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認知症の家族との「晴れ」の作り方 『ボケ、のち晴れ 認知症の人とうまいこと生きるコツ』はじめに公開

 2月1日にアスコムから、理学療法士、熊本県認知症予防プログラム開発者である川畑智さんの著作『ボケ、のち晴れ 認知症の人とうまいこと生きるコツ』が発売されました。
 認知症の家族と暮らす日々の中での「晴れの日」の作り方を、漫画家・中川いさみ先生の温かく、クスっと笑えるマンガとともに紹介する本作。
 その発売を記念し、期間限定で「はじめに」を無料で公開します。
※無料公開の期間は未定です。予告なく、公開を終えることがあります。

はじめに

家族が認知症に!
曇りの日々に差す「晴れ」の日のつくり方

 ある日、80歳で認知症の藤田さんが、入居先の施設でこんなことを言いました。
 
「私は、頭がパーになったのよ。仕方のなか……」

 認知症になると、自信を失い、自虐的な言葉を口にすることがよくあります。

 「そんなことないですよ」「大丈夫ですよ」
 そんなふうに返すのもいいけれど、もっとこう、一気に藤田さんの心を明るくできるような切り返しはないものか? 

 そう考えた私は一計を案じ、
 「藤田さんはパーですか……じゃあ、私はチョキでも出そうかな?」

 大して面白くもないダジャレだけど、神妙なムードが一変する一発逆転。
 藤田さんは大笑い。
 つられて私も大笑い。
 どんよりと曇り模様だった空気が、一気に晴れ渡った瞬間です。
 
認知症の症状は、お天気と同じで、晴れたり曇ったり。
 思うようにいかず、本人も介護する人も、お互いにずっしりと重たい「曇り」になってしまう日もあります。
 でも、ふとした瞬間に理解が進み、心が通じ合う「晴れ」の瞬間もあります。

 では、どうすればそんな「晴れ」の日を増やすことができるのか?
 それがこの本のテーマです。


 家族が認知症になったとき、ほとんどの人の頭に最初に浮かぶのが、「本当に認知症なの?」という疑問。
 認知症も初期の段階なら、「あれ? ちょっとおかしいぞ」と感じる程度で、日常生活にそれほど支障はありません。

「単に年のせいでは?」
「昔から忘れっぽかったし」

 ようは、安易に認めたくないわけです。

 ところが、少しずつ「記憶の苦手」が増えてきて、「場所の苦手」を感じるようになる。
 「置き忘れ」や「しまい忘れ」のせいで生活の不便さを感じるようになる。
 若い頃は得意だった読み書きや計算だって、おっくうになってくる。

 それでもご家族は、頼りがいがあり、はつらつとしていた姿が脳裏に焼きついていますから、今、目の前で起きている現実との折り合いがつけられません。

 つい、きつい言い方をしてしまったり、軽くあしらいながら、「しっかりして」「ちゃんとして」と言ったりしてしまう。
 家族も本人も、「この先、どうなっていくんだろう?」という不安ばかり大きくなってくる。

 これが、認知症の人とそのご家族の暮らしが分厚い雲で覆われてしまう、とてもよくあるケースです。


「晴れ」をつくるために大切なのは、
 
 これからなにが起きるのか?
 なぜそれが起きるのか?
 そんなとき、どうすればいいのか?

 この3つをあらかじめ知っておくことです。
 知っておけば、心の準備ができます。いざそのときに対応ができ、「どうにかなるさ」「まあいいか」と思えてきます。
 日々の介護の中で心が通じ合う瞬間が増え、ほっこりと温かくなり、大笑いできるようになります。

 そんな晴れ間をつくるための考え方や方法を、この本でたくさん紹介します。
 
 すべてを無理に実践しなくても構いません。
「これならできそう」「やってみたい」と思うものから試してみてください。


 ごあいさつが遅れましたね。私は、理学療法士の川畑智といいます。
 理学療法士とは、わかりやすく言えば、リハビリの専門職。
 以前は病院に勤務していましたが、今は地元・熊本県を中心に、認知症の人も安心して活躍できるまちづくりを目指し、行政と連携して活動しています。

 ほかにも、病院・介護施設の運営や、職員の知識向上のためのアドバイスや定期巡回をしたり、患者さんやご家族に向けて、認知症への学びやケアなどに関する講演を年間200〜250回くらい実施したりもしています。

 必要とあらば、飛行機や新幹線でどこへでも足を運びますし、最近はオンラインという便利なツールのおかげで、朝は北海道、昼は沖縄といったように、全国いろんな地域の方たちと交流する機会が増えました。
 テレビやラジオなど、メディアでお話しさせていただくこともよくあります。

 さて、私の活動の紹介はこのくらいにして、本題に戻りましょう。


「認知症になると、なにもわからなくなる」と思っている人が、結構います。
 じつは、理学療法士になりたての頃の私もそうでした。
 何度も同じことを言うし、部屋からリハビリ室までの道順もわからない。
 トイレに連れていっても、便座に座ったまま動かない。
 ゼンマイが切れたのか、頭の中が停電したのか、それとも頭と体をつなぐギアが壊れてしまったのか……。

 いつもできないわけじゃないから、なおのこと不思議に感じたし、こっちを試そうとわざとそう言っているのではないか? そう演じているのではないか? とさえ勘ぐってしまう自分がいたことを、今では恥ずかしく思います。
 
 81歳の鈴木さんに、認知機能のテストをしていたときのことです。
「ここはどこですか?」という私の問いかけに、まったく反応してくれません。
 私は、思わず身を乗り出し、車いすに座る鈴木さんのヒザにトントンと合図を送りながら、何度も「ここは、どこですか!?」「ここです!」と聞き直しました。

 すると鈴木さんは
 「ここは、ヒザ!」
 と答えたのです。

 返す言葉に詰まりました。
 だって、あながち不正解とは言えませんよね。
 私の手は、はっきり鈴木さんのヒザの上に置かれていたのですから。

 そうか、認知症といっても、なにもかもわからないわけではないのか―
 どんよりと曇っていた私の心に、一筋の光が差し、晴れ間が見えた瞬間です。

 そうして視点を変えてみると、
「この人、珍しい見方、面白い視点で見ているな」とか「わかっていないと思っていたけれど、すごく真っ当なことを教えてくれるな」と気づかされる場面が増えていきます。
 どんどん心に「晴れ」が広がっていきます。

 そう。認知症の人って、こっちが勝手に決めつけている以上に、いろんなことをわかっているんです。

 そのことを、できるだけ多くの人に知ってもらいたい。
 その思いから、私は病院という枠を飛び出し、認知症の人の心の中への理解もふまえたケアを広める活動に身を投じるようになりました。

 あのときの「ヒザ!」という答えがなければ、私は今でも、人の思いに寄り添えない、未熟な理学療法士のままだったかもしれません。
 本当に人生って、なにがきっかけで、どこでどう変わるかわかりません。


 じつは、私のじいちゃんも認知症でした。

 じいちゃんは宮崎県に代々続くみかん農家の生まれで、日向夏という宮崎特産のみかんを始めたのは、じいちゃんの一族なんです。
そんなわけで、宮崎ではちょっとした有名人だったじいちゃんは、私の自慢でもありました。

 認知症になってからも、めがねを額にかけたまま「めがねめがね……」と探し回る姿は、どこか愛らしくて、さながら往年の漫才師・横山やすし師匠のよう。
 それでも晩年はかなり症状が進み、ばあちゃんの葬式のときには、自分の妻のこともわからなくなってしまっていたほどです。

 大変だったのは、事あるごとに呼び出され、じいちゃんのお世話を続けた、娘である私の母です。
 先日、母にじいちゃんとのいい思い出があるか聞いたら、「大変だった思い出ならあるけど……、細かいことは覚えていないわ」と言うんです。
 じいちゃんの葬式のときには、大泣きするかと思ったけど、それまでが大変すぎて、思うほど涙が出なかった。「ホッとした部分もあった」と。

 昔は、介護は自宅の中で、家族だけで行うことが当然でした。
 「痴呆症」と呼ばれていた頃は、世間の目を避ける風潮もありました。

 でも、今はそんな時代ではありません。
 介護保険などの制度も、人材も設備も、一昔前より格段に進歩しています。

 認知症と診断されたみなさん、そしてご家族のみなさん。
 どうか、頑張りすぎないでください。
 誰かを頼りましょう。

 「誰か」とは、家族や親せき、自治体や国、制度、「認知症カフェ」などで出会う、同じ思いを共有できる人たちなど、あなた以外のすべてです。

 そのための方法も、この本にはたくさん書いています。


 それと、なにより大切なのは、「笑う」こと
 242ページには、最後の症状として、「笑う能力の喪失」と書かれていますよね。

 そう。
 さまざまな能力や機能を失ったあとに、本当の最期、昏睡状態になる直前まで残されている機能が「笑う」ことなんです。

 私が誰より笑ってほしいのは、認知症の家族を支えるあなたです。
 「笑うなんてとてもとても……」と思うかもしれません。
 コツは、0か100かではなく、毎日の変化の波に気づく視点を持つことです。

 その日によって起こる、小さな波の違い。
 昨日はわかりやすかったり、今日は伝わりにくかったり。
 そうしていくうちに、今まで意識していなかった、大切なことが見えてきます。

 その人の人生史、本当に大切していること、好きなもの、妙なこだわりや、ちょっとした欠点。そして、あなたや家族をどれだけ愛しているのか……。

 それを知ることこそが、認知症介護の中に差す光、すなわち「晴れ」なのだと、私は思っています。


 そういえば、前にこんなことがありました。
 その日は、認知症で72歳の岡田さんの定期的な認知機能のチェックを行ったのですが、思った以上に症状が進んでいます。

 それを察してか、ご主人の顔も、曇り空。
 私は励ましの意味も込めて、ご主人に「こんな日もありますよ、でも、優しく支えてあげてくださいね」と言いました。

 すると、なんと岡田さんご自身が、
 「あなたっ! ちゃんと支えなさいよ!」
 と、ご主人に向かっておっしゃったのです。

 支えられる本人が、「支えなさいよ!」なんて、おかしな話ですよね。
 でもご主人は、だんだんコミュニケーションが難しくなっていく奥さんの口から急に飛び出した言葉に、苦笑いしながらも胸を熱くされている様子でした。

 「支えるよ!」と叫び返すご主人に、
 「任せたわよ!」と畳みかける岡田さん。

 それから私とご主人は、お互いの顔を見合わせて、思わず笑みがあふれました。
 ご主人は笑いながら、目には涙があふれんばかりでした。

 お二人のその掛け合いは、深い愛情の中に、どこかおかしさがあり、今でもじんわりと私の心を温めてくれます。
 曇っていたはずの日に、さわやかな晴れ間が訪れた瞬間でした。
 この日の記憶は、いつか岡田さんがいなくなった後も、ずっと、ご主人の心を温め続ける「晴れ」になるでしょう。

 この本のタイトルは『ボケ、のち晴れ』。
 そう、「のち晴れ」という言葉には、介護をしている最中だけでなく、さよならした後もずっと続く「晴れ」という意味も込めています。


 この本に仮名で登場する認知症の人とそのご家族のエピソードは、すべて、私が実際に経験したものです。
 そのいくつかは、すでにあなたと、あなたの大切な人が経験したことかもしれませんし、これから経験することかもしれません。

 それでは、始めましょう。


無料公開のまえがきは、以上となります。

つづきは、書籍でお楽しみください。編集部より


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