アスカ派の私がアヤナミレイ(仮称)に惹かれたワケ 映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』感想

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 公開からずいぶん時間が経ってしまったけれども、さすがに本作に関しては何かしら書いて残しておかねばならないと思う。
 というのも、半ばを終えた時点で「あのエヴァが終わった」ことは、日本のアニメ界、映画界含めてもっとも重大な事件のひとつであるからだ。
 長く続いたシリーズが、きちんとしたかたちで完結するというのは紛れもない偉業であり、庵野監督や制作陣のみならずエヴァという痛烈なインパクトに直撃された世代にとってもひとつの決着であったろう。
 しかしながら、作品の総論や考察といったものは他の方がさんざんやっていることもあり、ここでは私個人が作中で特に印象に残った一要素についてのみ語ろうと思う。
 いまさら気にする人もいないだろうが、ネタバレを含むのでご注意を。
 久々の映画記事である。手短にいこう。

 予告

 まず『シン・エヴァンゲリオン劇場版(以下シン・エヴァ)』は、大きく四つのパートに分けられる。
 すなわち、

①パリ市街戦
②第3村
③ヴンダーに戻った碇シンジが戦う決意を固めるまで(このパートをさらにふたつに分けるという意見もある)
④マイナス宇宙での決戦

である。
 このうち、皆さんの印象にもっとも残っているパートはどれだろうか?
 ④の最終決戦を挙げる人はもちろん多いだろうが、②という人も相当数いそうである。
 かくいう私も②であり、今回語るのもこのパートについてである(タイトルでバレバレだった)。
 ざっと説明すると、Qで起こったあれやこれやで喋れなくなったシンジ君が、かつての同級生であるケンスケやトウジたちと再会し、ニア・サード・インパクトを生き延びた人々が作った第3村で過ごすパートである。
 ここでのシンジ君は他者との関わりをシャットアウトし、自分の殻に閉じ籠ってしまうが、対照的にアヤナミレイ(仮称)は初めてNERV関係者以外の人間と接し、「人が生きるということ」を学んでいく。
 これまで謎の存在による地球規模の災害やら内的宇宙やらを延々描いてきたエヴァで、このようにミニマムな営みが描かれたことも、初めて「まともな大人」が登場したことも、私にとって大きな衝撃だった。
 庵野、なにがあったんだ(いやまあ結婚とか古巣との決別とか色々あったよね)という驚きもさることながら、ようやくそこに踏み込んだことで(後の父との対話と併せて)エヴァの終わりが近づいているという感慨ももたらした第3村パート。
 そこには、ある物語の類型がある。
 それは「人未満のものが人間性を獲得していく」というものだ。
 類型というからには先行作がいくつもあるはず、と思われるだろう。
 例を挙げると、以前取り上げた『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』がそうだし、東映特撮の名作のひとつ『超人機メタルダー』がそうだった(メタルダーについては機会があればいずれ語ってみたい)。
 手塚治虫『どろろ』は原作もだが、2019年に制作された新アニメ版ではさらにその部分が顕著だった。
 他にも伊藤悠『シュトヘル』、千賀史貴・鉄田猿児『ハイメと臓器姫』、大今良時『不滅のあなたへ』、古いものであればコッローディ『ピノッキオの冒険』やワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』にまで遡れる。
 起源となるとさすがにわからないが、ひょっとしたらアダムの物語がそうなのかもしれない(おお、エヴァと繋がった)。
 これらは、いわゆる成長譚の一種に分類される。
 絶望的な断絶(コミカルに描かれる場合もある)からスタートし、初めて意思疎通できた瞬間の感動、後に振り返った時のしみじみとした感慨など、王道ともいえる要素を持つ。
 お気づきかもしれないが、私はこのパターンに弱い。
 そういう自覚があるだけに、第3村パートのアヤナミレイ(仮称)は過去最高に魅力的な綾波として映った。
 それだけに、彼女に訪れる結末もわかってしまい、つらかったわけだが。

 人ならざるものが人になる。
 人として生きたならば、死によって人生の完成とする。

 恐れを知らぬ半神の英雄ジークフリートは、ブリュンヒルデと出会うことで愛を知り、恐れを知る。
 かくして神性を失い、人となったジークフリートはハーゲンによって討たれるのである。
 ラインの黄金は元の場所へと還り、円環は完成するのである。
 アヤナミレイ(仮称)は、第3村での生活を通して人となり、人としての生を全うした。
 死の直前、黒いプラグスーツがオリジナルの綾波レイと同じカラーに変化したのも、プラグスーツの期限切れという理由以上に、彼女が唯一魂を持っていたオリジナルと等しい存在となったことを意味している。


 ※ちなみに人外が人になるのが必ずしもOKというわけではなく、本来の生き方を歪めてしまうのはちょっとどうだろうと思うものである。
 人間って、そこまで上等なもんではないので……。
 例えば『アナと雪の女王』にはそういった意味で不満があったのだが、続編でエルサが己のルーツを知り、妹と別れて暮らす決断に至ったのは素晴らしかったかと。


                             ★★★★★


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