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ライフ&デスカフェの日


2ヶ月に1回開催しているライフ&デスカフェ
7月に4周年を迎え、その時からずっと参加してくれている
牧師さんの教会で開催してます。

毎回 開催して良かったと私がぽかぽかの気持ちになる。
参加者のみなさんも最後の感想には、来てよかった。
この場が自分の振返りの場です。
来てよかった。
そうそう、初参加の人の多くの方が感想で言われるのが
どんなところかと思ってきましたが、とても明るく楽しい場でした。
なんです。
そうですよね。デスカフェって名前から決していいイメージを持たないと思います。特に死を穢れとして扱っていた神道がある日本ではね。

私も2013年にこのカフェを知ってビビっときたけど、なかなかこのネーミングで開催することはできなかったもん。

今でも「なんでそんな名で?」とか
「そんな不吉な~」という声もある。

でも内容を考えたらデスであるし死であるからごまかした名前にしてもね~
違う名前でしていた時もあまり人は来なかったしおんなじかなと思ってね。

思いを安心して語れる場

参加者の方が言われた言葉
死というものについてこんな風に大の大人が思いを語れるのはユニークだ。
怖さ(自分がどのような発言をするのか)を感じながら参加しましたが、こんなに自分が素直に思っていることを語るとはビックリでした。
イギリスで発祥した時からカフェにはルールがあって、
「誰もが安心して死について話せる環境」
「議論を誘導しない」
があります。
わがライフ&デスカフェにも安心して話せる場を作るためのルールを設けています。

どのようなことを話しているの?

具体的な内容はお話しできませんが
テーマとして今回は私がスクーリングに行った東北大の臨床宗教教養講座で話されたことも入れてみました。
・最近出合った死のこと
いつものようにこれから始まりました。
ここで印象に残ったのは死後どうなるのかから生まれる前は?の話になり
人それぞれの死生観を語り合いました。これが深かった。(語っている人は死生観という風に思って反してないと思ますが)
・死はどんなもの?
・自分が死んだら?
ここから墓石になんと書いて欲しいかということも考えました。
・亡くなった家族はどうなている?
この話からその家族からのメッセージも考えてみました。
自分の大切にしているもの、大切なもの 信念や目標そんな話に発展しました。

主催者として感じたこと

毎回思うことですが、本当に必要な場だと感じるのです。
私にとって自分の思いの原点に還れる場、スイッチの入る場になっています。

死について見つめるのですが、必ず生の話になり、今をどう生きているか?
これからどのように生きていくのかに繋がります。

自分の思いの再確認となっているな~
自分を大切にしようとなっているな~
今の自分でいいと感じているな~
と参加者の変化をそのように感じてみています。

語ることで確認や再確認ができるんですね。

カフェのこれから

私がしているカフェのような語る場は3つあります。
ワイワイ食事や飲みながら語る カタリBar(オンライン)
哀しみについて語る グリーフケアcafe
そしてこのライフ&デスカフェ

みんなその時に未来を語り別れます。
次に会った時に近況報告で決めた未来のことを語ったりします。

居場所的な整理の場的な場になりつつある。
私が最初にカタリBarをしたいともったゲストハウスのような
集まり思いを語り みんなでそれを見守り そしてまた報告しに来る

おかえり~ただいま~の場だなと
なかなかそんな雰囲気ではなかったのですが、今年に入ってからそんなことを感じてきました。次回からはこのように挨拶をしていこうと思き、そのような場に感じてもらえるようにしていこうと思ったのでした。

リアル・オンラインとありますが、1度来てこの場の雰囲気を味わってほしいと思うのです。

次回は来年の1月になると思いますが、その前に死生観ワークショップもしたいと思っています。またご案内しますので、来てね~




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