見出し画像

梅雨の石垣島はいいぞ──5日間の旅行記

梅雨の石垣島はいいぞ。撮った写真を挟みながら、5日間の旅行記をここに記しておく(約7,400字)。


はじめに

石垣島に旅行に行った。今年の石垣島の梅雨入りが5月21日で、おれが滞在したのが5月25〜29日だから、ちょうど梅雨の時期と重なっている。本州の梅雨といえば、雨が降っているのがほとんどで、止んだとしてもじめっとした空気が漂っているけれども、石垣島は気候区分が違う。本州はおおむね温帯に属しているが、石垣島は熱帯気候である。だから、梅雨とはいっても、スコールのように一気に雨が降ったかと思えば、そのあとカラッと晴れていたりする。今回は本州の梅雨よりも心地よく過ごすことができた。そしてなにより、梅雨は閑散期なので、旅費や宿泊費が安いということがある。ひとも少なければお金も抑えられていいことばかり。さらに、閑散期というのは観光客を迎える側としても、余裕を持って迎えることができるので、ちょっとしたサービスをしてくれたりもする。このnoteでは、どんなに楽しんだかということをかいつまんでお話しできればと思うし、また、石垣島旅行の参考にしていただけたらさいわいだ。

さて、石垣島、とはいうけれど、この島は12の有人島と、その他の無人島からなる八重山諸島に属している。それらは橋では繋がっておらず、基本的にはフェリーで移動することになるので、島ごとの文化が混ざりきらないまま残っているのが特徴だ。おれは今回、石垣島と西表島、そして小浜島という3島を経験した。それぞれに趣が異なっていて、それも八重山諸島の魅力であると思っている。以下は、時系列での旅行記である。

初日

関西国際空港を15:45に出た便は18時過ぎに新石垣空港に到着した。飛行機を降りるとすぐに湿気が感じられて、大阪を離れたのだな、という実感が湧いてくる。現地の気温は26℃。それほど高くはなかったけれども、小雨も降っていたので、かなりジメジメしている。着てきた長袖のパーカーは厚くて早く脱ぎたい気分。空港の喫煙所で一服してからレンタカー屋の送迎車に乗り込む。

閑散期ということもあってか、レンタカーの費用は5日で15,000円。ヤリスを借りて、一旦本日の宿を目指す。この日の宿は別荘を一棟貸ししていて、12人まで宿泊できるそう。トイレも4つあるし、部屋もベッドもたくさんあるので、どこで寝ようかと迷ってしまうね。この宿には2泊する予定だけれど、明日はどこで寝ようかな、なんて思っちゃう。

初日はとりあえず近場のカフェにでも行こうということになって近辺を探すと、20:00までやっているカフェを発見。パイナップル1個300円という看板に惹かれて入ると、そこが大当たり。素敵な夫婦が経営していて(以後、Pさん、Mさんと呼びます)、廃材で作ったというテラス席も海が眺められて素晴らしい。茣蓙はそこにあるからテキトーに敷いてねーなんて言われて、ゴテゴテとしたホスピタリティよりもずっと心地よく感じる。パイナップルと、マンゴースムージー、バナナスムージーを頼んで、煙草をふかしていたら、店のおっちゃん(Pさん)が話しかけてくれる。

「どこから来たん?」

大阪から来たというと、そのひとも大阪の出身らしくて、なんと地元まで一緒。おれが実家暮らしだった頃によく行っていたバーのことも話題に上がって、まさか石垣島まで来て地元トークができるとは思わなんだ。

いただいたパイナップル、1個分で300円

このお店の夫婦は地球温暖化に対しても自分のできる範囲で対処しようとしていて、冷房は入れないスタイル。でもかえって石垣島の風を感じられておれはうれしいし、その心意気がかっこいいと思う。出してくれたスムージーもパイナップルも美味で、ずっとここにいたい、なんて気持ちになってしまう。そして、話が弾んで、海に入るときにはシュノーケルもシャワーも貸してくれることになったので、翌日再訪することにして店を後にする。

晩は市街地まで買い出しに行った。いろんな種類のオリオンビールやスパム、刺身、おつまみを買って、別荘のテラスでチルタイム。連れは本当に素敵な宿を選んでくれた。酔いも回ってきたところで今度はサウナ、水風呂、外気浴を3セット。初日からこんなに幸せでいいのだろうか。おれはもう石垣島に移住したくなっているよ。

別荘にはなぜかペニーが3つ

2日目

2日目はたっぷり眠って、昼過ぎに起床。ささっと準備を済ませて、昨日のカフェに行く。おれはパイナップルチャーハンを、連れは沖縄そばを注文して、またもテラス席へ。ここのテラス席は微妙に海側に向けて傾斜がついているので、寝転がるとちょうど気持ちのいい角度になる。枕まで置いてあるものだから、連れがそれを使って転がっていると、Pさんは「それ正解です」と言ってやってくる。石垣島は内地に比べて気圧が低いから、ちょっと海で泳いだらまた寝て、起きたら海へ入って、そしてお腹が空いたらここでご飯を食べてはまた寝て、とするのがいいんだよと教えてくれる。大阪にいるときにはどんよりした日の低気圧はなんとなく嫌なものに感じていたけれども、低気圧をそのまま感じて、寝たいときにはぐったり寝たらいいのか、と納得した。その地で生きるということには、その地域の環境に順応するということが含まれていて、旅行をしてまで、こちら側のエゴを自然に押し付けるなんてことは極めてナンセンスだと感じたのだった。お腹もふくれたところでいざ海へ。運よく晴れてきていて、Mさんは日頃の行いがいいからよ、って言ってくれる。石垣島は遠浅の海が広がっていて、岸から何百メートルも離れても足が着いたりする。いろとりどりの魚たちやサンゴのなかには、いつか水族館で見たものもいて、ここでは野生の熱帯生物たちがほんとうに生きている。

パイナップルチャーハン、塩味と甘味のバランスが抜群にいい

ほどよく疲れてきたところで海をあがり、カフェでシャワーを借りる。随分と泳いでいたようで、別荘に戻ってベッドに転がっていたらつい寝落ちしてしまう。

連れからの電話で目覚める。プライベートビーチの方にいるから降りておいでよ、とのこと(この別荘は一方がプライベートビーチにつながっています)。凪の時間帯で、ちょうど夕焼けが雲に滲んでいる。驚くほど静かだ。聴こえるのは限りなく穏やかな漣が砂粒に当たる音と、ときおり跳ねる魚の音、それから野生生物の鳴き声ばかり。こんな静かなところがあるなんて。思えば大阪のような街では、夜でも遠くに車の音が聞こえたり、室外機の唸る音が低く響いていたりと、音が止むことがない。なぜこの地球に生まれたのか、なぜ今この地にいるのか。そういった問いが頭をもたげる。だが寝起きで朦朧とする頭で答えが出せようはずもない。ただただ、ここに来れたことと、今生きているということに感謝するばかり。ヘッダー画像はこのとき撮った写真。

さて、日も沈んだ。お腹も空いてきたので、この日は沖縄にしかないバーガーチェーンであるA&Wに行くことに。市街地に向けてドライブだ。連れとおれはそれぞれバーガーとポテトのセットを頼んで、ルートビアをつけてもらう。そしてなんとこのルートビアがおかわり無料! 閉店時間も近かったので、1回だけおかわりをして店を去る。店には地元の方たちもけっこう入っていて、少し馴染んだような気分。この辺りではオリオンビールのTシャツを着ているひとを2,3人見かけたけれど、観光客なのか地元民なのか、いったいどっちだろう。

趣のある看板、上下に青で描かれた紋様はミンサーという八重山諸島の織物に由来する柄

まだお腹空いているよね、ということで、今度は地元の居酒屋に行く。帰りの運転があったのでお酒は飲めなかったけれど、ゴーヤチャンプルーや島らっきょうの天ぷら、ジーマーミー豆腐といった「沖縄らしい」料理をいただいて、満腹で店を出る。

この日はサウナを2セットして、この貸し別荘への名残惜しさを汗とともに流す。

3日目

石垣港の近くにレンタカーを停めて、フェリーで西表島に行く。目指すは、カフェの店主が勧めてくれた上原の港。船の心地よい揺れにうとうとしていたらあっという間に西表島に到着。この日はトレッキングと川下りのツアーに参加する予定だったので、送迎まで近くをぶらぶら散策。冷凍パインの無人販売所があったので、それを食べつつ涼を取る。近くのビーチも綺麗だし、ここでぼーっとしていたらお迎えの時間がすぐにやってきた。ツアーガイドの方は西表島のことをたくさん紹介してくれる。曰く、西表島の人口は約2,300人で、その7割が移住者であったり、イリオモテヤマネコをはじめとする島の生き物のために道路にはさまざまな工夫が凝らされていたりするとのこと。たしかに側溝を見れば、本州のようなU字溝にはなっておらず、溝はなだらかなV字を描いている。これは、カメが入ってしまったときに、上がることができないで死んでしまうのを防ぐ役割なんだとか。特に新しいタイプの側溝は、車道側を急な斜面にして、森側をなだらかな斜面にすることで、車道に入ってこれないようなデザインをしているそう。あるいは、車道の下を野生動物が行き来できるようにトンネルを作ったり、カーブ前の道路の凸凹を深くすることで野生動物に音で気づいてもらいやすくしたりと、ここは本当に島全体がユネスコ自然遺産なんだな、ということを思い知らされる。

「動物注意」の看板にはイリオモテヤマネコの図柄が

レクチャーを受けていたら、すぐにトレッキングの開始地点に到着。ぬかるみを踏み越え踏み越え、おれは過去に参加したシャワークライミングの記憶を反芻していた。数人で山の中を歩いていくということが、おれは好きだ。ガイドの方は、島の植物や動物のことを教えつつ、前を行く。聞くと、愛知出身とのことで、学生時代にこの島に魅せられて移住してきたのだそう。そういった話を、押し付けがましさなく話してくれることに好感が持てる。

さて、川を渡ったり、泳いだりして、最後の飛び込みポイントに到着したけれども、今日は参加者も少なくてここまでスムーズに来れたので、開始地点まで泳いでいきましょうか、とガイドの方が提案してくれる。連れとおれと他の参加者2人とは大喜びで、そのまま川を下っていく。この時期の西表島の川はもう泳いでいても平気なくらい温かくなっていて、ぷかぷか浮かんでいると、都会でのおれがひとかけ、ふたかけと剥がれていくよう。あー土に還りたいなあ、と思うともなく思っていると、ゴール地点に到着。楽しいツアーだった。写真や動画もたくさん撮ってくれて、こういう観光客っぽいことをするのもいいものだね。シャワーを浴びさせてもらい、バス停のあたりまで送ってもらってから、解散。

この日は島の北東にあるホテルに泊まる予定だけれども、バスの出発まで時間があるので、近くのカフェでコーヒーをいただく。中煎りの、八朔のフレーバーがするという一杯を選んだ。値段は都会価格だけれども、味は格別。大阪や東京みたいな都会でもやっていけるんじゃないかってくらい。川から上がったばかりの体には一層染み渡った。一緒に頼んだヴィーガンパイナップルケーキも品がよくて、ついくつろいでしまう。あまりにリラックスしすぎてバスには走らないと間に合わなかったけれど、これも旅の醍醐味だと思う。

おいしいコーヒー、カップも素敵

バス停から15分ほど歩くと本日の宿。なんと宿泊客はおれたちしかいないらしい。しかも部屋もグレードアップしてくれている。ベランダはそのまま浜へと地続きになっていて、その間にはプールもある。半径数百メートル、いや、数キロメートルに何人ひとがいるだろうか、と思うほどの僻地は、どこまでもおれの輪郭をほどいてくれる。うるまをひと吸いするごとにおれは軽くなっていき、ついにおれは西表の風になる。

夜ごはんはコース料理で、石垣島産、沖縄県産の食べ物がこれでもかというほど出た。泡盛やシークワーサーサワーとともに美味しくいただいた。食後にはもはや貸切になっているプールにも入ったけれど、雷雲の轟く中で入ったプールは後にも先にもこれっきりかもしれない。

4日目

ありがたいことにチェックアウト時間を1時間延長してもらえた。そのおかげで、翌朝は朝食後にホテルの目の前のビーチでくつろぐことができた。だんだん雨が降り始め、スコールのような雨になる。ホテルの方が大原まで送ってくれるというので、お言葉に甘える。

雨が降る前の西表島北東のビーチ

次に向かうのは小浜島だ。雨脚は弱まったり強まったりを繰り返している。フェリーが小浜島に着いたときには、傘が要らないほどだったがその後も断続的に雨が降る。港のすぐ近くにあるレンタカー屋で原付を借りた。1時間800円でガソリン代込みということだったので、2時間後の石垣島行きのフェリーに間に合うようにと、2時間分借りることにした。小浜島はそれでも十分巡ることのできるくらい小さな島だ。ぶんぶん飛ばしてあちこちの名所を爆速で回っていく。西大岳に登ったかと思えば、ガジュマルの森を目指し、次はマングローブ林へ。あるいは、西表島と由布島が見えるという細崎海岸へ行っては、集落の家の造りを見たり。天候のせいもあって海がきれいだという小浜島のビーチはそれほど堪能できなかったけれど、顎から雨粒が滴るほどに濡れながら原付を飛ばしていくのはとても愉快だった。フェリー港のトイレで着替えては、今度は石垣島に戻る。約一日半ぶりだ。

駐車場に停めておいてあったレンタカーを拾って、件のカフェに行こうとするが、閉園時間ギリギリで鍾乳洞に行けそうだということがわかったので、急遽向かうことに。案外市街地から近いところにあって、すぐに着くことができた。鍾乳洞は、かつて石垣島が海底にあったということを知らせてくれる。一部でまるでディズニーランドかUSJのような極彩色のライトアップがされていたのは少し悪趣味だと思ったけれど、600メートルにも渡る鍾乳洞は総じて壮観だった。今この瞬間にも、洞窟は溶け出し、そして固まりつつある。人間の生きる時間のイメージはスケールが小さいものだと思う。ここはお土産屋が充実していたので、いくらか買い物をしてから、初日と2日目に訪れたカフェに向かった。


石垣島鍾乳洞


こちらはもはやユニバ、かなり手が込んでいる

最後の晩餐はたこ焼きである。大阪出身のPさんが作るたこ焼きは大阪人のおれにとっても文句のつけようがないほど美味しい。頬張りながら、別れを惜しみながら、いろんな話をした。下の写真は、このときもらった、韓国からの漂流物の「浮き」である。色をつけて飾れるようにしたとのこと。

漂着した浮きが着色されて飾りになっている

ゴミをただ減らすのではなくて、こういったお土産に再生させたりするというPさんMさんの生き方、態度に、「サステナブル」とはどういうことかと、いまいちど問い質されている気になる。都市では実感が湧かないのだ。冷房と暖房に挟まれていては、地球が熱くなっているということを真剣に受け止めることができるはずがない。裸になって、それでもってこの暑さには耐えきれないということを身をもって知ってこそ、サステナブルということの緊急性がわかるというものだ。この飾りは、今はおれの部屋にぶら下げてある。必ずまた来るということを、そして今度はここのカフェに泊まらせてもらうことを約束した。ラインを交換し、一緒に記念写真を撮って、発った。

今晩の宿は白保にあるゲストハウスだ。かなり新しい建築と見える。でもドアを開けると、まるでおれが大阪で住んでいるシェアハウスのような匂いが漂ってくる。複数人が共同生活を営んでいる匂いだ。懐かしい気持ちになりながらも、もう夜も遅かったので、風呂に入って寝支度をする。ここにもう何泊かしていたら、他の居住者とも仲良くなれたかもしれない。

最終日

早起きをする。買っておいたサーターアンダギーを朝食にして、宿を出る。無事レンタカーも返せて、本当にこの旅が終わってしまう。お土産屋で少し買い物をして、おれは一足先に保安検査場へ。連れは東京に、おれは大阪に帰るのである。

飛行機は行きも帰りもLCCだったのだが、前後も横も乗客がいなかったので、随分楽な空の旅だった。関西空港⇔新石垣空港間も片道8,000円ほどだったし、新幹線で東京に行くよりもずっと安い。閑散期の石垣島、すごくいいよ。

石垣島を発つ直前の飛行機

たどり着いた大阪はかなり涼しく感じる。八重山諸島の温度と湿度に慣れたせいだろう。でもこれも数日したら「暑い〜」とか言っているんだろうな。なんだかそれが寂しくもあるけれど、おれの帰るべき場所は大阪である。今のおれは大阪で生きなければならない。シェアハウスのメンバーもおれを待っているはずだ(待っていない)。

おわりに

はじめての石垣島は最高だった。こんなに幸せでいいものか、と思った。その思い出をここまで書き記してきた。

しかしそこには、違和感を伴っていたということを告白したい。どういう違和感か。それは、おれが幸せであると同時に、いま世界では悲惨な出来事が起こっているという違和感だ。あえて「悲惨な出来事」などと言って隠す必要もない。今、パレスチナではイスラエルによるジェノサイドが起こっている。おれはこの幸せを享受してよいのか。そういった疑問が湧いてくる。もちろん、この地球上から争いが絶えたことなどなかったし、それを言いはじめたらわたしたちは誰もがなにも楽しめなくなってしまう。でも、それでも、この違和感は拭うことができない。わたしは恥辱を感じている。

わたしはわたしの生活を享受(enjoy)してよいはずだ。だが、それだけで生活のすべてを埋めてしまうべきではない。リソースはいくつにも割くことができる。生活を営む必要最低限の時間以外の時間で、パレスチナのことや、その他の情況を勉強したいと思うし、わたしのできる範囲での行動、意思表示をしたいと思う。もちろん苦しみでパンクしないように、あくまで平静さとともに。

石垣島でたっぷり遊んだ。今は帰ってきたのだから、おれにできることをしたい。願わくばこのnoteを読んでくれたあなたも、いまいちど、世界との付き合い方について反省してくれたら、と思う。

読んでくれてありがとう。

100円でも投げ銭をしていただけますと、大変励みになります。よろしければ応援よろしくお願いします。