共感・分断・想像:3月に寄せて

 東日本大震災の発災から10年が経った。

 私は発災当時、千葉県の実家に住みながら、茨城の大学に通っており、所属していた大学合唱団の練習中に水戸市内で被災した。
 常磐線は寸断され、3日間、実家に帰ることはできなかった。3月14日に水戸からつくばへ向かうバスとつくばエクスプレスを使って、実家に戻った。
 バスは一般道を中心に走行していたのではないかと思う。つくばエクスプレスは普通に動いていた。実家もすでに平常運転といった具合だった。水戸との温度差から、少し家族とぎくしゃくした記憶がある。
 
 東日本大震災は、東日本という名前が付きながらも、南北軸、東西軸を中心にして被災程度に差がある。震源からの距離、海からの距離。さらには原発という特殊なケースもある。太平洋岸から山形県境までひろがる仙台市だとかは、やはり仙台とひとつにくくれるわけではないし、岩手に住むようになって、沿岸と内陸で、震災に対する考え方も異なりそうだ、ということをぼんやりと感じている。また、同じ地域内でもさまざまな条件で被災の程度は異なるだろう。
 私は千葉に住みながら茨城の大学に通う、そして、東北出身の学生も数多く受け入れるわが母校での学生生活を過ごす中で、あるいは各地を旅して、こうして今、岩手に住む中で、この”分断”のようなものをひしひしと感じてきた。

 これを共感性の分断だとか溝とか壁とか、私はたびたび呼んできた。東日本は皆、程度の差はあれ被災したはずで、あの時は大変だった、と皆がある程度は語らえるわけだが、その語らい合いの中にあるのは、実は共感ではなく、分断なのではないか。そう考えていた。
 自分のイメージの中での震災のまま、相手に共感している気になっているのだが、実はその相手は、自分には共感不可能な境地にいる、と気付いたとき、私はどうしていいかわからなくなってしまう。そして、これに気付けないと、共感している”気”が暴力性を帯びてしまうのではないか、と怖くなっている。

 さて、この春、岩手と震災に関連する作品が相次いで発表されている。

 映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(「小森はるか+瀬尾夏美」監督)は陸前高田でのワークショップから、まさに分断そのものと、それを想像力で乗り越えようとする試みが描かれている。
 陸前高田にやってきた4人の旅人は、この土地の人々と対話を重ね、人々の体験を、自らの言葉で語り直す。
 "被災者"でない4人の旅人は、他人の体験を語ってよいのか?葛藤、逡巡を繰り返す。これが、まさに共感性の分断への気付きなのだと思う。
 つまり、私は決してあなたにはなれないが、あなたの話を聞くことができるし、そのことについて私のなかで想像を巡らせることができる。この繰り返しを通してしか、分断を乗り越えることはできない。ただし、それはとてもしんどい作業だ。だから彼らは葛藤するのだろう。
 そして旅人たちは、瀬尾夏美が、まちのうえにできたまち──2031年の陸前高田の人々とまちを想像して描いた物語『二重のまち』を、まちの人々の前で朗読する。
 したのまちとうえのまち、現在と未来、内と外。そうした視点の交換こそが、われわれが分断を乗り越えるための鍵となるのではないか、というふうなことを考える。

 『群像』2021年4月号(講談社)に掲載された、盛岡市在住の会社員で作家のくどうれいんの小説「氷柱の声」も、やはりこの分断のようなものを浮き彫りにする。
 発災時に高校生だった盛岡市の高校生、伊智花。彼女が大学、社会人となっていくなかで出会う岩手、宮城、福島の人々。皆がそれぞれ、被災して、心にも傷を負っている。内陸であろうが、沿岸であろうが、だ。だけれども、その程度を比べて、みんな揺らいでいる。あるいは他者により大きなくくりで被災者としてカテゴライズされ、身動きが取れなくなる。
 その声を拾い上げたような小説だ。どうしても被災の程度をグラデーションとしてとらえてしまいがちだが(初めに、南北軸、東西軸と私が書いたように)、なるほど、氷柱のようなものなのかもしれない。さまざま、でこぼこな大きさの氷柱が溶けたり延びたり。
 私が共感性の分断と呼ぶものを克服しようとするとき、被害の小さいものから大きいものへの方向だけで考えてしまうところがあるが、そうではなくて──自分の中にあるものはきちんと自分で受け容れてあげてよいのだと、残してあげてよいのだと、そんな希望が垣間見える作品だった。

 3月、岩手県内を中心に一本の記録映画が上映されている。
 テレビ岩手制作の『たゆたえども沈まず』(遠藤隆監督)だ。
 ドキュメンタリーというよりも、記録映画と呼ぶのが合っている。地震発生の瞬間から、津波が沿岸部を襲う光景、被災者の声、かさ上げされていく街、続いていく生活と復興――政策批評とか、そういったことではなく、そこで起きたこと、そこで揺れ動く人々を、ローカル局のまなざしでたしかに記録に収めていった映画だ。
 この映画の冒頭の、壮絶な画、被災された方へのインタビューを観てもなお、共感には程遠い。むしろ、共感を諦めざるを得ない。

 東日本大震災は確かに起こったし、住む場所がどこであろうと、確かに傷を負った私たちがいる。そこには分断も生まれる。
 結局のところ、この分断は想像力で乗り越えるほかないのだろう。
 共感なんぞは端から無理なのだ。この震災で受けた被害、それを受けた個人の感情、これはさまざまなバリエーションがある。だから、相手が私と同じではないことに想像力を働かせる。
 想像から共感に飛躍してはならない。静かにあなたを/自分を受け容れたい、認めたい。

 10年が経った3月に寄せて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?