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息子の、出産の記録

いろいろなところに散らばっている息子の成長や子育て日記、少しづつまとめたものです。時系列ではないかもしれません。また途中で思い出した内容も綴ったりする予定です。※息子は2005年9月生まれです。

2005年9月29日

am03:00

少量破水、その後断続的に少量づつ破水が続く

am03:40

タクシーにて病院到着
まったく陣痛はなく、破水のみ。
部屋に通されてとりあえず眠るように言われる。
この8畳の部屋が私の出産場所となる。

am07:00

緊張してしまってちっとも眠れないまま朝に。
出された朝ごはんを食べる。

am09:00

診察。できるだけ自然な分娩を希望していると伝えると、自然な陣痛を起こさせるための指導を受けることに。よく歩くこと、スクワットをしたり階段を登ったり、お灸をして暖めて…。お決まりの子宮口をぐりぐり開く内診もされる。痛くて痛くて思わず悲鳴を上げる。子宮口5cm開。

その後…何をしても陣痛は起こらず、結局就寝。感染が危惧されること、赤ちゃんの健康にも影響が出てしまうことを説明され、明日の朝に陣痛促進剤を使用することを告げられる。ぎりぎりまで自然に…と思っていたけれど、そういわれてしまえば仕方がない。点滴が嫌で無痛分娩をやめたのにとか、思い出した。


9月30日

am09:00

診察。軽い生理痛くらいの腰のだるさはあるものの、未だ陣痛は起こらず、誰の目から見ても促進剤を使用することは明らか。今日の内診では子宮口ぐりぐりをされず、簡単な説明をされてから点滴の準備に入る。

am09:30

点滴開始。注射が何よりも苦手であることを告げると、細心の注意を払って針を刺すことを約束してくれた。まずは抗生物質のアレルギーテストのための注射を2本。その次にその針の倍以上の大きさの針で点滴のための血管に届く管を差し込む。出産への覚悟を決めたとはいえ注射への覚悟を決めたのは昨日。差し込んだ管から血がにじんでいて動揺せずにいられない。お願いをして管の上から見えないように包帯を巻いてもらった。
巻き終わると同時くらいに旦那さんのお母さんが到着。
点滴スピード:20~40

am10:00

早くもお腹が痛い。痛みは生理痛のレベルで5くらい。(私のひどい生理痛を10段階に分けたときの5)まだまだ知っている痛み。しかも不規則に痛むので、陣痛にはなっていない様子。
旦那さんとお義母さんが背中をさすってくれようとするけれど、触られたくない。
点滴スピード:40~100

am10:30

痛みの間隔が3分を切り、気がつくと規則的になってきている。痛みは生理痛レベル8。とりあえず痛いときに会話はできない状態。「痛い」と口に出すのも嫌になってきた。
旦那のごはんの心配をしたり無駄話をしようとするお義母さんにイライラして旦那に連れ出してもらう。後でフォローしなきゃなあと思いながらもここは私の戦場と決め込み、好き勝手することに決める。
点滴スピード:120(max)

am11:00

痛みの間隔は1分になる。痛みの継続時間は45秒。今自分がどのくらいの経過にいるのか把握したくて、すぐ横にいる旦那ひざをたたいて痛みの始まり、終わりをメモしてもらう。ひっきりなし&意識が朦朧としているので正確に伝えることができない。生理痛レベル10。私が生理で知っている痛みはここまで。生理ならばこのあたりで痛みに気を失い、失っている間に終わる。けれど今回は気を失いそうにない。さすが陣痛だわ。痛い間意識をどこかに飛ばそうと一生懸命になる。現実に引き戻されたくなくて触られたくない、音を聞きたくない、声を出したくない。
けれど一方で、この痛みでは産まれないことは理解できる。これじゃない。まだこの程度ではないだろうと、感覚的に分かる。赤ちゃんが出てくるステップにつながる痛みではない。

am11:30

今まで経験したことのない、私の知らない痛みを感じ出す。私は意識とばしに集中しようとしてまったく動かなくなる。意識すると気が狂いそうだ。精神が破壊されるのではないかと不安になるくらいの痛みが襲う。気を失わないのがおかしい。
けれど、叫び狂うならまだしも動かなくなる反応をする妊婦はあまりいないようで、後から知ったのだけれど助産師さんは「体を休めている」と思ったらしい。そして、それだからかしらないけれど…この未知の痛みに立ち向かおうと必死の私に苦難が襲う。

am12:00

「検診に行きましょう。」という声が聞こえた。「は?」思わず聞き返す。ここで、この畳の部屋で産めるからここを選んだのに、この史上最悪の痛みの中、10メートルも歩けと?「無理です。」、「…それでも行かなくちゃなんですよね?」と。そんなふうに言い、両腕を支えられ旦那に半ば担がれながら立ち上がる。歩けない。大げさではなく、もう痛みの間隔なんてないから2歩歩けば体を破壊されるような苦痛が襲う。しかも意識を飛ばすこともできない状況。足を上げては崩れ落ちて床に倒れる。
たぶん私は今の状況を誤解されてると思いながら、それには検診しないと分からないだろうと冷静に考えもして、泣きながら歩く。待合室に通されて、「すぐに診察して」と言うけれど、待ってくださいといわれる。診察室には外来さんもいたりして、私は四つんばいになったりうめいたり、ここには男の人もいるし、なんでこの状況でここで待たなくちゃいけないんだ!と理不尽極まりなく、涙がとまらない。「恥ずかしい恥ずかしい」と旦那に訴えて慰めてもらって、鼻水を…そうだ、彼のタンクトップになすりつけて拭いてたなあ。。

pm12:30

検診。子宮口10cm大。全開。「asaさん、よくがんばったから」あたりまえだ!10cm開いていなくてどうするよ、この痛み。。先生が担当の助産師のMさんに「見てみなさい」と。Mさんが見てみる。無駄な診察なら少しもしてほしくないので不愉快だ。「ひだが多少残っているけれど全開ですね。」とのこと。はい、そんなことはどうでもいいです。痛いです。ということで、さて、また歩いてもどらなくてはいけない。
…正直このあたりの記憶はかなりあいまい。意識を保っていられていなかった感じで、どうやって戻ったか覚えていない。病室でもう一段階上の痛みが襲ってきたのを覚えている。声を出した。「あー、あーー」吐き出す息にあわせて自分の声を聞いていると少し気がまぎれる。痛みに集中してわざとぼおっとする手法はもう通用しなくなってしまい、翻弄されるのみ。来たものに一回一回振り回されて踏み倒されて、去るのを待つのみ。

pm13:30

どのくらい声を出しただろう。出してなかったかもしれない。痛みの中に違う感覚がまじるようになってきた。ぶるぶると体が震えるような感覚。そんなとき、扉が開いて母が来た。名古屋からはるばる到着した。部屋に入るなり義母と挨拶を始める。「どうもー、早かったですねえ、恵比寿から歩いて着たんですか?」「そうなんです、ここらへんいいところですね。」親戚がであった時の当たり前の行為かもしれないけれど、本気で今この部屋ではやめてほしい。聞きたくない。旦那のひざをたたいて追い出してくれと伝える。二人に外に出てもらった。
担当のMさんが来る。「いきみ」の感覚が出てきたことを伝える。そして、哀願。「Mさん、お願いですずっとそばにいてください。」こんな風に人にお願いすることなんてあんまりないんだけど、ここまでの痛みは分かっても、このあとの進みは想像できない、想像したことがない。どうやって進めたらいいんだかさっぱり分からなかったのだ。旦那は横にいてくれるけれど彼が知るはずもなく。いきなり出てきた「いきみ感」だから、この後の進みが速いのは必至。
「15分、15分ください。すぐ来ます。」そういう返事だった。絶望的な気分になる。15分あったらどこまで進んでしまうか。抵抗するすべもなく、しょうがないからなるようになれ!と。そのうちに感じていた「いきみ感」が強大なものになり、見過ごすことなどできなくなってきた。

pm14:00

いきみ感とはどういうものか?そうですね。。下剤を飲んで浣腸をして、さて、通常ならば下痢になりますが、下痢にならないで相当大きなものがひっかかってると想像して。腸は痙攣し、全身が腸になったような気分。トイレじゃなくても我慢なんてできず、しゃがみこみ、でそうーー!でも大きすぎて出ないー!って…いう感じの感覚。中のものが動くと痛いけれど動かそうと体が反応してしょうがない。
…いきんでしまう。メリメリと、中で進行しているものがあるのを感じる。あと何回かいきめば、中のものが戻らない部分に進行するのがわかる。やばい、産まれる。部屋には彼と私しかいない!
「Mさんを呼んで」旦那に伝えた。Mさんが来る。ああ、間に合ってくれた。。「産まれそうです」そう伝えると怪訝そうな顔。ちょっと見てみますね。で、見たところで声色が変わる。ナースコールをMさんが押す。「頭部ゆで卵大です。進行しています。人手と準備をお願いします。」つまり、頭がゆで卵の大きさで見えているということだ。ああ、そんな感じだなと冷静に思いながら、目を開けれない。見たくない、現実を見たくない。感覚だけに集中していたい。それでも薄目をあけるとバタバタと4人くらいの助産師さんが準備をしているビニールシートを布団に敷いて、ちょっと腰を上げさせられて(激痛!)何かを挟み込まれライトで照らされ、、先生が呼ばれた。耳元で「お母様をお呼びしてもいいですか?」と聞かれた。え?呼ばなくてもいいじゃんと思ったけど、「嫌だ」というほどでもなく、正直もうどうでもいい。好きにしてください。「はい。」と答えると母二人が入ってきた。ついでに、見学の助産婦見習いの生徒さんも(事前に立ち会いたいと言われてokしていた)はいってきた。私、旦那、助産婦さん4人、先生、見習い2人、母2人、8畳の部屋に人がいっぱい。。
その間にもいきみ感が強くなってくる。もう我慢なんてこれっぽちもできず、押し出すのみ。助産師さんのリードにあわせて息を整え、「もう一回いきんで」「はいちょっと力抜いて」そんな言葉の通りにしていると進んでいくのがわかる。いきんでいきんで、いきめなくなって、股の間には大きなものが挟まって動かない。心音モニターの赤ちゃんの心音が乱れ、少なくなって、そのたびに助産師さんが赤ちゃんが息絶えないようにせっかくそこまで押し出した赤ちゃんの頭を押し入れる。あああ、戻っちゃうよ。またいきみの波が来ていきむ。また押し戻される。そんなことを何度が繰り返しているうちに、「もう一度、いきめるかな?」という声。分かっていたのですが、もう一度いきむと破けるのです。幕のようにひっかかっているものがあるのです。これは…破かないと出てこないだろうと、ずっと感じていたのですが、いきみも限界。いきむしかないでしょう。えい。今までと違う鋭利な痛みが走り、ぼっこんと何かが出る感触があった。「頭出ましたよ」そうか!次は体!「はい、もう一度いきんで」いきむのにあわせて、助産師さんがみんなで引き抜いていたのがわかった。

pm14:18

「pm14:18誕生です。」という声が聞こえた。すぐに泣き声が聞こえた。
産まれた。
真っ白な脂肪を皮膚にまとわりつけて、おぎゃーおぎゃーと泣いている。
続いて胎盤がべろっと出てきて、旦那が臍の緒を切る。血が飛び散る。感動して上ずっている彼の声、股の間から見える大勢の顔、そして、赤ちゃん。終わった。
体重3388グラム、身長51センチ。臍の緒が異常に太く大きな胎盤、出血は多め、すごい量の白い脂に覆われて体内にいたようで、だから居心地がよかったのだろうということ。洗い流してもまだ付いていた。

長男出産の記録、でした。


(おまけ)
出産の痛みは鼻からスイカである、を検証する


鼻からスイカ。
そんなもん、想像できるわけないですよね。
そんなんじゃ、痛みに不安がつのるだけです。
しかも、すごいトンチンカンな比喩だということがよく分かりました。
だからどうにか上手に表現したいものだと思案していたのですが、なかなか難しく。。トライだけしてみます。
とにかく、鼻からスイカではないです。
ひとつ、間違えてはいけないのは、一番苦しそうな顔をするのはいきんでいる時なのですが、実はその時はそんなではなくて痛いのはその前でした。
出てくる準備が整うための、子宮の収縮の痛みが一番苦しい。

道に寝転んでるところを馬にボコボコ踏まれる。
 →人だと悪意を感じるけど、あくまで馬。
  しかもランダムに踏まれる感じ。
 
お腹の中で四角い鉄球を振り回される
 →しかもキンキンに冷たい鉄球ですね。

リアルに言おうとするとそんなところですが、鼻からスイカのようなインパクトを求めるとすると…なんだろう。杉の木の枝みたいなトゲトゲしたものでお腹を突き刺すというか…あ、これもリアル系ですね。
うーん、むつかしいよ。。
穴としては肛門が一番近いですね。イメージとしては風船の破裂ですね。
中で破裂するところを想像したらいいんじゃないでしょうか。
やっぱ、うまく言うのは無理でした。
ただ、ひとつ言えるのは、「想像しうる痛みの最高点」から「死」の間にはかなりバッファがある。ということです。想像できる痛みの範囲では人は死なないのだとわかりました。
そしてこと出産に関しては、この痛みの先に「死」があるというよりも「気が狂う」が待っている感じです。でも「想像できる痛み」から「気が狂う」までは、そこにもバッファがあります。そのバッファ内で進行する痛みでした。
けれど人間、想像の範囲を超えた痛みに関しては意識を多少閉ざす働きがあるようです。痛みを感じると同時に朦朧とします。痛いんだけど、意識できないようにする天然麻酔のようなもの。この働きで、30分くらいたつともう具体的な痛みを思い出せなくなってきます。
直後はもう絶対にこの痛みは経験したくないと思ってたけど、今はもうよくわかんない。
よくできてるなあと、思う。
…想像を絶する痛みだったことは確かなんですけど。



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