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先生になりたい

こんにちは。考える葦です。

暇になるとnoteを投稿します。
実際は将来のことなどを考えなければならないことは多く、暇では無いのですが、それを考えると調子が悪くなります笑
自己防衛だと思いますが、困ったものです。

さて、今回は私の将来について。
これまでのnoteでも何度か書いたことがありますが、私は教員を目指しています。
なぜ、教員を目指そうと思ったのか。
それをズラズラ書こうと思います。
つまり、私の志望動機を聞いてもらいます!!
あまりにもさらけ出しすぎて特定されそうですが、、

私は大学4年生です。
教育実習も終わり、来年の3月には教員免許を取得して、4月から教員としてキャリアをスタートさせるはずでした。
しかし、そこにやってきたのが鬱です。
これも1番最初のnoteに書いたことがありますが、私は教員採用試験の2次試験を受けることが出来ませんでした。
とても辛かったです。
これまで教員採用試験のために多くの時間と労力を費やしてきたから。
今までなんだったんだろう。
この状態では講師登録もできません。(講師は非正規採用です)
講師とはいえ、ブラック労働と言われる教員の世界に飛び込むことは、今の私には恐怖のほかありませんでした。
そんなこんなで、就活をせず教員1本で絞っていた私は現在に至っても進路が決まっていません。

前置きが長くなりましたが、なぜ私がここまで教員に固執するか。
それは、私のように苦しい子どもを自分の経験をもとに見つけ出し、存在意義を教えたいからです。

これも前のnoteに書いたことがありますが、私は子ども時代から生きづらさを感じることがよくありました。
発達障害かもしれません。
私は大人から見ると、所謂真面目で、手のかからない、気の利いた、怒られることはない、そんな子どもでした。

そして先生(主に担任を指しますが)というのは、多くの生徒を相手にする中で、どうしても手のかかる子どもの相手をよくするものです。
そのため、私のような多くの〖手のかからない子ども〗というのは、蔑ろにされがちだと思っています。(個人の感想です)

しかしながら、私のように何もなさそうに見える〖手のかからない子ども〗でも、実は悩みや生きづらさを抱えている子どももいるわけです。
そのような子どもを見つけ出し、あなたの存在意義、あなたでないといけない理由を教えたいのです。
それは、先生に私の抱える生きづらさを見つけて欲しかった、存在意義を教えて欲しかったという思いからでもあります。

これが私にしか出来ないこと、大人になって見つけた私の存在意義です。
教員になって、私にしか出来ないことをする。
これだけが、私が死ねない理由になっているかもしれません。

来年度に教員になることは出来ないでしょう。
しかし、諦めたくはありません。

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