「美しい、この世界で」

 昔から、創作をする、つまり自分の手で何かを創り出すことが好きで、それが他者に影響を与えることに素晴らしさや美しさや楽しさを感じる人間でした。「発信する側」になりたいと、ずっとずっと思って生きてきました。だけど、そうは思いつつ、自分に対するいろんな葛藤で何も取り組むことが出来なかった人生でした。
 だけどようやく「音楽」という表現をとることができるようになっている今、私は何をしたいのか、何が出来るのかをずっと考えています。

 たとえば私達が音楽を奏でたとして、「死にたい人」を、「よし、これからは前を向いて希望を持って頑張ろう!」みたいな風に瞬時に、劇的に変化させることは多分無理で、人生の根幹を一瞬にして全て覆すなんてことは多分出来なくて

 そんなレベルのことは何をやっても誰であっても、なかなか出来ることではないから
出来る人もいるかもだけど

 けど、何かほんの少しでも、今までの自分の中になかった感情を、かつてそこにはあったけど、色んなことに押されて今は忘れてしまった感情を、感覚を、ドキッと心臓を打つような、「もしかしたらこの出会いで自分の何かが変わるかもしれない」という期待のような願望のようなものを、かつての自分が音楽にそれらを与えられたように、次は自分が誰かに与えられたらいいなと、そう思いながら私はスクールガールズエンドでアサヤケユウナとして歌を歌って行きたい。

 それらは辛さ、苦しさ、空虚さとかに寄り添えたことで生まれることもあるだろうし、夢とか希望とか未来とか、そういうものを語ることで生まれることもあるのだろうと今ではそう思う。少し前までは、後者の気持ちを理解できなかったのだけど、それこそ今回のツアーでの経験や出会いや、ここ最近の出来事を経て、少しずつそう思えるようになってきました。

 そして音楽によって生まれたその「今までになかった何か」が小さな光になるか、大きな光になるか、それも人それぞれ変わり得るだろう。だけど、そういう「光」が胸の中に一つあるのとないのとでは、生きていく上で大きな差になる。
それこそ生死を分けてしまうほど大きな差になると、思う。

 「光」が本当の本当に一切なくなってしまった時のどうしようもなさ、こんな単語だけでは言い表せたもんじゃないけど、それが何年も何年も続いた果ての果てにある空虚や現実感のなさ、自分という概念がもうわからないような、言葉に尽くせないあの感覚、私はそれを今まで生きてきた中で、もう痛いほどいらないほど体感してきた。そんな状態になってもそれでも死ねない苦痛を知っている。

 そして、小さな小さなものでも、自分にとって大きな意味を持つかもしれない「光」が現れたその瞬間の素晴らしさというか、素敵さというか、その尊さを、ようやく私は知りかけている。いま、偶然なのか必然なのか、その段階に、急に到達しようとしている。急すぎるほど。

 自分語りはさておき、こういうことを踏まえて、苦しい時間が長かった私はやっぱり、今まさに苦しくて、生きているだけで辛いような「死にたい人」にフォーカスを当ててしまうところはある。共感してしまうし、苦しみながら悩む姿は美しいと思うから。
 けど、そういう人だけじゃなくて、全てひっくるめた多くの人にとっての「価値ある何か」になれたら一番いいな。

そして最後に
変わっていく私をどうか許してほしい、と願います。

これからもスクールガールズエンドを見守ってください。よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?