わたしにはネコがいない コロナでお休み

コロナ助成金がでるから

休んで欲しいと言われた

いつ休むか

休むなら1ヶ月か2ヶ月まるまる休んでほしいと言われた

これがまえに勤めてたところなら、わーい!となったかもしれない

でも、いまここにきて

新しくできた会社に

新しく勤めて

まだ3ヶ月ほどなのだ

ようやく月のルーティンを確立し

出来ることを模索し

上の方とコミュニケーションをとれるようになったのに

これから新しい人も雇う話なのに


正直休みたいと思う

でもそれはそんながっつりでなくて

たとえば週3とか4とか休みになるとか

2週間だけとかだ

そんなに休んだら、今のわたしは社会復帰できるのか

できるししなきゃいけないけど

ものすごくしばらくは体力も気力もおちて

いろいろ追いつかず大変だと思う

空白の時間にたぶん社長自らやった事務業務を拾い直して自分の中に消化する

仲間が集いあった時間にいなかった間合いを詰めていくとか


悲しすぎる


今のわたしは世界が職場しかないからだ

前の職場で考えられない

前の職場はフロアに100人も人がいて

従業員は他部署を合わせると1000人を超えていた

都会といえばそうで、クールでみんな深く関わらなかった

会社を出れば素知らぬ顔

そんな中に勤めていた

でもわたしは、人生の中でいろいろあって

勤めていられなくなった

家族の重篤な病と過労で鬱を発症した

元からあった強迫性障害もトラウマレベルと診断さられ

治すというよりこれ以上ひどくならないようにして生きると医師に言われたのだ

女の友情ははかない

これは悪い意味でなく

大方、の女性は

心という入れ物が一つで、友情や会社付き合いなど一個の容器にあって、そこで旦那様や子供ができると友情に避ける幅は狭くなる

急によそよそしくなったり、電話できなくなったり

心を友に裂いたり、時間をつかえなくなるんだろうね

男性は別で友達と会うとか遊ぶは仕事とも彼女ともなんなら家族とも別物なのだ

会う機会が減ってもそれはそれなのだとおもう


わたしはその波に乗り損ねてしまった

そしてバカなので、旦那さんにさく時間は増えるけど

きっと話したりあったりは、だんだんまたできるかと思っていた

でもそれは難しいし遠慮するようになった

家族と住むために離れた場所に住んだ友人からは折を見てはハガキがきた

お子さんが二人で来て、その住んでいるマンションかアパートに会いに来てといつも書いてあった

わたしはひどい人間なので、なぜ(乗り物酔いがひどいためわざわざ都心の狭いくて高い家賃はらって、あまり乗り物に乗らないようにしてるのに)何時間もかけて会いに行かなくてはならないのかと思った

だいたい会いに行ってもまだ赤ちゃんとも言える子供が二人もいて、何をするというのだ

お土産を持っていて20分でも話したら、長いしちゃったと帰ればいいのか

なんか、受け入れられなかった

その後もなんだか、旦那さん子供、家族がバックグラウンドにいる友人には連絡しづらくなった

遊ぼうといっても、約束を取り付けるにも彼女は旦那さんと打ち合わせたりしてそれを待って答えが来るのかと思うもなんだか声をかけられなかった

自分の予定を自分でコントロールしない

わたしと会うことは、どこか許可を得て、かぎりある中で会うんだなーと思うとつまらなく感じたのだ


そうこうしているうちに仕事も忙しい

家族は病に倒れ、わたしは心身共に消耗していった

家族もそうで、だんだん家族も歯車があわなくなった

あと親族も

それで、わたしもいうおもちゃの車はぜんぶぜーんぶ

突然分解して破裂して、細かいパーツは飛び

タイヤは跳ね回って壊れてしまった

わたしは連絡をしたり

気楽に話したり相談できる人がいなくなってしまった

すごく好きだった家族も死んでしまった

愛した小鳥も死んだ

家族は疎遠で親族も疎遠で

わたしは家族に対してトラウマを抱えて会うことも

持ち物にも触れられなくなった


そんなこんなで死のうと思ったが死ねなかった

やってみたけど死ねなかった

3回くらいやってみたが死ねなくて

死のうとして失敗するととてもめんどくさいと知った

それで死ぬのはやめた

そうして死にたい死に逃れたいときにコロナがやってきた

嫌でたまらなかったがどうしたらいいのか行き着く先もなく、生まれ故郷に移った

でもそこでもトラウマがひどくなり

重い不眠症と鬱が、強迫性障害に切り替わった

わたしは今、スタバにも喫茶店にもご飯屋さんにも行けない

座れないのだ

家族親族が行ったかもしれない

触ったものを誰か他人が触れてそれを持ち込んで汚染されてるかもしれないと


こう考えてみて欲しい

あなたはコロナのウィルスが怖い

Aをだれかがさわった

それはコロナのクラスターがでたところにあったものと同じとする

もしかしたらコロナをかかった人が触ったかもしれない

触ったかもしれない触ったかもしれない触ったかもしれない

そんな感じで頭が支配されてしまうのだ

ちなみにコンビニもだし、県内中そうなので

わたしはどこもいけないし、何も買えないし

何も楽しくない

そんなわたしなので、喋る相手は職場の人しかいないのだ

ようやく少し話せるようになった

人間不信

手続きが負担で恐怖

それでもなんとかがんばってる

職場という狭い世界で

しかも仕事だからべちょべちょしたわたしの気持ちや人生や人生観や病気を持ちだしてはいけない

そうわかるけれど、

休んで?いつ休む?と聞かれたとき

今も聞かれてるけど

わたしは悲しい

そこにいてもいなくてもいいといわれていることに

そこしか話す人がいないことに

この楽しみのない人生に

休みと言ってもなにもしないのだ

たぶん寝て、Netflixみて、寝て、涙はでなくても泣くのだ

散歩をしたり

寒くても窓を開けたり

買えなくてもお店をみたりしないのだ


どこかで

いつかは、

そんな自分だけど

楽しい

恵まれてる

生きている

生きていくと

自分が思わなければいけないのだと思う

膝を打って

気持ちを変えるぞと心に決めて

人生を生きていくと…

でもあまりに人生が長くて

一つ終わったと思ったらまたなんか現れて…


わたしはもう疲れ切っているのだ

人生に希望とか楽しみとか明るさをみつけられないのだ


あの宇多田ヒカルでさえ、インタビューで

人生とは耐えがたいものと言っていた

生きることは耐えがたいと


どうしたら、

たのしい、明るい、ここが居場所だ、よかった



よかった



生きてて、よかった


と思えるのだろう  か

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