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ミーハーなんかじゃない / もう会うことのない人たちへ #1

もう会うことはないだろうけど、どうしても思い出してしまう人たちがいる。駅で酔い潰れていた僕を介抱してくれた男の子とか、仕事ができない僕に説教と称して赤坂の居酒屋で12時間酒を飲ませた取引先の課長とか、行きつけのバーで一緒にアイラウイスキーを飲み交わしたビジュアル系バンドマンとか。

東京から地元に帰ってきたことで「二度と会わない確率」がさらに高まったせいか、僕の人生に一瞬でも栞を挟んだ人たちのことを最近よく思い出す。なかでも今日は女の子の話をしたい。金曜の夜だし許してくれ。

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自己承認に必死だった僕

2010年。大学生2年生の僕は、毎日授業に追われていた。語学系の学科に入学したはずなのに、外交とか戦争とか血なまぐさい講義ばかり受けていた。

それまでの僕は、友達の家に入り浸ってドラクエをしたり、朝まで酒を飲んだりと怠惰な大学生活を送っていた。「このままではダメだ」という意識が徐々に湧いてきて、せっかく上京したのだからと、大学生としての正当性を欲しがった。友達も一緒だから楽だとか安易な理由で授業を選ぶことを辞めた。

おもむろに「将来は新聞記者になりたい」と言ってのけ、「学生の本分は勉強だ」と真面目ぶった。その結果、大学のシステムを利用して、受験時に選択した語学カテゴリーとは違う「政治カテゴリー」の授業を取らないと卒業できない、茨の道を選んでしまった。最初から政治カテゴリーに属して1年間勉強していた他の学生とハンデが生まれ、僕だけ2年生のうちに取らなければ進級できない授業がいくつも襲いかかった。

そんなような理由で、友達が誰も履修していない授業に一人でたくさん出ていた。なぜかこの頃、体育会の弓道部にも入ってしまった。練習は水曜と土日に夜遅くまで行われた。友達と会う頻度はめっきり減っていた。

寂しくなかったと言えば嘘になるが、それ以上に当時の僕は「友達と違うことをやること」に精一杯だった。本当は自分の夢なんかより、周囲と比較して「僕はすごい」と自己承認することに必死だったのかもしれない。そろそろ女の子の話をしないと読者が離脱しそうだ。

彩度が高かった彼女

仮面政治男になった僕は、大学の指導に従って「ジャーナリズム論」という法学部の授業を受けることになった。なぜ他学部の単位が必要なのか疑問だったが、新聞記者になりたいし丁度良いと思った。僕以外の学生はすでに関係性が出来上がっており、ケータイ片手にお喋りに興じるグループを掻き分けて、黒板に近い席にいつも一人で座っていた。

新学期から3週目ぐらいのタイミングだっただろうか。たまたま教室に行くのが遅れて後ろの空席に滑り込むと、見慣れた黒髪の女の子が目の前で熱心にノートを取っていた。同じ語学カテゴリーにいる、男女問わず人気者の子だった。

彼女を入学式で初めて見たとき、こんなに綺麗な女の子が東京にはいるのかとびっくりした。グレーのスーツに満開の桜がよく似合うなと見とれてしまった。周りの男達は目の色を変えて節操もなく近づこうとし、気さくな彼女もまたすぐに打ち解け、ファンがたくさんできていた。

だけど僕は本当にひねくれていて、「ミーハーな気持ちで女を好きになったりなんかしない」と、入学式帰りの田園都市線で謎の決意をした。お気づきのようにこのとき僕は童貞である。

そんな彼女が僕と同じ茨の道を進んだとは聞いていなかったので、純粋にジャーナリズムに関心があるのか興味が湧いた。いつも女友達と群れて行動していたし、英語が堪能で語学の成績も良かったから、ここに一人でいることが意外だった。キャンパスで見かけると、いつも彼女の周りだけ彩度が高かった。

二人だけの時間

授業が終わると目が合ったので、どちらかが声をかけて会話が始まった。どうしてこの授業を取っているのかとか、なんで一人なのかとか、ジャーナリズムに興味があるのかとか、シャイな僕なりに彼女に聞きたいことがたくさんあった。彼女の答えは、たまたまシラバスで目に入って面白そうだったからとかそんな理由だったと思う。

それから僕は、授業を教室の後ろの方で受けることにした。彼女と顔を合わせる日もあれば見ない日もあった。賢そうに見えたけど、意外と授業中に居眠りすることを知った。いつも一緒に授業を受けている女友達は、このことを知っていたのだろうか。

授業はその日最後の5限目だったので、二人で帰ることが多かった。女友達と群れずにいる彼女は、普段より口数が多い気がした。何を話したのか全く覚えていないけど、すでに暗くなった道を彼女と並んで歩くことに優越感のようなものを感じていた。3ヶ月ぐらい経ってもジャーナリズム論はこれっぽっちも分からなかった。

期末試験が近づいた日、テストは制限時間内に小論文を書くことだと知らされた。法学部の学生たちは先輩たちから、例年どのようなテーマで出題されるか聞いているらしい。僕は耳に全神経を集中させて彼らの会話を盗み聞きしたけど、あまりよく分からなかった。割って入る度胸も持ち合わせていなかった。新聞記者には向いていないなと思った。

彼女もバイトが忙しいとかで授業に来ないことがあったので、お互い手持ちの資料を持ち寄って学食の2階で試験の対策をすることになった。1階は知り合いが多いから、何となく離れたかった覚えがある。彼女のノートは綺麗で読みやすかったけど、プリントは僕のほうが揃っていた。「たまには私も一人になりたい」みたいなことを勉強しながら言っていた。女の子は大変だなと思った。

一年越しの帰り道

試験が終わると、彼女と二人で会うことはなくなった。近いところにはいるので、グループで飲みに行ったり、男女交えてサッカーの代表戦を観たりした。彼女のことを気になっている男が何人かいることは知っていたし、親友だった男も彼女が好きだと打ち明けてくれた。僕は応援するよと言った。

それから一年以上、彼女と話す機会はほとんどなかった。キャンパスで会っても「よっ」と手を振るぐらいだった。その頃の僕は、肘の靭帯が切れて弓道部を辞めていた。つるんでいた学内の友達は、こぞって大学院や海外へ進学することを選んだ。就職活動を直前に、僕はまた一人になった。

休日にもかかわらず、就活の学内説明会のために大学に向かった。よく分からない人達のよく分からない話を聞き、両手いっぱいに資料をもらって大教室を出ると、すでに暗くなったキャンパスに見覚えのある黒髪の女の子がいた。やっぱりまた、お互いに一人だった。

彼女の友達もまた進路の方針が違い、就活を一人でスタートしたらしい。これまでの時間を取り返すかのようにたくさん話をした。彼女に合わせて自分の定期券と違う駅まで並んで歩いたが、あっという間に着いてしまった。短い時間では聞き足りないなと残念がっていると、こんな提案をされた。「今から、映画観に行かない?」と。大きな交差点の上で、僕は思わず立ち止まった。

照らされる想い

彼女が観たいと言ったのは「モテキ」の劇場版だった。なぜ数ある中でモテキを選んだのか僕には分からなかった。この状況自体が映画のあらすじなのかと錯覚した。今ならモニタリングの撮影を疑うだろう。

路地を抜けて映画館に入り、二人で並んで座った。一緒に来たんだから当前なんだけど、僕は本当に隣に座っていいのか聞こうとした。ちなみにもう童貞ではない。モテキはドラマ版のファンだったから僕も映画を楽しみにしていたけれど、内容はこれっぽっちも分からなかった。映画館を出てからも、「物語はちと?不安定」がずっとリフレインしていた。

「映画の話をしようよ」と彼女に言われ、行きつけだというカフェバーに入った。緑色のリキュールの空き瓶が店の隙間という隙間を埋め尽くし、その奥にあるライトが店内を照らしてサイケデリックな空気を醸し出していた。こんな店を知ってるんだなと驚いた。

僕は「モテキ」の中で麻生久美子のような女性がタイプだったけど、彼女は長澤まさみがスクリーンから出てきたような、底抜けの明るさで周りの影を照らすような人だった。だけど誰も近づけないような、寂しさも持ち合わせていた。そういう人だからこそ、僕も安心して彼女と話ができた。

果たされなかった約束

2時間ほどビールを飲みながら会話をして店を出た。肩書としての童貞は失っていたが、性質として童貞のままだった僕は、これからどうしていいのか分からなかった。とりあえず、駅に向かって並んで歩いた。

さっきまで二人で座っていた映画館の前を通ると、公開予定の作品の広告が並んでいるのを目にした。そのラインナップに「セカンドバージン」を見つけた彼女は、「君となら一緒に観れるなあ」という趣旨のことを言った。僕は多分、乾いた笑いでやり過ごした。

正解のようなものは見えつつも何も言えずにいた僕に背を向け、彼女は突然何かを見つけたように走り出した。沿道のラックに挟まっていたホットペッパービューティーを手に取りパラパラとめくると、「今度は岩盤浴にでも行こうね」と彼女は言った。そのまま手を振りながら、改札の奥へ消えていった。僕は缶チューハイを買って、飲みながら家まで歩いて帰った。

4年生になると僕は何とか就職が決まり、卒論を書いて全ての単位を取り終えた。新聞記者にはなれなかった。未だつぼみの桜の木が並ぶキャンパスで迎えた卒業式。彼女の姿を見た記憶はない。どういう職種に就いてどういう仕事をしているのかも知らない。仲間内で卒業旅行にも出かけたが、彼女は来なかった。社会人になってからも数人の友達とは連絡を取り、たまに集まっては酒を飲んだ。だけど彼女と会うことは、一度もなかった。

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残念ながら劇的なクライマックスは何もない。だけど僕は、彼女のことをたまに考えてしまう。

「ミーハーな気持ちで好きになったりなんかしない」なんて誓ったけど、僕は彼女のことが好きだったんだと思う。僕がたまたま学生生活に迷って一人になったとき、彼女もまた一人でいた。こちらの背筋が伸びるぐらい綺麗な人だったけど、僕は彼女といると居心地が良かった。だから好きだった。

きっと彼女に会うことは、もう二度とない。


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