落ち葉が美しいのはなぜだろう。落ち葉から人生を感じる。
紅葉が美しくなりましたね。
秋の風物詩、紅葉
春の桜からみると長く楽しめるように感じます。
桜の時期は短くはかないのですが、紅葉のようなせつなさはないように感じます。
はかなさとせつなさ
儚さ=消えやすく長続きしないこと
切なさ=さびしい、こいしい、ものがなしい
桜の花も散る時は寂しさを感じるのですが、そのさみしさは紅葉と違う。
紅葉の時期もものすごく長いわけでなく消え儚いのですが、切なさが大きいようにな感じます。
それは、四季の流れによるのかもしれませんね。
春はこれから温かくなる、秋はこれから寒くなる
春はこれから緑が増える 秋は葉が落ちるだけ。
人の一生を季節で表すことがあります。
春に青を配(青春)し、夏に朱(赤)(朱夏)を配し、秋に白(白秋)を配し、冬に玄(黒)(玄冬)を配して四季を表した。
人生の春に散る桜は、切なさはなく儚さを感じる。
あ~ 儚さの感じって人に夢ですね。春は人がこれからと感じ夢を実行しようという気持ちになりやすいですよね。
人生の秋が晩秋という言葉があるように、1日で表すと晩 夜の手前です。
だからせつなさが強く感じるんですね。
木から離れ落ちてしまった葉の落ち葉を楽しむ
金沢に紅葉がキレイな「アメリカ楓通り」という道があります。
木々の紅葉が美しかったのですが、道に落ちている落ち葉もキレイでした。
その落ち葉の道を歩くと「わしゃわしゃし」と音を楽しみました。
それをしながら、「あ~、木から落ちてもこうやって色や音で楽しませてくれるんだ」としみじみと思いました。
私のデスカフェで死を感じてもらうのに読む絵本「葉っぱのフレディ」を思い出しました。
これも葉の一生を表した絵本。最後に一人残ってしまったフレディ。風にのって木から離れました。その風で自分がいた木の姿を知ります。雪の上に落ちたフレディは雪解け水にまじり、木を育てる養分となっていく。
落ちてもなお生きていく。
人も同じ。死を迎えその人の存在は消えてしまっても、その人の生き様、言葉や残したものは生き、それが誰かの心に刻まれ生きてい行く。
紅葉 落ち葉
そこから はかなさ せつなさ 人生
いろんなことを思いました。
「あなたは生きているだけですでに誰かに貢献している」という「アドラー」の言葉がありますが、生が終わっても貢献していると感じた紅葉の散歩でした。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
今週末、13日(土)午前にこの投稿に載っていた「デスカフェ」をします。
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