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東京の友達

突然東京に住む高校時代の友達から連絡が来た 

今度遊ぼ 

唐突な連絡に驚いた 
しかも彼女は東京で働いている   

遊ぶとなればどちらかが県を跨ぐ必要がある 

私がまさかと思いながら返信をした 

東京でってこと?

彼女から返ってきた答えは  

お互いの中間地点とか?

お互いの中間地点とは言えど 
やっぱり県外に行くと言うのはかなりリスキーだと感じるし 
すぐに答えを出せるようなものではなかった 

とは言え大切な友人の1人だから簡単に断る返事ができるわけもなく 

中間地点かぁ、 
お酒とか飲めなさそうだね 


と遠回しに断っているような返事をした 
このままうやむやになってしまえば
また状況が変わったときに気軽に会うことができるだろうと思っていた 

彼女から返ってきた言葉はこうだった 

そっかー 
割とこっちは関係なくやってるから 
気が利かなかった🙏



この返信を見た私はどうしようもない苛立ちと
ぶつけようのない怒りが心の底から湧き上がってきた 

ゴールデンウィークに私は祖父を亡くした
生前の祖父は老人ホームに入所していた 

コロナが流行する前までは3ヶ月に1度祖父に会いに行って 
祖父の昔話を聞いたりしていた 

このような状況になってからは親族でも
老人ホームの面会が一切禁止になった 

出入りして良いのは洗濯物や私物を届ける家族1人だけ 
その出入りですら、10分と言う制限時間が設けられていた 


だから私は1年近く祖父に会わずにいた  

ある日、祖父の体調が悪くなったと言う連絡が入った 
それでも面会は禁止 

脈拍が落ちてきたタイミングで面会の許可が下りるとの事だった 

それはつまり

本当の最後の瞬間しか会ってはいけない

ということだった  

だから私はその日から携帯の通知が怖くなった 
そうしているうちに連絡が入った 

祖父の脈が落ちているから面会を許可すると言う連絡だった 
家族の2名限定で

私の母と私が面会者として祖父に会いに行った 

面会時間は15分と決められていた 

病室に入るなり呼吸器をつけて衰弱している祖父が目に入った 

1年前はやせ細ってはいたけれど歩きまわっている祖父だったのに 

そんな祖父の姿を見て私は祖父の死を覚悟した

覚悟をした瞬間、涙が止まらなくなった 
15分と限られた面会時間だったのに 
その半分は祖父の目の前で泣きじゃくって
何も言葉をかけられなかった 

あっという間に15分と言う制限時間が来て 
私は祖父の手をぎゅっと握った

祖父が元気だった頃 
祖父と別れる時に必ず握手をして
また来るねと言ってその場を後にしていた 

元気だった頃の祖父は笑顔で 

がんばってな。

と言って強く手を握りしめてくれた。 

でも今は握った手を握り返すこともなく。 
うっすらと目が開いているだけだった。 

これほどまでにコロナを恨んだ日はなかった



そんな経験があった私だから
どうしても友人の言葉が許せなかった 

あなたが楽しんでいるその時間の裏で 
誰かが悲しんでいる 

私は一日でも早く普通の日常に戻って欲しい 

会いたい人に会えない人がたくさんいることを知っているから 

その中には時間が限られている人もいることを知っているから 

だから私はコロナを広める1人には絶対にならないと決めている 

この状況を食い止めることができなくても 
この状況よりも悪い状況にならないように尽くすことができる 

このような経験をしないと気づけないことじゃない 
広い視野を持つことで気づけることだと思う

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