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95年生まれ短歌同人誌「はなぞの」の感想

 現代短歌をする人間には、どこかこの「現実」を転覆させてやろうという気持ちがあるような気がする。でも、ずっしり構えて「現実」と取り組む、というのではなく、横から足を掛けて飄々とひっくり返すことを試みているような。なにせ三十一文字である。最小限の力で最大限揺さぶりをかけられるポイントを確と把握していなければならない。だから、彼らは極めて「現実」把握能力に長けたアナーキストなんだと思う。
 「はなぞの」は95年生まれ短歌同人誌らしい。かくいう私も95年の生まれなので、「なんだよずるいな」なんて気分になりながら、同い年の歌人たちがどんな歌を詠うのか、楽しみながら読みました。私は短歌はそれほど読む方でも詠む方でもないので、詩的に読んでみてグッときた短歌をいくつか挙げて、感想します。どうか饒舌な私を許してください。​


〈連作五首・十首・十五首〉

平尾周汰さん(「雨の日の」より)

雨の日の、古書肆の奥へ奥へ沈んでゆけば老ミヒャエル・エンデの睡り
二番通路を踏むたび満ちる本の香の、ここはどこかの記憶であった

 ミヒャエル・エンデといったら『モモ』がなんといっても有名ですよね。大好きな小説です。時間を貯めようとして、結果的に時間を奪われることになる人々と、失われた時間を取り戻そうとする少女モモの話。「ミヒャエル・エンデの睡り」にたどり着くにはたぶん7音を超えてしまっても、「奥へ」行く必要があった。そして、二首目は『モモ』に出てくる「時間の国」を彷彿とさせます。日常の時間や空間から溶け落ちてゆくような、未来から過去を覗き見るような、自分が未来の誰かの記憶に思われるような、古書肆にいるときのそんな気分を思い出させてくれました。


大川京子さん(「サンデードライバー」)

朝10時会社を辞めた同期から寝ぐせの写真が送られてくる

 すごく伝わってくる。たぶん会社を辞めた同期も、働いていた頃には寝ぐせは写真に撮って送るものではなく、少しでもはやく直すべきものだったはずだ。10時という時間もまたいい。生活リズムが狂い切っていない、まだ働いていた頃の名残を感じる。小憎たらしい思いと、微笑ましい思いと、混じり合っているんだろうなぁ。


川崎瑞季さん(「フェアウェル・パーティ」より)

この先にやるべきことがあるような道を進んでローソンを右
BB弾なる鉄砲玉 ブランコのある公園でずっと埋めてる

 きっとそこにやるべきことはないんだけど、あってもまだそれが浮き上がってきてはいないのだけど、あそこに何かがある、という感覚、身に覚えがあります。そして「ローソンを右」から続く二つ目の歌。これは95年生まれの感覚でしょうか、やたらとBB弾が転がっている公園ってありましたよね。オーソドックスな黄色のやつだけじゃなくて、透き通った黄緑色のやつや真っ白なやつもあった気がする。意味もなく、それを集めたり埋めたりしました。地元のやんちゃな中学生あたりが遊んでいたのかな。馴染みのある感覚を浮き彫りにしてくれるような歌たちでした。


はたえりさん(「遠景」より)

いもうとはきみのいもうとでもあるが腕の細さに花を重ねた

 何度読んでもわからなかったんだけど、どうも印象に残って離れない歌でした。3人以上の兄弟姉妹で、A、B、「いもうと」と年齢順に並んでいて、AがBに語っている、ということなんだろうか、だとして、「が」はどうつなげているのかわからないし、結局すとんとは落ちてこないまま、でも放っておくことのできない歌でした。

石ふたつぶつかりあってちらばってきみの指さすはるかな荒野

 こちらは音が気持ちよかったです。タ行を発音するたびに、口内でふたつの石がぶつかりあってはちらばってしていました。


布谷みずきさん(「月が微笑めば」より)

しろたへの太もも猛しむきだせば摂氏零度で蚋は噛みつく

 わからないけど、漂う官能的な雰囲気に惹かれた歌です。「しろたへの」という枕詞とそれに続く太もも。それに蚋という実際には0℃では活動しないであろう虫が摂氏零度で噛みつくという。どこに魅力を感じたのかはわからないけど、好きな歌でした。

ものいわぬものを愛せよ墨塗りのせかいで生きていくぼくたちは

 私たちは随分沈黙が顧みられない時代に生きているような気がします。目立つのはいつも騒々しいもの。墨塗りは戦後すぐの頃、ナショナリズム的な文言を消すために用いられたけど、今は「ものいわぬもの」が墨で潰されているような気がする。


鉢屋七丸さん(「ヒーローになりたかった」より)

現実に放ちし僕の必殺技紫の痣残すばかりの

 「ヒーローになりたかった」というタイトルの元にある十首で、それぞれの歌に「色」が入っているところから「紫」と「無色」だけを抜き出しての感想です。必殺技を放っても、それは現実の痣として残ってしまう。どこまでも現実を突き破ることはできず、余ったエネルギーだけが己が身を損なう、それが現実なんですね。

現実のヒーローたちに色は無くそれを笑える私でもなく

 「現実のヒーロー」っていったい誰だろう。目立たないながらにこの「現実」を支えている匿名の戦士たち、なのかな。その色の無さを笑ったところで、その声が虚しく響くことも「私」にはわかっている。戦隊ヒーローって極めて現実的な虚構だ。


懶い河獺さん(「鏡、または空白」より)

また会えるかもしれないかもしれないと冷たい手でする自慰ほどの嘘

 「かもしれないかもしれない」の重なりは、再び会える可能性のなさだ。そして音的にも気持ちのいいこの反復は、手の動きとたぶん連動している。かもしれない、かもしれないと、「冷たい手」ですれば「する」ほど、会える可能性が遠のいていってしまう。だとしたら、この自慰はまた会えることを期待しているようでいながら、会うことから遠ざかっていく「嘘」だ……。身体性と音楽性と意味とが重なりあう、ものすごい歌でした。


うにがわえりもさん(「無敵のこころ」より)

とび職のおじさんラスクを食べている耳に鉛筆挟んだままで

 感想の必要がない歌でした。この歌が大好きだということ以外に述べる言葉がありません。

干からびたいくらを舐めるねこがいてまだ明るさのなかにある駅

 駅でおにぎりか弁当かを落とした人がいたのかな。破れてだらしなく乾いているあの魚卵だったものと、ざらついた猫の舌と、二つの質感の出会いが心地よかったです。私はこの二首を写真的に味わっていました。


佐原キオさん(「ア・薔薇・骨」より)

梨に刃を立てると梨がおのずから輝く術を香りと呼べば

 水分の多い梨は少し箸を刺しただけでも、果汁が飛び散り香りが舞う。そうか、あれは梨がおのずから輝く術だったのか。「刃を立てる」人間を契機として、梨が輝く。外側から自然と人間が出会う瞬間。嗅覚に訴えかけてくる歌でした、梨食べたいよ。まだ初夏なのに。

用水の泥が抱えるつやめきを光の希少種としていとしむ

 用水路は用水路だから「汚い」っていう「当たり前」がありますよね。でも、用水路の泥も水道水や清流と同じようにつやめいているはず。そんな光の希少種を見出すことのできる人もまた希少種だ。

僕たちをあるべき過去へ追いつめる遊動円木、あるいは薊

 調べてはじめてアレが遊動円木という名前なのだと知ったけど、辞書を引いたのはこの歌いいなあ、って思った後です。「遊動円木」という言葉にひそむ物理力学宇宙数学っぽさ。遊星やメリーゴーランドやトーラスといったもののイメージが同時に立ちあらわれてきました。そして今や還ることはできないが、「遊動円木」の意味を知らなかった方が、この歌に浸っていられた気がする。もはや私のなかで円形の木片があちこち動き回ることはなくなってしまったし、その木片と対照的な造形をしているチクチクの薊も地に足をつけてしまった。私のイマジネーションが、ノスタルジーという一方向の往還へと還元される、そうしてある種の「あるべき過去」に追い詰められていく……。これは深読みが過ぎたかも。

そのすがたが痛ましいから 冬薔薇 火とは摘まれることのない花

 私は(スペース)の力も借りて「フユバラ」と読みたい。日本語らしからぬ響きでこの歌を読みたいと思った。


谷村行海さん(「透明体」より)

砂時計を銃で穿てばきれいでしょう遠退く気配のしないサイレン

 砂やガラス片が飛び散る瞬間が停止して一枚絵のように……と思うか思わないかのうちに、サイレンの音とともにまたも時が帰ってくる。何か赤い強迫観念みたいに。

十五日に毎月抱きに来る人の傷一つない冷たい手をとる

 何ヶ月もこの関係が続いているんだろうなあ。月に一回抱きに来るその人の「冷たい手」は傷つくことがない。傷一つないこともまた、その手の冷たさだ。毎月十日頃には落ち着かなくなったりする自分と同じように、月に一回しか来ないその人にも傷ついてほしい。


寺山雄介さん(「テトラポット」より)

この血肉そのもの以上の価値が欲しいRh+A型

 献血とか、血液検査とかって、「モノ」としての自分を強く意識する瞬間の一つですよね。400ml分のわたし"だった”それを見るとき、文字通りの「疎外」を感じて吐き気がします。私たち、Rh+A型以上のものだったでしょ。

いつまでも立ち上がるほどの元気がなくてコーヒーカップは干上がっていく

 私自身よくあります。完全に立ち上がるタイミング逃した、ってやつ。なにかがそこで静止しちゃってるの。底には茶色い染みがそれっぽく乾いて模様になってて。

スーツごとシャワーを浴びるへばりつく口約束にとらわれている

 真ん中の「へばりつく」が前半を承けつつ後半にもかかっていますよね。着衣泳や、傘を忘れた土砂降りの日を思い出している。身体と衣服の間には「わたし以上わたし未満」の領域があって、それがある種、感覚のバッファの役割をしていると思う。なのにそれがないから「そと」が直にひたひたとくっついてくる。不快だ。それぐらいのベタつきがきっとこの「口約束」にはあるんだと思います。粘っこくて、忘れられない。


森永理恵さん(「藍色ディストピア」より)

「生きねば」と映写機越しの瞳がさけぶ 花園はすでに枯れ 生きねば

 非常にコンテクストへの自覚が強い歌だと思いました。この歌ができたのは「はなぞの」が決まる前だったのか後だったのか。それからこの歌も、ここまでの十四首を経ることでより意味を濃くする歌だと思います。胞子か放射能か、他のよくない物質か、何かわからないけれど、外に出られない状況下、シェルターの中で古い映像をプロジェクターに映したのだろう。そして、生きねば、と瞳がさけんでいる……。五句目の生きねば、を読んで私も、この入れ子構造に組み入れられる。生きねば。


夢庵ゆめさん(「ぼくになる」より)

群衆のひとりと歩調があいこんな戦場めいた胸のふるえは

 私自身もかなり速く歩く方なので、同じ歩調の人がいたらついピリッとしてしまいます。そこで共感や同情の気持ちではなく、「戦場めいた胸のふるえ」を覚えるというのはとても今日的な感覚のような気がします。もっとゆっくり歩きたい。

口紅とシャドウとファンデと消毒とカッターを君が守れ、ポチャッコ

 巧すぎる……。口紅、シャドウ、ファンデまではわかる、そのあとに、消毒とカッター……。”一般の”理解では、たぶんカッターはポチャッコに入れるものではない、入れるとしたら筆箱に入れるものだ。だから、五つ目に挙げられた「カッター」は「消毒」とペアを組むもの、もしくは拮抗するものとしてそこにあるし、またこの二つが、口紅、シャドウ、ファンデに続いて並べられるということが、それが「化粧道具」であるという解釈をも導く。そしてこれらはポチャッコが守らないといけなかった。ポムポムプリンでも、マイメロディーでも、シナモンでもいけない。当然、しゃれたポーチであるはずもない。

どうぶつの森、ポケモン、FF、ドラクエ どれも通ってこれられずに 今

 たぶんひとつくらい通る選択肢はあったし、通る可能性は十分あった。でも、通ってこ"られ”ず、なんだよなぁ。この違いはどこにあったのか。私もほとんどどれもちゃんと通らなかった、いや通ってこられなかった。


〈連作誌上歌会〉、〈テーマ競詠〉

 以上の連作に続いて、執筆者のうちの六人による「連作誌上歌会」そして「テーマ競詠」がありました。誌上でその誌に載せた自分たちの歌にコメントをする、というのは私には新鮮に思えました。執筆者たちが作者としてのみならず、読者、批評者として姿を表すというのは不思議なものです(短歌の世界ではよくあることなのでしょうか)。それはの読解よりも、執筆者という人たちの読解になってくると思います。読者の側を向いて放たれた言葉ではなく、他の方向に向けられた言葉は、読者に対してある種、無防備でもある。執筆者たちの意図せぬところを暴きはしないでしょうか。見ていいんだろうか、いささか恥ずかしい気持ちになりながら読みました。

 テーマ競詠では「地下鉄サリン事件」と「コギャル」がテーマになっていました。95年に生まれた人間にとっては、まず記憶にないと言ってよいテーマだと思います。「地下鉄サリン事件」が起こったのが1995年の3月20日、そして、「コギャル」が話題になったのも、およそ90年代(らしい)。とすると、それを直接詠もうと思ったら実際の経験、記憶に結びついた歌というよりは、多分に想像的創造的な歌になるのではないでしょうか。直接扱うかどうかということも含め、それぞれの執筆者によって、この「テーマ」に対する距離の取り方が異なるのが面白かったです。例えば、布谷みずきさんは、

そのあとの記憶しかないぼくがいて 地下鉄駅にはごみ箱がない
日に焼けたJKがまたひとり消え辞書でのみ見るコギャルの文字は

と、今自分がいる地点からも確かに言えることを詠んでいますし、他方の夢庵ゆめさんは、

おもしろいおじさんだったな教会の神父さんより あの春までは
重たいの いっぱいつけたストラップよりも「送信」ボタン押すのが

のように当事者たちに同一化して詠っています。そこから「連作五首・十首・十五首」に戻ると、またも歌の見え方が変わってきます。はなぞのは二度三度美味しい同人誌でした。


〈一九九五年の新人賞を読む〉

 最後には一九九五年の新人賞を読む、として、うにがわえりもさんによる「江戸雪「ぐらぐら」を読んで」と谷村行海さんによる「河野小百合「私をジャムにしたなら」を読む」とが収録されています。これだけの材料から95年当時の世相を想像するのは早急でしょうが、「ぐらぐら」は印象的です。私たち95年生まれの世代はいわゆる「失われた20年」と一緒に育ったと言っても過言ではない。だから、何が失われているのかも肌感覚としてはわからないし、私たちにとってこの20年はただの透明な20年だ。でも私たちが生まれた頃は「ぐらぐら」が角川短歌賞を受賞するような時代だった。「ぐらぐら」が確かに何かに触れた時代だった。では今はどんな短歌が受賞するのだろう……。そして、いつか「一九九五年(生まれ)の新人賞を読む」ことがあれば、いつになるだろう。この同世代の人間が共有する感覚が、歴史を引っ掻くときはいつだろう。そんな期待を抱くと同時に、同い年の歌人たちの生きた言葉、未だ乾かない言葉のエネルギーに触れて、自分も奮い立たせられる思いがしました。

 「はなぞの」の皆さん、素敵な歌を冊子をありがとう。これからも楽しみにしています。

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