海岸からの釣りは大変だった

2021年8月22日 晴れ

茹だるような暑さの中、私は砂浜から海を眺めていた。
八月も下旬、いよいよ晩夏の気配が漂い始める時期になったが、日中の暑さはまだまだ健在で、雄大な雲と青い空、遠くまで広がる海は立派な夏の景色であった。

結局、盆休みの釣行は台風のせいで8月13日が最後となった。
釣りの魅力に取り憑かれた私は、台風の日もせっせと堤防へ足を向けはしたものの、いつも賑わっていた堤防も台風渦中となると人一人おらず、隣接している釣具屋も臨時休業している始末なので、盆休みの終盤は家で恨めしく雨雲を眺めて過ごす他になかった。

この日、海岸からのキス釣りの動画を見て感化された私は、釣り場として海岸を選んだ。
堤防よりもキスが釣れるのでは、という期待もさることながら、海岸での釣りができるようになれば釣り場として選べるフィールドが一気に広がると思ったからだ。

とりあえず、私の住むところから一番近場の海岸に来てみた。
車で10分くらいで着くので本当に近い。

この海は普段から波が荒く、地形のせいか離岸流があちこちに発生している危険な海で、遊泳禁止のため海水浴客が寄り付かないどころか、サーファーですら本当にたまに見かけるくらいである(それでもこの海に来るサーファーは見事な波乗りを見せてくれるので見ていて楽しい)。

案の定、この日も風が強く、高波が次々と轟音とともに海岸淵に押し寄せていた。
この海を相手にたった一人で立ち向かわなくてはならないのか、怖気付きそうになった。でも、怖いと思った先に、きっと楽しいことは待ってるはず。

結果を先に言うと、この日は釣りにならなかった。
雄大な自然を前に、私の装備と実力はあまりに力不足だった。
殆どの時間をライントラブルの解消と、ロストした仕掛けの付け替えに費やした。

話を戻す。

私は、180cmの短い初心者用ロッドでL型天秤(10号)を海に向かって放り投げた。
仕掛けが波打ち際の少し先までしか届かない。
堤防で投げている距離感と全然違うのだ。こんなに飛ばないものか!と思った。

瞬間、ラインが風に煽られて遥か右へと流れていく。
慌ててスプールを戻してラインを回収するも、右へ流れたラインはテトラポットが立ち並ぶ方へ行きコンクリートに絡まり、早速ラインブレイク。

一瞬の油断がまずかった。
風強い状況下では、投げた仕掛けが推進力を失う前にラインを止めなくてはならない。でも、そんなこと知るよしもないし、考えもしていなかった。

次からは油断しないで、風に流される間もなくすぐさまに糸ふけを回収しよう。
何とか仕掛けを着底させ、竿をさびき始めるも、強烈な風と波の感覚が竿先から伝わってくるだけで、自分が何をやっているのかさっぱり分からない。

そうこうしている間に、根がかり。
荒波が立っているせいで、自生する海藻や、岩などの地形以外にも漂流物などが海底でごった返しているのだろう。

それならば根がかりしない方向に投げよう。
そう思い、改めて違う方向へと仕掛けを投げるも、潮だか涙だかに流されて、結局いつも同じような所へ錘が行ってしまう。錘が10号では軽過ぎたのだろう。
当然、流されやすい場所には他の漂流物の流れ着いているため、それらに絡まって、またラインブレイク。

仕掛けの付け替えも、風の強い中、足場の悪い砂浜では思うようにできず、悪戦苦闘する始末。
唯一の心の支えは、そんな状況でも投入した餌が食べられている痕跡があることだった。

「生き物はいる、魚は餌を食べている、頑張って釣りを続けていれば必ず何かは釣れる。」

そう自分に言い聞かせて、もはや楽しいとは程遠い気持ち、執着心のようなものを胸中に抱きながら釣りを続けた。

そして、やっと魚を釣り上げることができた。
クサフグであった。

膝から崩れ落ちそうになった。
海岸へ赴けば、堤防よりも多種多様の魚がいて、当然クサフグを釣り上げる確率も下がるだろうと、そう踏んでいたのだ。

それが、最初の一番目からまさかのクサフグ。
唯一の心の支えだった餌が食われた痕跡も、全部クサフグの仕業だったとしたら。。。

日本の近海にはもはやフグしか生息していないのでは、不安が入り混じった疑念を抱かずにはいられなかった。

「こんな過酷な状況でやっと釣り上げた魚がクサフグって、神様それはあまりに酷い話じゃありませんか?何とか恩恵を、私に恩恵をお与えください!」

私は自分の欲望を全面に押し出した祈りを捧げながら釣りを続けた。
そして、また魚が釣れた。

当然のように、クサフグが波打ち際から上がって来た。

私は知っている。
私利私欲にまみれた祈りに、神様は応えてくれない。

パチンコの時だってそうだ。
今当たってくれないとのっぴきならなくなる時に心の中でいつも思う。

「神様!助けて!」

これで当たった試しがない。

パチンコにしろ、釣りにしろ、それは道楽でやっていることだ。
神様だって、こんな安い祈りばかり捧げていては人類には愛想を尽かすことだろう。

私は神に祈るのをやめた。

そしてまた、魚が釣れた。
白くキラキラと輝くシロギスであった。

神様ってツンデレなのかな?と思った。
自分は見放すくせに、人から見放されるのは嫌いなのだ。

祈るのをやめた私は、またもキスを釣り上げた。

ツンデレの扱いには慣れているのだ、ははは!と驕り高ぶった瞬間からフグはおろか何の魚も釣れなくなったので帰ることにした。

キスは姿のまま素揚げにして頂いた。
美味かったが、魚は骨がない方が好きなので、次は開いて天ぷらにしようと思った。

魚の調理法もさることながら、この日は自分がどういう釣りをしたいのか見えて来た日でもあった。

私は海岸から釣りがしたい。
あの荒波の向こう側まで竿を投げ入れて、そこで釣れる魚を見てみたい。
そのためには、もっと遠くへ投げられる竿が必要だ。

数日後、私は釣具屋へ赴き、竿を調達した。

ダイワのリバティクラブ・サーフという竿だ。
錘が30号まで投げられるものを選んだ。
合わせてリールも購入した。
シマノのサハラ5000番だ。
(店員さんに勧められるまま買ったが、本当に正しい組み合わせだったのかは分からない)

どちらも釣具としては入門用で、比較的安価なものだ。
しかし、決して安い買い物ではなかった。
同じ金を払うなら、美味しいお寿司が何回か食える。

でも、自分の力で釣った魚を食べてみたい。
あの海で姿も見せずに泳ぐ魚たちともっと対面してみたい。

そんな思いを込めながら会計を済ませた私は、RPGゲームで新しい装備を購入した主人公さながら、次のダンジョンでの戦いが楽しみでならなかった。

さあ、次の釣行ではどんな場面が待っているのだろうか。

週末が楽しみでならない。
楽しみが待っている、それが嬉しくてたまらない。
こんな気持ちになるのはいつ振りだろうか。

指折り数える思いで、次の釣行までの日々を過ごした。

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