彼方より来たる

 それは、あまりにも寂しい光景だった。
 十年ぶりに訪れたその街は、その姿をがらりと変えていた。林立する高層ビルの群れが、どこまでも続いていくそのさまは、彼らが無事に復興し、繁栄を取り戻した証しと言えただろう。
 だが、その街に、人の姿はなかった。
 空は重たい灰色に覆われていて、昼間のはずなのに陽の光もろくに差し込みはしない。そんな薄暗い街はただ建物だけを残して、まるで廃墟になってしまったかのように、嫌な静寂に包まれていた。
 そう、この街の人々は、一人残らず逃げ出してしまっていたのだ。
 それが、悲劇なのか喜劇なのか……外部からやってきた傍観者に過ぎない彼には、何とも言えなかった。
 一発目の破壊兵器は、迎撃兵器によって上空で破壊された。直接的な破壊こそ回避出来たが、おかげで街からは青空が消えた。
 そして二発目の破壊兵器が、今まさにそこに届こうとしていた。迎撃兵器は、今度は作動しなかった。
 だから人々は、無駄と知りつつも街を逃げ出したのだ。一発目は都市に毒を巻き散らす戦略兵器だったが、二発目は直接的な大規模破壊兵器だと、案外遅くまで機能していたメディアは伝えていた。
 それがひとたび炸裂すれば、誰も助かりなどしないだろう。
 あと数時間もしないうちに、この街は本物の廃墟に成り下がる。その前にすでに空っぽになった街を、彼は一人ぼんやりと歩いていたのだった。
 彼は、それ以前にこの街を訪れた時の事を考えていた。
 十年前、そこはまさに廃墟だった。
 それ以前も、ビルの林立する賑やかな都市だったという。だが彼が見たのは、そんな建物という建物のほとんどが薙ぎ倒されたあとの、瓦礫の山だった。
 瓦礫の下に多くの人命が消えていった。そんな絶望の地をかつて彼は訪れ、為すべき使命を果たしたのだった。
 かつて、その惑星を襲った災厄。
 空から飛来した《彼ら》は、ひとたび地上に降り立つと、そこに存在するすべてに破壊をもたらそうとした。
 それが何なのか……それは惑星の住人たちの理解を超えていたかも知れない。ともあれ、人々は彼らの空想の中にある生き物に当てはめて、その破壊者たちを「怪獣」と呼称した。彼らの想像の中の「怪獣」がそうであったように、破壊者たちはとても醜く、いびつな姿をしていて……そして彼らにとって、それは圧倒的な破壊と同義でしかなかった。
 それでも、その惑星は運がいい方だったのかも知れない。そうやって宇宙のあちこちに破壊をもたらした破壊者――「怪獣」達の中には、それらの惑星などよりもはるかに巨大な質量をもつものもいたし、恒星に匹敵する熱エネルギーを持つものもいた。個体ではなく、複数の種が複雑な文明を形成し、狡猾な計略で破壊をもたらすものもいた。
 そういう意味では、一瞬にして蹂躙され、消滅することがなかったのは、ある意味では幸運だったのかも知れない。……そう、彼らには、《彼》の到来を待つだけの機会があったのだ。
 そして……《彼》はやってきた。
 誰が頼んだわけでもない。彼も、決して何か見返りを求めていたわけでもない。
 ただ、彼は現れ、戦い、そして敵を殲滅し、ただ去っていった。
 彼の正体も、どこから来たのかも、人々は知らない。
 ただ彼が、怪獣たちと同じように星の海の向こうからやってきて、そしておそらくは星の向こう側へと帰還していった……それだけが、人々の知るすべてであった。
 彼の活躍で、人々は未曾有の危機を何とか乗り越えた。
 怪獣達が残した傷跡は深かった。だが人々には過去にも戦争や災害など、幾多の危機を乗りこえてきた歴史があった。個体としては脆い存在でも、種としては、生きる事にとても貪欲な生き物……それが、彼ら人間だったのだ。
 ……そのように、彼は信じていた。
 その彼が再びその星にやってきて、目の当たりにしたのは……目の前に迫った破壊であり、廃墟も同然と化した街並だった。
 その目でそんな光景を見るまでは、自分が助けた彼らの、そのバイタリティを信じて疑わなかったのに……。
 そう、彼自身も人間の姿に偽装し……人間の中で生活し、彼らを見てきた。進展を遂げた技術や知識とは裏腹に精神は貧弱だったが、彼らは常に前進する意欲に満ちていた。
 だから……不安材料がないわけではなかったが、彼は彼らの未来を信じていたのだ。
 その思いを、バラバラに打ち砕かれた。
 目の前に広がるのは、ただの「絶望」だった。
 空気が、とても冷たく感じられた。
 空は分厚い雲に覆われて、街はまるで夜のように真っ暗だった。その空から、ちらちらと舞い下りてくる、白いもの……ふわふわと、やがて無数に空から降り注いで来て、いつしか街を白く染めていく。
 その光景を、彼はより絶望を強く感じながら、ぼんやりと見ていた。
 雪、という気象現象を知らないわけではない。
 だが、今目の前で降っているそれが、気象上の現象ではない事も彼は知っていた。先にこの街のはるか上空で炸裂した破壊兵器……本来はその兵器が地上で巻き散らすはずだった毒が、白い結晶となって街を覆い尽くしていたのだ。
 無人の街に振り注ぐ真っ白な雪。それが本当に雪だったなら、どれほど良かっただろうか。
 穢れが、美しい雪を偽装して降り注いでくる。
 これを絶望と言わずして、なんというのか……彼はそっとため息をついた。


 目に映る景色のほとんどが真っ白になる頃。
 彼はやがて、公園にたどり着いた。
 人工物で覆い隠くされた街に、わざと持ち込まれた自然の空間……さらなる人工物としての、不自然な自然がそこにあった。その不自然さが、人間らしいと彼は思っていた。
 その公園も、今はやはり真っ白に染まっていた。
 穢れは、土や緑も汚染するだろう。今は雪を被ったかのように美しかったが、やがて木々はしおれていくだろう。……いや、その前に、迫り来る二発目の破壊兵器が全てを焼き尽くすだろうが。
 彼以外に誰の人影もなく、白い地面の上には足跡ひとつ残っていなかった。
 その一面の白さを、彼は美しいと感じていた。同時に、その美しさが、死をもたらす毒であるという事に言い知れない哀しみを覚えた。
 ふと見ると……広場の片隅に、記念碑のようなものが見えた。とても巨大で、遠くからでもその姿がよく見えた。
 それは記念碑というよりは、彫像だった。一人の人間の姿が、丁寧にかたどられていた。
 だがよく見れば、そのフォルムは人間とは少々違っているようにも見えた。……それが何なのかに気付いて、彼は苦笑した。
 それは人々が、かつての絶望的な破壊を乗り越え、復興の機会を得られた事を祝福するための記念碑だった。
 その彫像がかたどっているもの……その惑星を救い、人々にとっての英雄となった、一人の戦士の姿がそこにあった。
 そう、彼自身の姿が。
 この、絶望の一瞬に、まさかそのようなものに巡り合うとは……彼はそれを少しばかりの皮肉であるように感じていた。もっとよくその姿を見てみようと、ゆっくりと歩み寄ってみる。
 その時だった。
 そこで初めて気付いたのだが、その彫像の台座の部分に、一人の人間が倒れていたのだ。
 彼は思わず、その人間の元に駆け寄った。
 若い女性だった。少女、というには少し年長にも見えたが、まるで眠っているかのようなその死に顔は、それこそ幼子のようにあどけない顔だった。
 いや……その女性は、死んではいなかった。かすかに胸が上下している。呼吸しているのだ。
「おい……しっかりしろ」
 彼女の身体に降り積もった白い結晶を払い落し、上体をそっと抱き起こした。
 普通の人間ならば、この毒の中では無事では済まない。もはや手遅れなのは明らかだったが……助けられないにしても、放っておく事は出来なかった。
 抱え起こしてみると、彼女は目をうっすらと開ける。
 焦点の合わない眼差しが、ぼんやりと彼を見やった。彼女は弱々しい笑みを浮かべ、その口を開いた。
「……やっぱり、来て下さったんですね」
 少し、意外な言葉だった。
 虚を突かれた彼に、彼女はさらに言葉を投げかける。かすれた声で、そっと。
「まさか……あなたにもう一度お会いできるなんて、思ってもみませんでした」
「君は、私を誰かと勘違いしている。この街に、私の知り合いなど」
 恐る恐る否定したが、彼女は優しげな笑みを浮かべて、首を横に振った。
「あなたが何者なのか、一目見ただけですぐに分かりました」
「……君は、私が何者なのかを知っているのか?」
 恐る恐る、問いかけてみる。彼女の目は焦点を結ぶともなく、ぼんやりと彼を見やっていた。……本当に、彼が誰なのかを分かっているのだろうか?
「あなたは覚えていないでしょうけど……私はあなたに、その手でじかに助けていただいた事があるのです。十年前、私の命を救ってくれた恩人……その人の顔を、まさか見間違えるなんて」
 そう言って、彼女はもう一度、弱々しく微笑んだ。
 もしかしたら、それはうわ言なのかも知れなかったが……彼自身、かつてこの星に来た時と同じ偽装をしていたのだから、もしかしたらそういう偶然の巡り合わせもあったのかも知れない。十年前、彼はそれこそ、沢山の人々の命を救ったのだから。
「あなたはきっと、今度は私達を助けてはくれないのでしょう。あの時、空から迫り来る脅威に、私達はなすすべもなかった。そして今度もまた。でも、あの時とは違う。今度は、自分たちの手で、自分たちを滅ぼそうとしているのだから」
「……君たちは、死にたいのか? 私の目にはまるでそう見える。何故死に急ぐ。何故、自ら殺し合うのだ?」
「さあ……誰だって死にたくはないし、誰も殺したくはない。でも、それよりも大事なものを守るために、悲劇は何かと引換えにしていいのだと、そう勘違いしている人が大勢いるのでしょうね」
「……そんな連中のために、君は死んでゆく。私の目の前で。……どうしてこの街を逃げ出さなかった。どうして、ここを死に場所に選んだんだ?」
「だって……あなたに救われた命だから」
 その言葉に、彼は胸が痛むのを覚えた。
 そう……彼はこの星を、もう一度救うためにやってきたわけではない。
 それを考えると、彼女を直視することさえためらわれた。
 その時だった。
 不意に人の気配を感じ、彼は振り返った。
 そこに、人間の姿などあるはずがなかったのだが……そこに、確かに人影が立っていた。
 ぱりっとしたスーツを着込んだ、痩せた背の低い男だった。彼はつかつかとこちらに歩み寄ってくると、真深にかぶった帽子をとった。
 品のいい、初老の紳士がそこに立っていた。
「……お前は、一体」
「私が何者なのか、分かりますね?」
 その男は、そういって彼に声をかけた。
「……『評議会』が君を寄越したのか?」
「その通りです。何故、あなたが命令を実行しようとしないのか……『評議会』の危惧した通りになって、私も少々驚いているのですが」
「君にもこの星の現状は分かるだろう。これでもなお、私にこの星を滅ぼせというのか? この現状を見ても、彼らがいつの日かその破壊を宇宙にもたらす、そんな可能性があるというのか?」
「どういう事なの……?」
 彼の言葉に……傍らの彼女が、不安な表情を見せた。彼はややためらいを見せたが、真相を告げた。
「それが、我々の決定なんだよ。君たちはいつか、自ら殺し合うその悲劇を、憎しみを、破壊を、宇宙へと招く存在になるだろう……と。そうなる前に、この宇宙から排除してしまえというのが、私の受けた任務だった」
「……殺しにきたの? 私達を」
「そうだ……」
 彼はそのまま、黙り込んでしまった。彼女は何も言わずに、ただ目を閉じた。
 彼はただ、男に向かって告げた。
「……現状を見れば、その必要がないのは分かるだろう。この街に破壊兵器が落ちれば、こちら側の陣営の報復兵器が作動する。そうすれば、彼らはもう終わりだ」
「では、それを見届け、その後に帰還してください」
「それで、私はどうなる?」
「そうですね……帰還後は、おそらくあなたのために査問会が開かれるでしょうな」
「査問……」
「命令を守らなかった。当然でしょう」
 伝える事は伝えた、とでもいうように、男はそのままくるりと後ろを向いて、去って行こうとした。
 彼はそれを呼び止める。
「それはどうかな。この作戦に関しては、私は全権を委ねられている。その実行の可否も、私自身が判断していいのではないのか?」
「……『評議会』を敵に回すおつもりか」
「『評議会』は、我々の本来の理念を汚している」
「……」
「宇宙に破壊や滅亡をもたらす悪性文明……それは確かに排除すべき存在かも知れない。だが、将来における可能性があるというだけで、彼ら自身には何の罪もない! 『評議会』の行為は、身勝手に理由をつけて、他の文明を侵略する行為だ。『評議会』こそ、その方針のもと排除されるべき存在だ」
「本気ですか、先の大戦の英雄たるあなたが、そのような事を」
「君達が、狂った方策を推し進めるのならば」
「……」
「私は私の守るべき理念に従って、彼らに立ち向かうまでだ」
「……何故ですか。何故そこまでして、彼らの味方をするのです?」
「約束したんだ……この星を脅かす全ての脅威から、彼らを守ると」
 そう言った瞬間……彼の腕の中で、彼女は大きく咳き込んだ。その口からごぼごぼと血を噴き出し、がくがくと身体を震わせたかと思うと、そのまま二度と、ぴくりとも動かなくなった。
 彼女が息を引き取ったのを確認すると、その身を彫像の前にそっと横たえて……そして彼は、ゆっくりとその場を離れていった。
 そして、灰色の空をぼんやりと眺める。
 その背中に、男の声が投げかけられた。
「……あなたが何をやろうとしているのか知らないが。それは、ただの偽善ではないのですか?」
「そう……そうかも知れないな」
 ただ一言だけ言い残すと、次の瞬間には、彼の姿はその公園からかき消えていた。
 初老の男が、上空を見上げる。にぶい灰色の空の彼方に、一条の流れ星が光っているのが見えた。……それはゆっくりと、ゆっくりと、彼方へと上昇していって……そして、消えた。


 その日、某国某都市を直撃するはずだった一発の破壊兵器は、成層圏の遥か上空で爆発した。その禍々しい光が地上から肉眼でも観測されたが、その破壊の災禍が地上を襲う事はなかった。
 別の某国偵察衛星が、爆発の間際に捉えた一枚の写真。
 ――人々は、かつて彼らを救った戦士の姿を、再び目の当たりにした。

(初出:2002.3.13)

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