『バラックシップ流離譚』羽根なしの竜娘・13

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 美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、リーゼルは目をあけた。
 テーブルの上に料理が並んでいる。
 耳になじんだ喧噪。
 周囲にたくさんの人の気配があった。

「おはようさん。なんか食いたいものある?」

 女給の格好をした猫人《マオン》が声をかけてきた。
 それで、ここが酒場〈酔鯨〉だと気づく。セレスタと何度も来たことがある店だ。
 即答できずに「あ゛~」と唸っていると、対面に座っていたフローラが「とりあえず水でも飲んで落ち着きなさい」と言った。

「適当に頼んどいたから」

 たしかに、すでにかなりの量の料理がきており、新たに注文するよりも、まずはこちらを平らげるのに専念したほうがよさそうだ。
 もっとも、フローラの前に積み上がった皿の数を見るに、二人の竜人《フォニーク》の腹を満たすには、これでもまだ不十分かもしれない。

「私……どうしちゃったんですか?」
「邪魔が入ったのよ。瀬青っていう、いけ好かない女のね」
「ああ……たしか、太歳? を率いてるっていう……」

 顔はまったく覚えていないが、意識を失う直前、なにか甘い匂いがしたような気がする。

「小竜姫様もそうだけど、あの女も魔法使いなの。そうか、だとしたら薬か、そういう術であなたを眠らせたのかもしれないわね」

 しゃべりながらだというのに、それこそ魔法のように料理がフローラの口に吸いこまれていく。
 それでいて、行儀悪くは見えないのはさすがだ。
〈竜の末裔《ドラゴニュート》〉の若手の中でも、彼女は特に洗練された振る舞いというものにこだわりを持っていた。

「そんな人が、なんで勝負を止めようと?」
「わたしたちが怪我しないように、でしょうね。おせっかいと言いたいところだけど、あなたは暴走状態だったし、わたしも熱くなりすぎてた自覚はあるわ。だから反省しなくちゃだし、感謝もするわ。いちおう……」

 そこまで言ったところで、フローラはちょうど口に入れていた肉の塊を骨ごと噛み砕き、テーブルに手のひらを叩きつけた。

「ええ、そうよ! 感謝すべきなのよ! 忌々しいったらないじゃない!」
「フローラさん?」
「だいたいなんなの? あいつ、どう見たって人族じゃない! そんなのがなんでわたしたちに対して上から目線なの?」
「落ち着いてください、フローラさん」

 あんまりバンバン叩いたら、テーブルが粉微塵になってしまう。
 ただでさえ竜人《フォニーク》の腕力は強いのだから、気を遣って生活しないと。

(あれ? 気を遣うといえば、もしかして……)

 リーゼルは考え込み、そして確信に至った。

「フローラさん、私と戦ってるとき手加減してました?」
「はあ!? あったりまえじゃない!」

 脊髄反射的に、彼女は答えた。

「やっぱり。だから牙や爪は使わず、打撃と関節技ばっかり仕掛けてきたんですね」

 まあ、その関節技で死にかけたわけだが、そこは勢い余ってのことだろう。
 見ると、フローラは動きを止め、その顔は真っ赤になっていた。

「ち、ちが……」
「意外と優しいんですね。まあ、やり方ははっきり言ってどうかと思いますけど」
「だから、ちがうって言ってるでしょ!」

 皿が飛んできた。
 首をすくめてかわす。後ろで悲鳴があがった気もするが、空耳だと思うことにしよう。

「あなたを傷つけると、立場的にいろいろまずいのよ! なによりっ」

 テーブルを乗り越えてきたフローラは、リーゼルの首根っこをつかみ、耳許に口をよせた。

「治療のために、セレスタに血をかけてもらえるじゃない。そんなのうらやま――じゃなくて、彼に迷惑がかかるでしょう?」
「ああ、そうか。他の竜の人たちは、自分の血の力で怪我が治っちゃいますもんね」
「そうよ。すべてはあなたの、よくわからない体質がいけないのよ」

 リーゼルの首をロックしていないほうのこぶしが、怒りのためかブルブルと打ち震えた。

「それについては、私も忸怩たる思いを抱いておりまして。そもそも他人の血を浴びるとか、ふつーに嫌ですし」
「なに言ってるの? 最高じゃない」
「はあ!?」

 おっと、聞き違いかな?
 さもなくば、まだ寝ぼけているとか。
 字義通りに理解するよりも、そのどちらかのほうが可能性が高そうだと思案し、リーゼルはもう一度いまのセリフを繰り返すよう、フローラに頼もうとした。

「セレスタの血よ。ぶっかけられたいに決まってるでしょう」

 聞き違いではなかった。
 絶句するリーゼルをよそに、フローラの力説は止まらなかった。

「彼の温もりと、香りと、なによりも命そのものが、鱗の隙間にまでしみ込むのよ? ひと口すすれば肌を合わせるよりも深く、彼と一体になれる! そんなの、考えただけで恍惚としてこない?」
「しません。わかりません」
「例の薬屋が、竜血を欲しがってるって話があるわよね。長老たちは反対してるけど、あれ、わたし的には実現して欲しいの。もし許可がおりたら、わたし真っ先に自分の血を売りにいくわ。そして、その状態のまま事故に遭うの。そうしたら、傷を治せないわたしのために、セレスタが血をかけてくれるでしょう?」
「その発想はありませんでした。正直、すごいと思います」
「ええ、ええ。思いついたとき、わたし目が冴えてしまって、その夜はぜんぜん眠れなかったわ」
「でも、敢えて言わせてください」
「なにかしら?」

 キラキラした目で首を傾げるフローラ。
 リーゼルは、首にかかっていた腕を外し、ゆっくりひと呼吸おいてから、極上の笑みを浮かべつつ、

「掛け値なしの変態ですね」

 言った瞬間、こぶしが飛んできた。

「ちょ……グーで鼻は……」
「もうちょっと表現に手心を!」

 フローラと戦ったときの、どんな攻撃よりも痛かった気がする。
 そのあとの食事は、血の味がして、いまいち愉しめなかった。

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