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人と一緒に暮らすのかどうか問題

最近自分ごとも含めて、人と一緒に暮らすことについてよく話している。

身の回りにいるAとB、そして私。

Aは、人と一緒に暮らしたい派。
Bは、完全別居派。
私は、彼らの中間で、年間のうち1人で暮らす時期も2人で暮らす時期もあればいいと思っている(3:2ぐらい)。

それぞれ、通ってきた道が違う。

Aは、長い間病気をしていたこともあり「自分は一人で暮らすのは難しい。たぶんそっちでない」派だ。
助け合いや支え合いを自然にして、他人の弱さも自分の弱さも許す。


Bは、不屈の精神で努力を重ねて、今の自分をつくってきたひと。
生きづらさを努力で必死に補強してきたような。
自分のやりたいことに集中したいし、他人がいることで何かが削られるのは嫌。でも優しいので、人がいるとつい気を使う。


私は、家族で暮らすことに多少煩わしさを感じていて、一人暮らしばんざい派。
だけど独立や移住を経て、大きな柱(組織やコミュニティ)がない中で一人で暮らしていく危うさと限界も感じている。
同時に人と生きる楽しさもかじり始めた。


こうして書いてみると、明瞭かもしれない。
人の助けを必要としているかどうか。
人と生きる楽しさを実感しているかどうか。



ちなみに私は誰かと寝室が一緒だとよく寝られないという問題はあるので、今のところ誰かと暮らす準備はできていない。

もちろん答えはないし、誰と暮らすのか、パートナーと暮らすのかという話ではなく、どういう人付き合いがいいのかなーというところになる。

単純にフェーズにもよる。
自己を深めるとき、他人と共創するとき。もしかしたらまた自分に戻るとき。

誰かといる時間が長いと、
煩わしさ、不都合、綺麗でないもの、
そういうものと向き合うことと同義になる。
好きな人のそういう部分を見る。見せる。

今のところ、やっぱり若干「好きな人と暮らすのは、面白いかも」に軍配が上がるかなというところ。ただしnot right now。それはとても大きな変化で、気持ちの助走がいる。


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