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東山紀之の見た目の綺麗さ

ジャニーズ騒動とかいう大昔のネタがようやくテレビで報じられるようになったけど

会見の様子がTwitterで流れてきて引っかかったのは、東山紀之の見た目の綺麗さ

あの年でめちゃくちゃ恨みをかうような事を沢山していて、それでも見た目は綺麗でいられるという事は、本当に反省も罪悪感も感じてきてないんだろうな
と思った

なんらかの罪の意識があったら、もう少し自罰的になるから絶対に見た目にもそれが現れると思う
でもやけに綺麗

調べてみたら

体脂肪率は9%をキープ[32]。1か月に100km走るというのが自分に課したルールだと語っている。腹筋は1日に1000回、20年以上欠かさず続けている[33]

との事

これはすごいけど、ジャニーズというお山の大将の地位を守るためにはこれくらいの事は必要なんだろうし、その苦労のメリットもきちんと受けているから、ただの努力の結果ですね。という事にはならない。

話が少しずれたが、とにかく東山紀之を見て思ったのは

人は行為ではく思いで汚れるんだな

という事

ずっと、悪人が元気で社会的にも成功している事が不思議だった
誰の事も傷つけずに粛々と生きている人が病んでいるのも不思議だった

この世界、行動が全て。だなんていうけれど
それだけでは説明がつかない事が沢山ある

善悪なんてのは、人間が脳内で勝手に作ったもので
なんとなく、これはダメでこれは良い。という一定の基準を共有しているけれど
本人が「悪」だと思わずにした事であるなら、それはその人自身を傷つけないんだなあと。

性的虐待なんて、どんな理由があっても肯定しようがない悪魔的行為だけど、それも受けた人によって捉え方は違う

成功が動機の人にとっては1つのステップだろうし
愛される事が動機の人にとっては、ジャニーさんという絶対的権力者からの寵愛を受けられたという喜ばしい事なのかもしれない

性的虐待なりパワハラを行う側も、それをする事に罪の意識がないのであれば、夜に急に思い出してとんでもない事をしてしまったと罪の意識に苛まれる事も反省の思いもないんだろう

むしろ思い出してはムフフと悦に浸っているくらいなのかもしれない

小さい時に「お金がない」と親から言われて育った人は、エアコンを付けっぱなしにするだけで罪悪感を覚え
何気なく放った一言で、相手の顔色が少し変わった瞬間を思い出しては、何が悪かったんだとグルグル自罰的な思考を始めてしまう

その一方で、ブランド物を買いまくったり、子どもに性的な虐待をしたり人権を無視した暴言を吐いても、何も感じない人もいる

で、人生全般に置いて苦しみが多い人はもちろん前者で
やっぱり行為ではなく、思いがその人の苦しみの素なんだなと

逆に言うと、どんな善行であっても本人が罪悪感と共にそれをしているなら、やっぱりそれも本人を傷つける

誰かが見ていて、その報いをどこかで受けるなら救いがあるけど
ジャニーさんは亡くなっているし、今までのようにはいかないだろうけど、東山紀之も社長として力を振るえる場所にいられる

従順な人たちが残るのが組織だから、まあこういう結果になるんだろうね
ジャニーさんは組織づくりとタレント育成、という点で本当に天才だったのがよく分かる

ジャニーズ帝国というやつだね

良くも悪くも、道徳観なんてものはこの世界でうまくやるためには必須じゃないという学びになった

道徳は人から嫌われないための処世術。それだけ
道徳的な人は、それを守れなかった時、自分自身を嫌うんだけど
その必要もないという事がよく分かるね

結局、自分は何が欲しくてどう生きたいか。という事なんだな


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