怖いってなんだろう

こんちは。

今日は怖いっていう感情について考えてみようと思います。(唐突で怖)
ホラー映画を観る時の怖い!ではなくて、
初対面の人と話すのが怖い。の、「怖さ」です。

今例文で挙げたように私は初対面の人と話すのが怖いです。
咄嗟のレスポンスが苦手で、
何か気の利いたこと言わなきゃってハードルを上げてしまう癖があります。
それでこれ以上間を開けると変な空気になる!と勝手に追い込まれて、
結局ごにょごにょとありきたりなことを言ったりします。

面と向かってトークするのは怖いですけど、
レスポンスを考えるのにある程度余裕がある、人の目つきの圧がない、
チャットとかのコミュニケーションスタイルは好きです。
ただ友達と話すときは、face to faceのトークでもリラックスしてばんばん面白いことが言えます。
自分で言うなよって感じでしょうけど、
ワードセンスがあるとか、この中で一番ギャグセンが高いとか、
複数のコミュニティで言っていただけたことが何度もあるんです。凄いでしょう。
(唐突の自慢パート)
砕けた、力の抜いた、おもしろい会話が好きなんですね。
ビジネス会話はかしこまりすぎて実力の2割も出せません。こどもですね。

さて、私の唐突の自慢パートで話は少し逸れましたが、
初対面の人と話すのは「怖い」という感情になるのは、
自身のこれまでの失敗体験がフラッシュバックするからなんですよね。

でも、過去をいつまでもくよくよ思い出したって仕方がない!!
前を向いて、どんどん積極的にチャレンジして、新しい自分になるんだ!!
浅い自己啓発本のエンディングはこうですね。
私はこんなもんでは1mmも納得しないのでもう少し深掘りしていこうと思います。

私は良くも悪くも過去の体験や記憶に行動が左右されます。
あ、こういうのは得意で成功体験多いから大丈夫。とか。
反対にこういうのは苦手な傾向で失敗しがちだからやりたくないなぁ。とか。
未来を考えるときに過去を参考にするのはきっと自然なことですよね。

では失敗体験を多くしても、失敗を恐れず果敢に挑み続けられる人はどんなことを考えているのでしょう?単に精神力が強い、で片付く話なのでしょうか。

私が思うに、「失敗」自体はかすり傷程度のことだと思うんです。
でも辛い記憶をリフレインさせて自分でかすり傷を何度も掘り起こして、どんどん深い傷になっていく。
そしていつの間にか、
実際は「かすり傷程度で済んだ事象」なのに「深い傷をつけられた体験」
として頭に刷り込まれてしまうのではないでしょうか。
紙で手を切った切り傷が、頭の中で指の肉を抉るほどの傷になっていく。
そうして紙に対して過剰な警戒心や恐怖、トラウマをもつのではないでしょうか。

失敗を気にしない人や挫折を笑い話にできる人は、
自分で無闇に掘り起こさずに傷が浅いままだからだと思うのです。
かすり傷をかすり傷のままにする。そしてすぐに癒える。
前回かすり傷程度だったしまた挑戦してみようってなるんじゃないでしょうか。

では、傷をえぐらない方法はあるのでしょうか。
それはきっと、かすり傷をかすり傷と認識することからはじまると思うのです。
かすり傷なのに目を背けて、これは深くて抉れた傷だと思い込む意識そのものが
諸悪の根源だと思うのです。

私なりの「怖い」との付き合い方。それは、言葉にすること。
何が怖いか書き出してみると、
案外しょうもないことだったな、ありふれた悩みだったな、
なんてことがザラにあります。
自分の中で勝手に肥大化したバケモンは、案外ハムスターだったりします。
さっきの例で言うと、「なんだ私、紙に怖がってただけじゃん」ってなります。

もう少し細かく例を示します。
冒頭から述べているように、私は初対面の人と話すのが怖いです。
なぜ怖いのか、よく考えて言葉にしてみると、
「相手と砕けたことや本音を話せない関係性で、自分がどう見られているか分からないから、怖い。」という結論に達したのです。

なんだ、当たり前のことやん。ってなりました。
人間誰しも怖いやろこんなん。過剰に怖がりすぎてたな自分。って思いました。

そしてそれと同時に初対面が怖くない人は、自分がどう見られようと構わないから相手と話そうとしているからなのかな。って思いました。めっちゃイイ奴やん。
イイ奴になりたい。私も初対面物おじせずいってみよ。ってなりました。

「怖い」は100自分が作り出している、とは言い切れませんが
5の怖いを80の怖いに引き上げているのは自分かもしれません。
言葉にしてみて、その案外ちっぽけな正体を暴いてやりましょう。


では私は明日の仕事が怖いのでそろそろ寝ます。



ぼんにゅい。




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