見出し画像

こういう大人になりたいよねって話

私の地元では、残念ながら「こういう大人になりたい」と思える人に対面で出会うことが出来なかった。とはいえ、成長すればいずれ誰でも大人になる。
つまるところ、私も成長したら「こういう大人にはなりたくない」と思っているあの"大人"のようになるのか、と薄々感づいて、心から人生に絶望していた時期があった。


中学2年生の時、数学の授業で急に先生がこんなことを言い出した。

「君たちは今、毎日好きなことで生きていると思うんだ。ゲームやったり、マンガ読んだり、お絵かきしたり、鬼ごっこをしたり。それを周りの大人たちは、社会は、笑顔で『いいぞいいぞ~!好きなことして沢山遊べよ~!』なんてヨイショしてくれるよね。

(表情を急に変えながら)…そうやって好きなことをして人生過ごせるのは中学2年生までだからな。覚悟しておけ。
中3になったら、将来の事のために色んな好きな気持ちを犠牲にしなければならないんだよ。好きなことを我慢してやるべきことをやる。それが「大人になる」ってことだ。仕事とはそういうもんだからな。好きなことを我慢できない奴は社会でやっていけない

…この先生は後に子どものイジメに加担したことで飛ばされたヤバい人だったので、今では真に受けるつもりは一切ないのだけれど、当時の私からするととても衝撃的な言葉だった。信じたくなかった。

いや、ゲームや漫画ばっかりではダメなことくらいは知っていたけれど、基本的には「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしているのが大人だと内心思っている自分がいた。それもそのはず、学校では"総合的な学習の時間"などでしょっちゅう「じぶんの夢」を語らせてくる。

サッカー選手になりたい、ゲームクリエイターになりたい、パティシエになりたい、消防士さんになりたい、億万長者になりたい…

「じぶんの夢」というのは基本的に「好きなこと」「やりたい事」「なりたい自分」といった「前向き」な動機だ。

世にいる大人たちは、子どもの頃は未熟で出来なかった「夢」を成長することで叶えて、幸せに過ごしているんじゃないのか?

純粋だったあの頃の私は、そうやって先生の言ったことを真に受けず、かと言ってキッパリと否定もせず、ただただ疑問に思っていた。

それからというもの、世にいる「大人たち」に出くわしては、さりげなく片っ端から「自分の好きなこと」を仕事、人生にしているのかを聞いてみることにした。まずは私の両親から…と思ったが、両親は仕事が忙しくて、家に帰れば喧嘩ばかりしていたので、そういった話をする隙間がなく断念した。

先ほどの数学の先生以外の先生に聞いてみたところ…

私「先生って、なんで先生になったんですか?」
先生A「一つだけアドバイスがある…先生には絶対になるなよ…全くもって家族との時間が取れないからな…。安定を求めるんだったら市役所の職員にでもなったら良い。5時には帰れるから」←この先生は心底可哀想だった。

私「先生って、なんで先生になったんですか?」
先生B「やりたいことがなくてですね、仕方なく自分が教えられる科目の先生になることにしました」

私「先生って、なんで先生になったんですか?」
先生C「子どもが好きだから!元気を貰えるんだよねぇ。」

私「先生って、なんで先生になったんですか?」
先生D「親も教師だったから」


殆どの割合がネガティブな回答だった(勿論、先生Cのような前向きな回答の先生もいた。そういう先生は仕事していていつも顔が上向きだったし、何よりその人の授業は本当に楽しかった)。

ただただ悔しかった。数学の先生が言っていた厳しい言葉は、正しいのかもしれない。嫌だ。否定したくなった。

それから高校に進学したが、状況はより悪化する一方だった。
よく聞くのはこういう言葉。

大学生になったら沢山遊べるけれど、残念ながらそれが最後だ。それからはきつい労働が待っている。だから大学生で沢山遊べるだけ遊んでおけ

私は未だに子どもに対して無責任で消極的なこの言葉が大嫌いだ。
そんなやりたくない事を無理やりやらされる人生を歩むなら死んだ方がマシだと本気で思っている。

「やりたい事」、もっと言うと「夢」「情熱」というのは、私の感覚からすると「恋焦がれたあの人」に近い。心の奥底から湧き出る熱い気持ち。それを達成している様子を想像するだけでワクワクするあの感覚。

だからこそ、「やりたくないことを無理やりやらされる人生」というのは、好きでもない人と親や社会によって無理やり結婚させられるか、大好きな人と親や社会によって無理やり別れさせられる感覚と同じだ。もし駆け落ちが出来ない環境なら、私なら「ロミオとジュリエット」のように死を選ぶ。

でも、「大人になる」というのは、どうやらそんな状況に陥っても「仕方がない」と自分に言い聞かせて歩み続けることを意味するらしい。それで、「嫌だ!私はこの人と結婚する!!!」と駄々こねる人間は「子ども」であると卑下する社会…。私は一時期この(ちょっと間違って解釈した)現実を知って人生に絶望したこともある。

ただ、インターネットを使って一生懸命探してみると(少数ではあるが)情熱に従って人生を歩み続けている人もいる。そういう人はひときわ変わったオーラを放ち、圧倒的な結果を残している。

…私はそういう大人になりたい。…いや、なる。
間違っても、子どもたちに「大人はクソだから今のうち遊んでおけ」なんていう今世紀最悪のゴミアドバイスをするような大人にはならない。

寧ろ、大人になることで色んな経験や知識を積んで、みんなが自分の夢を叶えられるような社会になるべきだと思う。やりたくない事を嫌々やらせるのはシンプルに経済的損失だ。その業務に情熱を感じている人にやらせればアウトプットも上がるのに…。


少々熱く語ってしまったが、気持ちは本当である。
子どもたちが私の背中を見て、「早く大人になりたい!」なんて思ってくれるようになり、そしてそんな「大人」を増やすことが出来たら、私は悔いもなく生涯を終えることが出来ると思う。

おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?