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ネガティブ思考が辞められないあなたへ

私の人生にとって、ネガティブ思考というのはいつもくっついて離れないコバンザメのような存在だった。

小学生の時、自分の親に「わたしの長所、短所」を聞くという課題があった。長所が何だったかは忘れてしまったが、「お前の短所は心配性なところだ」と回答を貰った記憶はある(短所だけが記憶に残っているのも、私のネガティブさを象徴する一例になるだろう)。

確かに、思い返してみれば私はずっと心配性な人間だった。勇敢で、何でも構わず取り組んで結果を残してしまう姉とよく比較されていた記憶がある。

そして、成長しより自我を明確に持つようになってからは、心配性が進化してネガティブ人間になった。

そもそも何故ネガティブ思考な人間になってしまったのか?
その正確な答えは実のところ、分からない。

閉鎖的な地元の環境のせいなのかもしれないし、家庭環境のせいなのかもしれないし、遺伝的要因なのかもしれないし、はたまた複合的な要因なのかもしれない。

…まあ、原因が何であるかは実際どうでも良い。
これを読んでいる「ネガティブな人間」は身をもって実感していると思うが、ネガティブ人間になりたいと思って生きている人なんて誰一人いないー"気付いた時"にはネガティブな人間になっていたのである。どうしようもなかった。

それでも、私は私なりに努力したと思う。
ネガティブ思考を改善するために、ポジティブ・シンキングに関する文献はかなり漁ってきたし、人生の中でも試行錯誤してきた。

今回は、ネガティブ思考が辞められないあなたに向けてーそんな私の奮闘記を遺していきたいと思う。ご参考までに。


実績を残す

ネガティブ思考を改善しようとして初めに思いついた方法は、「実績を残して自分に誇りを持てるようになる」だった。

これは確かに理にかなっている(と思っていた)。
ネガティブ思考が出るのは、「自分に自信がない」からであって、努力して実績を残せば、自信がつきネガティブ思考を抜け出せそうではある。

そこで私は実際に努力を重ね、部活や学業で実績を残してきた。
これは確かに、ある程度の成果は現れたがー私はこの方法に潜む3つの致命的な欠点を見逃していた。

①インポスター症候群

実績を出してしばらくすると、「冷静に考えるとそんなに凄いことじゃないのでは」「いや、この実績は実際には環境や運要素が大きかったに過ぎない」「私はこの実績に値しない」…等という新たなネガティブ思考が沸き起こった。

これは後にインポスター症候群と呼ばれるものだと学んだ。
私の場合、ネガティブ思考と言うのは心の深くに根付いている根源的なものなので、そこに表面的な実績を付けたところで、すぐ自分を信じられるようになるほど問題は単純ではなかったのである。

②コンフォートゾーン化

インポスター症候群にならなかったとしても、実績がもたらす自信というのは長続きしなかった。

これは、実績を残したとて、数か月もすればそれが当たり前の日常と化するからである。
例えば学業に専念して高い偏差値の大学に合格することが出来たとする。でも、数か月もすれば「その大学に入学している」という日常は当たり前になる。

そして、その大学生活という新たな日常では、新たな試練がやってくる。
実績がもたらす自信と言うのは、結局実績を残してから、それが当たり前の日常となる(言い換えればコンフォートゾーン化する)までの僅かな期間しか効力を発揮しなかった。

③そもそも努力が報われるとは限らない

これが最も致命的な欠点である。
そもそも、実績を残したかったとて、その努力が報われるとは限らないのである。

そして、努力が報われなかった時はもう最悪である。
努力した分だけ自己否定のネガティブループにハマる。この場合は改善しないどころか、逆効果でしかない。

ネガティブ思考自体の改善

次に、ネガティブ思考自体の改善に取り組んだ。

具体的な方法は以下のようなものになる。
・マインドフルネス瞑想によりメタ認知力を上げる
・ネガティブ思考に気付いた時に、「…と考えている自分がいる」と自分を客観視する言葉を添える
・期待することを辞める
・ジャーナルを通して、自分の感情を可視化する
・毎日、感謝できることを3つ探す
・「私は自分に誇りを持っています」等のポジティブなアファメーションを行う…等

確かにこれらはある程度の成果を見せてくれた。今でも習慣として取り入れてはいる。
しかし、これはある意味予防的な方法であって、ネガティブ思考の渦に囚われている時は、そもそも対処ができなくなる。

ポジティブになれないのがネガティブ思考なのに、どうやってポジティブになるんだよという話で、結局根本的な解決には至らなかった。

楽しい事をする

幾らネガティブ思考な人間でも、楽しいと思えるものは存在するものだ。
それをここではとりあえず趣味と便宜上呼ぶとして、毎日の生活の中で趣味の時間を多くとるようにした。

勿論、趣味は楽しい。だが、いつまでも趣味をやっているわけにはいかない。そして、趣味から離れたその瞬間から、ネガティブ思考モードに切り替わってしまう。

趣味は結局、ネガティブ思考に一旦蓋をするだけであり、ネガティブ思考自体を取り除いてはくれなかった。

自律神経の改善

生理学的な観点からネガティブ思考を改善しようともした。
腸活、早寝早起き、筋トレ、食事管理…等を通して、セロトニンを出したり、テストステロンレベルを上げたり…とまあ横文字が続くので割愛するが、これは確かに効果はあった。

だが、何かの拍子に生活が乱れると、一気にネガティブスパイラルに陥る。毎日を完璧な生活に落とし込むのは流石に無理がある。そして、完璧な生活を義務化すると、より事態が悪化するため厄介な手法でもある。

すべてを諦めた

何だかんだ様々な努力をこなしてきたが、結局根本的な解決に至ることは出来ず、私はポジティブ人間化への旅路から足を洗うことにした。

そもそも、必ずしもポジティブな人間である必要はない。
私たちが生物である以上、遺伝的多様性というものは絶対に存在する。ネガティブな人間もいてくれないと、人類の存続にとっては困るのである。

ネガティブ人間とて、"生きづらい"だけで"生きていけない"訳ではないのである。

獣を眠らせておく(最終結論)

それでも、私は確かにこれまでの努力で解決策のひとつを見出すことが出来た。

全ての章には、努力したり、熱中したりする時間が必ず発生するが、そのプロセスの中では、ネガティブ思考が出ていないことに気付いた。
…いや、ネガティブ思考どころか、自我すら無くなっていたのである。

これを無我夢中、フロー状態、ゾーン…なんて呼んだりもするが、この時間に入っている時だけは、ネガティブ思考の呪縛から解放されるのである。

ネガティブ人間にとって、心とは獣である。
心がそこにあると、獣は自らに牙を剥く。

だったら、心そのものをオフにして、獣には眠ってもらう。
目の前のタスクに全集中を注ぎ、自我をシャットダウンする時間を作る。これが、私の今のところの最適解であった。

この状態になるための理想的なタスクの条件は以下の通りである。

簡単すぎず、難しすぎない。簡単だと退屈して自我が目覚めるし、難しすぎると作業自体を放棄してしまう。
感情が入り込むタスクではないこと。botのように淡々とこなせるものが良い。
・そのタスクをこなした結果、自分の人生にとって何らかのプラスに働くもの(スマホゲーム等はオススメしない)
他者との競争を意識しないもの。

最高に効力を発揮したタスクは、私にとっては単独での勉強だった。
問題を解いたり、教材を読み込んでいる間は、自我は完全にシャットダウンしてくれる。

フローの時間を日常で沢山作る。それが、今の私の方向性である。

おわり

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