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広告の違和感はどこから生まれるのか?

広告モデルのアプリはほとんど当たり前になっていて、広告がまったくないアプリだと今や「すげー」「さいこー」ってレビューでもなるほどで、だけど、逆にこいつら収益なしで大丈夫かよ、、、と見知らぬところで情報抜いてその個人情報を売ってるんじゃないか? って、思うこともある。だから、広告を載せていると健全、て思うほど、広告モデルは浸透したと思ってる(広告ってルール違反すると掲載できなくなるからモラルあるかの基準にもなると思ってる)。

広告が異様に気になる、違和感のあるアプリあるよね

って話をされて、実は自分でアプリ作るくせにピンとこなかった。私は実は、ほとんどスマホを使わない。基本、PCで文章を書いて、移動中にどうしても書かないといけないときにスマホを使うくらいで、あとは、必要だと思うアプリは全て自作してしまうので、他社・他者が作ったアプリは、初期インストールのアプリ以外は、ほぼ持っていない。

うちで出してるアプリにも広告は載っているが、もちろん作っている側なので、容易く広告を消したバージョン作れるので。

だから、この広告の話を聞いて、初めはピンとこなかったのだが、聞いていたらすごくしっくりくる話だった。

広告がまったく気にならないアプリは共通して、「外向け」のアプリだというのだ。ニュースアプリや、SNSアプリ、ポータルアプリなど、情報が「外向け」「外向き」で、情報が外部からやってくることが当たり前のアプリ。つまり、広告も、そのアプリのコンテンツと同化しているようなものだ、ということ。

広告がものすごく違和感あるアプリは、うちで出していて今好調な「自分史年表」や、日記など、プライベートな「内向け」の情報を自分で入力するもの。プライベートな気持ちで、閉じた精神でいる状態なので、外から強制的に入ってくる広告は、ものすごく違和感があるというのだ。

これはでも、その通りだと言われて思った。日記アプリをダウンロードしたことがあったのだが、自分の書いた日記の一覧の間に広告が挿入されていて、なんか、それが自分の内面を横から汚されたような気持ち悪さをすごく感じたことを、思い出した。だから日記アプリは自作した。もう使ってないけど。

広告カットを購入する理由が、まさにこれだという。ニュースアプリのような「外向け」のアプリは、そのままでいいと思うが、日記のようなアプリでは、まず真っ先に、気に入ったら、広告カットするそうだ。

だから、iOS版自分史年表」には、広告カットはないのだが、カット即したいから追加してくれと要望された。

正直、Android版には広告カットは付けていたけど、広告カットする目的が分からなくて、だから凄く安く設定していて、で、だったらもうiOS版には要らないやと思って、敢えて付けていなかった。

すみません。付けます。

日々勉強というか、自分の世界だけで閉じて解決できることなんて、ほとんどないね。

Chroniclize自分史年表: 人生の節目を記録する。
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