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並んだグラスとクイズの答え

家に帰ると、父がウイスキーのボトルを2本抱えてうなっていた。

何をしているのか聞いたところ、普段は手にも取らないキリンのウイスキーを2種類試し買いして、味を比べているらしい。

「こっちはスモーキー感が強い」「こっちはクセがない」と同じ言葉を繰り返しているが、すでに”出来上がっている”ので信用ならない。

ラベルを見せてもらうと、『樽薫る』という銘柄はアルコール度数が40%あり、『森の風薫る』の方は37%だった。僕も手を洗ってグラスに注いで飲んでみる。うーん、わからない。言われてみると『樽』の方が匂いがきつい気もするが、『森の風』も充分香りがある。いや、薫りか。

度数以外に違いはないかと『森の風』のラベルをよく読むと、「炭酸と相性が良い」と書いてある。これはしめたと、家の向かいの自販機で炭酸水を買い、グラスに氷を入れてからゆっくりと、なるべく泡が弾けないように注ぐ。

おー、全然違う。『森の風』は鼻に引っかかる感じがなく、のどごしが良い。レモンを絞りたい。対して『樽』は、木の焼けた匂いがツンとくる。どちらも美味しいけど、ハイボールで飲むなら『森の風』が良いかもしれない。ほぼ同じ価格で対になる銘柄らしく、炭酸を入れると表情がガラッと変わった。

こうしてグラスを2つ並べてウイスキーを飲み比べていると、かつて通っていたバーでの出来事を思い出す。

当時の僕は偉い人に教わったボウモアにハマっていて、いつも日付が変わる少し前に店へ駆け込むと、マスターに「今日もストレートでください」と頼んで出してもらっていた。調子が良い日はギネスをチェイサーに飲むのが好きで、グラスを交互に空にしていた。周りの同年代が安い居酒屋で騒いで帰る一方、落ち着いたバーで一日の疲れを癒やす自分に浸っていたのかもしれない。

ある夏の夜、いつものようにボウモアを飲みながら煙草を燻らせていると、隣にいらした紳士が「お若いのに渋い酒を飲まれますね」と声をかけてきた。僕は「この泥炭の匂いが好きで」と答えると、「でしたら私の飲んでいるのもお試しになってください」と提案し、「マスター、同じものをもう一杯」とオーダーした。

このとき僕は「しまった」という気持ちでいっぱいだった。たしかにボウモアは好きだが、麦芽を炊く過程で泥炭を使うことは先日ネットで知ったばかりだし、他のウイスキーは角瓶かニッカぐらいしか知らない。回っていた酔いが一気に覚め、背中に汗がつたうのをワイシャツ越しに感じ取った。

口数少なに煙草を吸って平静を装っていると、マスターが「お待たせしました」と、ボウモアの横にコースターを置き、上からグラスを重ねた。飲んでから何を言えば良いのか全くわからないまま、エイヤと口に含んだ。

ボウモアにも劣らずピートの香りが強く広がり、続いて磯の風味が鼻を突き抜ける。小難しいコメントを考えていたが、思わず「おいしいです」と呟いた。紳士に銘柄を尋ねると、「きっと分かるときが来ますよ。それまでのクイズです」と言うだけで、マスターは穏やかに笑っていた。

きっとあの二人は、僕が背伸びをしてウイスキーを飲んでいたことを見透かしていたのだろう。けれどそれを笑ったり、なんだ分からないのかとマウントを取ったりするのではなく、「ウイスキーの世界へようこそ」とグラス越しに歓迎してくれた気がする。

結局あの日飲んだ銘柄について、後日マスターに尋ねても教えてもらえず、そのまま僕はちゃんと挨拶もせず街を出てしまった。今は高くて珍しいウイスキーは滅多に手に入らなくなったけど、酒好きの父とこうして意見を交わすことができる。

あのときの御礼を伝え、最後の不義理をお詫びするために、いつかまたあのバーを訪ねたいと思う。そしてあのクイズの答えを、ギネスと一緒に頼みたい。


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