
 ずっと無害そうだったのに、突然人の味が知りたくなったとでもいうのか?
 ともかく、影を引き剝がさなければ。
 しかし、やはりというか。
 シャービィでは影をつかもうとしてもすり抜けてしまう。
 這い進む方向に手を置いて待ち構えてみるも、同様の結果に終わる。

「く、喰われてる感触はある!?」
「ううん……でも、すごく冷たい……」

 苦痛はなさそうだが、かなり気色悪そうではある。
 それに、感覚を麻痺させられているだけという可能性も捨てきれない。

「くそッ。どうしたら……」

 通行人には、やはりなにが起きているのかわからないらしく、慌てふためくふたりをぽかんと眺めるばかりだ。
 なすすべもないこの状況にシャービィがおろおろしていると、ふいに背後から女の声がした。

「なるほど、本当に鬼だ」

 突然現れたその女は、シャービィの肩ごしに影をつかんだかと思うと、子犬でもつまみあげるようにあっさりとマキトの腕から剥ぎ取った。

「ここに入れとけばいいのかな?」

 鞄を指さす女に、シャービィはわけもわからぬままうなずいた。
 女が影を鞄に押し込め、パチンと金具を閉じる。
 マキトは声もなくへたりこんでいたが、どうやら腕はなんともなさそうだ。

「よかった……」

 シャービィは胸をなでおろした。

「ありがとうございます……ええと」
「瀬青《らいせい》」

 中性的な美貌。
 鮮やかに染めた髪に棘付きのチョーカー。
 艶めかしく身体を覆う革製の衣装。
 肉食か草食かと問われれば間違いなく前者。
 明らかに、シャービィとは違う人種だ。
 そして、その名には聞き覚えがあった。
〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉傘下の諜報組織・太歳《タイスィ》――瀬青はその首領であり、小竜姫の側近としても知られている。

「あ、あんたが……しかも、竜じゃない……?」
「よくいわれる」

 気を悪くしたようすもなく、女は微笑んだ。
 そうだ。この女が本当に瀬青であるなら、出会ってまずひっかかるのは‟そこ”のはず。
 なのに、彼女が‟人族”であることは、その名ほどは知れ渡ってはいない。

「魔法だよ。私に関する記憶は、私から遠ざかると曖昧になる」
「それは……諜報活動のため、ですか?」
「まあね」

 瀬青は片目をつぶった。

「と、とにかく助かりました。あんたが通りがかってくれなかったら、どうなっていたか……」
「偶然じゃあないよ。太歳の者はあちこちにいて、異変があれば報せてくれる」
「鬼って……いってましたよね。やっぱり、危険なものなんですか?」
「ほとんどの場合は無害だよ。ただ、大量に集まるとよくない」
「よくないって、どんなふうに……?」
「ふむ。それを説明するには、鬼とはなんなのかを話さないといけないわけだが」
「教えてください!」

 マキトが勢いよく立ち上がり、会話に割って入った。

「そ、そう……ですね。私ら、まさにそれを調べてたんで……」

 お願いします、とシャービィも一緒になって頼んだ。
 瀬青が苦笑する。

「そんなにかしこまらなくても、べつに秘密にしてるわけじゃあないから」

 話せるところにいこうか、という瀬青の提案に、シャービィたちも同意した。
 瀬青のうしろについて歩くのは、なかなか奇妙な体験だった。
 容姿も服装も派手といっていいのに、道行く人々の誰も気に留めるようすがない。
 さっきいっていた魔法とやらは、単に記憶に作用するだけでなく、そもそも彼女への関心自体を起こりにくくさせているのかもしれない。
 案内されたのは、どこにでもある飯屋だった。
 奥まったテーブル席を確保し、シャービィとマキトは隣同士、瀬青はその向かいに座った。
 うずうずするマキトをよそに、瀬青はいかにも慣れたふうに注文をする。
 給仕の姿が遠ざかるのを見計らって、彼女はあごの下で指を組んだ。

「さて、なにから話そうか」
「鬼ってなんなんですか!?」

 被せ気味にマキトが訊ねた。

「元気のいい質問者だね。いつもこうなのかな?」
「もったいぶらないで教えてくださいよ。そもそも、こんなモンが鬼っていわれても、ぜんぜんピンとこないんですけど」
「簡単な話だよ。“私たちの世界ではそうだった”」

 マキトが首をかしげる。

「それって、竜さんたちの故郷ってこと?」
「ちがうよ。見ての通り、私は竜人《フォニーク》でも人竜《ツイニーク》でも、ましてや長老と呼ばれる古竜の一人でもない。ただの人族だ」
「そこがわからない……ですね。どうして人族が〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉とつるんでるんです?」
「それは、鬼の話とは関係ないね」

 瀬青はうっすらと笑みを浮かべる。話す気はないらしい。

「鬼の定義は様々あるが、私たちの世界においては“見えないもの”、“隠されたもの”を元々そう呼んでいた。竜たちは、それに倣ったにすぎない」
「見えないもの……」
「人はことのほか、闇を畏れる生き物だからね。しかし、恐怖に打ち克つため、長い時をかけて闇に目を凝らし続けた結果、ある程度まではその正体が知れた」

 ごくり、とマキトが唾を飲み込む。

「鬼とは、“あり得たかもしれない可能性の残滓”――叶わなかった夢、果たされなかった約束。選択されず、顧みらぬまま打ち捨てられ、この世に生まれ落ちることさえ許されなかった未生の“なにか”だ」
「え……ど、どういうこと?」

 マキトは聡い少年だが、さすがに説明が難しすぎたようだ。
 かくいうシャービィも、よくわかっていない。

「つ……つまり、恨みつらみとか、無念の想いとか……そういう負の感情が集まったもの……で、合ってますか?」
「想いであれば存在したことになるが、鬼たちは“それですらない”――が、イメージとしては近いかな」
「むぅー。よくわかんない」

 シャービィとしては、大雑把な理解で構わなかった。
 鬼の正体に、そこまで興味があるわけではない。
 マキトは不満そうだったが、そこから先は次第だろう。

「さっきもいった通り、鬼はほとんどの無害だが、たくさん集まりすぎるとよくない。具体的には、“奴らと同化させられる”」
「食べられちゃうってこと?」
「まあ、そうだね」

 瀬青が威嚇するように歯を剥いて笑うと、マキトは怯えたように身をすくませた。

「だから、ときどき掃除が必要になる。といっても、たまに見つけたら捕まえて、〈虚無の海〉に捨てるだけだけど」
「捨てちゃうの!?」
「てか、あんたたちそんなことしてたんですか」
「人が生きている限り、鬼は決していなくなったりはしないからね」
「人によってさわれたりさわれなかったり、見えるだけだったりするのはなんで?」
「鬼を知識として知っているかどうかも大きいけど、まあ個人差かな」
「はぁ……なんかぼんやりした答えですね」
「仕方ないだろう。鬼についてはまだまだわからないことだらけだ」

 それでも――瀬青は、どこか遠くを見るような目つきになる。

「我が姫は、あらゆる選択を嘉したもう」
「ん、なんです?」
「なんでもない。それより、こっちからも訊きたいんだが」

 いきなり真正面から見据えられ、シャービィはたじろいだ。

「さっき、きみはこの子に纏わりついた鬼を素手で取り除こうとしていたね」
「え……ええ。さわれはしないけど、なんとか自分の腕に移せないかと……」
「もし、それがうまくいっていたら、その後はどうするつもりだったんだい?」
「それは……」

 答えに窮し、シャービィは黙り込んだ。
 服の裾を、マキトがぎゅっとつかんでくるのがわかった。
 少年の目は、なぜそんな危険な真似をしたのかと責めているようだった。

「と、とっさのことで……自分でもよく……」
「そうかな。きみには確信があったんじゃあないのか?」
「な、なんの……」
「自分は大丈夫、という――そうだな。例えば、鬼に喰われかけても、腕ごと切除すればいい、とか」
「お姉ちゃん……?」

 マキトの声で、シャービィはようやく自分が震えていることに気づいた。

「な、なにをいってるか……ぜんぜん」
「ああ、やはりか。というか、当然周囲には秘密にするか。しかし、最悪バレてしまっても構わないと思ってるんじゃあないのか? きみにとって、ただの人間なんてものは――」
「やめろ!」

 今日いちばんの大声を、図らずも発していた。
 他の客が、何事かとこちらを向いたが、すぐに興味をなくしてそれぞれの食事や会話にもどる。

「どういうことなの? お姉ちゃん……」
「私からいおうか? それとも――」
「……自分でいう」

 額に手をあて、シャービィはため息をついた。
 腹立たしいが、瀬青のいう通りだった。
 こんな日は、いつかかならず、それも望まぬタイミングでやってくる。

「マキト……私は、とある事情で死ねなくなった人族なんだ。しかも、歳を取らない……忌まわしい呪いのせいだ……そんなモノは、この船には一種類しかいない……私は……〈幽霊船〉の正規クルーの一人、シャービィ・グランソールだ」


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