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東京ディズニーリゾート40周年をめぐる回想

2023年4月15日。
東京ディズニーリゾートは開園40周年を迎えた。

テーマは"Dream-Go-Round"。
新型コロナウイルス感染拡大により一時は下火になったTDR。それでも、「ニューファンタジーランド」、「ビリーヴ!シーオブドリームス」…と着実に活気を取り戻し、華やかな本アニバーサリーを迎えた。

執筆現在(2024年3月20日)はまだイベント期間中ではあるけれど、じきにフィナーレを迎えるであろう3月31日に向けて、この1年間を通した回想を述べてみようと思う。

ー正直、私は悔しい。
通常、アニバーサリーイヤーが終わるともなれば、それはもう、盛大な拍手と共に、圧倒的な喪失感を味わうようなものである。

しかし私は、(少なくとも執筆現在)そのような感情をあまり感じておらず、反対に心に宿るのは、一種の疑念と言おうか、憂惧と言おうか…微妙な感情に苛まれているのである。

だからこそ、ある意味40周年に対する絶賛の評価だとか、涙を誘うような贐の言葉だとか、そういうのを激しく求めている読者の皆さんは、ここでブラウザバックする事を推奨する。

それでも、一応私としては、ただただ愚痴を述べるだけの読んでいて気分の悪いnoteにしないように極力気を付ける所存だという事は頭に入れておいて欲しい。
(3/31追記)綴っていくうちに、ポジティブな方向へと論を展開することが無事出来たので、安心して(?)読み進めて欲しい。


リメンバー・「ドリーミング・アップ!」

さて、TDRが40周年を迎える直前(2023年4月9日)、TDR35周年を記念して始まったデイパレード「ドリーミング・アップ!」は公演最終日を迎えた。

4日9日に撮影したもの

その時の詳細な回想は過去記事『「ドリーミング・アップ!公演最終日をめぐる回想』シリーズで述べているので省略するもののーそれはまあ、感動の一言であった。

ひとつだけ悔いが残るとすれば、本作は新型コロナウイルス感染拡大に伴う臨時休園後、フルバージョンで公演することはついになかったということである(まあ、それを言うならば、「ファンタズミック!」を始め、数々の名ショーパレ・アトモスフィアが最終日すら迎える権利を失った事に対して向ける言葉が無いのだが)。

勿論、例えコロナ禍バージョンだとしても、確実に「ドリーミング・アップ!」の良さは表現されているのだがーやはり、通常バージョンの華やかさを一度目にしている以上、寂しさというのはどこか心の中で意識してしまうものである。

そんな中、とりあえず無事に「ドリーミング・アップ!」は最終公演を迎え、来る4月15日に向けて、着実にパークは変化していった。

「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」とメッセージ性の没落

さて、「ドリーミング・アップ」から襷を繋ぎ、満を持して登場した新デイパレード、「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」。

“色あざやかな、ハーモニーの世界へ”をテーマにしたこのパレードは、ディズニーの仲間たちの新たな冒険や勇気、家族のきずなや友情を、色とりどりの花びらとともにディズニー映画、ディズニー&ピクサー映画のさまざまな物語を通じて表現します。フィナーレでは、すべての夢が色あざやかなハーモニーとなり広がっていくよう願いが込められたフロートが登場し、ゲストを素晴らしいハーモニーの世界へといざないます。

ミッキーマウスやおなじみの仲間たちのほか、ディズニー映画『ズートピア』やディズニー&ピクサー映画『リメンバー・ミー』などのキャラクターも登場します。

TDR公式 40周年特設サイト

これは自論の範囲内ではあるがーデイパレード(及びハーバーショー)というのは、そのイベントを象徴する"顔"のようなものだという認識をしている。だからこそ、ディズニー40周年を語るにあたって、まずはこのパレードを真っ先に取り上げたい。

恐らく、この記事を読んでいる大半の方は本パレードを現地で観たことがあるだろうが、初見の感想はどうだったであろうか?
…大抵の場合、「感動」の一言であっただろう。

私だってそうだ。勿論、音楽やフロートの華やかさだとか、衣装の可愛さ等に心が奪われる側面もあるがー何より、ダンサーたちが伸び伸びと踊り、キャラクター達が密着してフロートに乗っていたり、と、「かつての」光景が目の前に再び広がっている、その情景にこの上ない感動を覚えたはずだ。
ーまさに、「ずっと、待ってた!」というキャッチコピー通りなのである。

だが、過去記事「ディズニー・ハーモニー・イン・カラーから私は何を感じれば良いのだろう」をご覧になった方なら分かると思うが、私は後にこのパレードに対して苦言を呈している。この記事を執筆していた頃は毎日投稿を自分に課していたため、締めの部分が相当適当になってしまった事もあり、ここで改めて自身の考えを整理しておこうと思う。

過去記事で述べた通り、本パレードの個人的に感じている問題点は、「メッセージの曖昧さ」であった。

このパレードは、先述した公式サイトの説明通り、ディズニーキャラクター達の個性を、色とりどりの花弁と、オムニバス形式で展開される物語で表現されている。
この点に関しては、確かにパレードを観れば一発で、「色とりどり」「物語の展開」ーそして、それらから表現しているのであろう「個性の豊かさ」を認識することが出来る。言い換えると、それがこのパレードの「テーマ」でもある。

だがーそこに、「メッセージ」が乗っていない。
簡単に言えば、「ほうほう、個性が豊かなのね…で?」という感想を抱いてしまう。

これは、「メッセージ」を「ストーリー」に置き換えてみると、『「テーマ性」はあるのだけれど、そこに「ストーリー(BGS)」が乗っていない』という状況に似ている。
例えば、東京ディズニーシーにおいて「ストームライダー」がクローズし、代わりに「ニモ&フレンズ・シーライダー」が登場したことについて、多くのディズニーファンが激怒した。これは本アトラクションが、所属するテーマポートである「ポートディスカバリー」の、"海っぽさ"だとか、"レトロフューチャー感"だとか、そういう"テーマ性"にはひとまず一致するものの、その変化によって、かつて「ストームライダー」が中心となって展開されていたポートディスカバリーの「物語」が崩壊したからである。

ちなみに、かつてのパークでは、ショーパレにも強く"ストーリー(もといBGS)"要素が求められていたらしい。ウォルト・ディズニーが掲げる"テーマパーク"の概念を敬愛する原理主義の立場からすると、私がかつて愛した「ドリーミング・アップ!」や「ハピネス・イズ・ヒア」ですら、「ストーリー性のなさ」で思いっきり批判の対象になり得るのである(詳しい批判の論理を知りたい方は、『ディズニーランドの社会学 脱ディズニー化するTDR (新井 克弥 著)』を是非手に取ってみて欲しい)。

私はーウォルト原理主義の考えと似ているようで少し違う。
何を隠そう、私が求めているのは、「ストーリー」ではなく「メッセージ性」である。

「ストーリー」というのは、それが成立すれば基本そこに「メッセージ」が宿る。だが、「メッセージ性」を出したかったとて、特別「ストーリー」の整備は必要ないのである。

例えストーリーが成立してなかったとて、公演中に交わされるセリフの中で、開発陣からのメッセージが伝わってくれば…ひとまず私は"感動"出来る。
そして、近年のレギュラーショーパレは、基本的にストーリーの精巧さよりも、単純明快なメッセージ性を重要視している傾向があった。

例えば、ニューファンタジーランド「ファンタジーランド・フォレストシアター」で公演されている「ミッキーのマジカルミュージックワールド」。

ファンタジーランド・フォレストシアター

そのメッセージは…簡単に言えば、「あなたの個性はあなたの内側にある」である。

心の奥 深いどこかに
君だけが持つ その歌は隠れてる

どんなメロディー どんなリズムなのか
探しに行こう 誰も知らない君の歌

It's your song

そのメッセージは、上記のように歌詞に思いっきり表現されているし、「歌(=個性の隠喩メタファー?)」を「探す」というストーリーからも、自分探しの旅と言おうか、ジョハリの窓を開ける旅と言おうかー強く感じ取る事は出来るのである。

だが…このショーに対する一部批判を挙げるとすれば、「ストーリー展開が微妙」という言葉に集約される。
このショーは、起承転結を丁寧に描くよりも、キャラクターや音楽をふんだんに使う事を重要視している(と感じている)。それは、公式サイトの説明文からも読み取ることが出来る。

ミッキーマウスをはじめディズニーの仲間たちが、ダイナミックに変化するステージで音楽やダンスなどのライブパフォーマンスを繰り広げるオリジナルショー。

公式サイト

そこに「自分を探す旅」なんていう説明もなければ、夢を諦めないだとか、困難を乗り越えてだとか、そういった類の文言もない。

試しに、「ビリーヴ!シー・オブ・ドリームス」の説明と比較してみよう。

ディズニーの仲間たちが、あきらめずに信じ続けることで夢を叶えていく、ナイトタイムエンターテイメント。

公式サイト

説明文からも、「ビリーヴ!シー・オブ・ドリームス」と比べ、「ミッキーのマジカルミュージックワールド」におけるストーリーの一貫性に大きな差が見られる事が分かるだろう(いちステージショーと、ナイトタイムエンターテイメントを対比させたのは少々悪手か)。

実際、ショーを観れば、その圧倒的な演出、音楽に心を奪われはするがー話の展開が飛びすぎていて、少々混乱する側面もある。

ただ私は、それでも尚、このショーに対してはひとまず絶賛の意を評している。それは、先述したように音楽やセリフから、私がショーパレに求めている「メッセージ」の要素を明確にする意志を感じたからである(しかし実際には、同等かそれ以上のレベルでメッセージ性を担保しつつ、ストーリーを丁寧に作り上げたショーパレは過去に無数に存在することを忘れてはいけないが)。

話を「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」に戻そう。
このパレード、未だに信じられないのだがーメッセージ性が没落している。
ストーリーの精巧さに欠けていること自体は、私自身界隈に参入した時期が既にその傾向が見られていた35周年の時だったためにまだ納得出来る。しかし、メッセージ性が没落しているとなるとーもはやこのパレード自体「何がしたい」のかが分からないのである。

勿論、全てのショーパレにはメッセージ性が必要不可欠であるとは思わない。「ビックバンドビート」のように、テーマ性を重要視することで、テーマパークの構成要素としての役割を十分に果たすことだってある。

しかし、それがアニバーサリーイベントの顔であるデイパレードともなるとーやり場のない違和感に襲われるのである。
ーこのイベント自体、何がしたくて、何を私たちに伝えたかったのだろうか…。

東京ディズニーシー・クライシス

さて、東京ディズニーリゾートが40周年を迎えて暫く経った頃、私は東京ディズニーシーに赴いた。
特にたいそうな目的はない。TDR40周年に染まった東京ディズニーシーを謁見したかった。

まずは「レッツ・セレブレイト・ウィズ・カラー」を鑑賞。華やかな衣装と、テーマソング「Living in color」…。
一瞬で終わった。それは、あまりの興奮で体感時間が相対的に短くなったのかもしれないがー単純にショーがシンプル過ぎるのである。

近年(コロナ禍明け~)の東京ディズニーシーでは一般的になりつつある「グリーティング形式」。
私は当初、「ビリーヴ!シー・オブ・ドリームス」の開発のために、一時的に東京ディズニーシーの出力を下げてコストカットしていたのではないかと思っていた。しかしながら、その後東京ディズニーリゾート40周年シーズンに突入しても、先述した様相が変わることはついになかった(対照的に、東京ディズニーランドは40周年に突入した瞬間、リミッターを解除し一気にギアを上げてきている)。

結局、シーズン通して、ハーバーショーは(「ビリーヴ!シー・オブ・ドリームス」を除き)全てグリーティング形式での公演になった。

ステージショーも同様の有様である。
ドッグサイドステージでは「ジャンボリミッキー!レッツ・ダンス!」、そしてハンガーステージでは「虚無」を私たちに提供している。

このショーパレ膠着状態は、いつまでも解消されず、さらに来年度の年間スケジュールにも改善の兆しを読み取ることは出来なかった。

ー東京ディズニーシーは、かつての活気を失った。
これは、私が今シーズン、数回のインを通して得た結論である。

転機は、これからグランドオープンを迎える「ファンタジースプリングス」までお預けか。
しかし…当「ファンタジースプリングス」は(後述するが)上がり続ける客単価の筆頭的存在である。果たして、「ファンタジースプリングス」は希望の源泉となり得るのだろうか?その答えが否だった場合、危機的状況である東京ディズニーシーの未来はどうなってしまうのだろうか…?

ディズニー・プレミアアクセスの功罪

先ほどのショーで、東京ディズニーシーのエンターテイメントが危機的状況を迎えている様を述べた。
では、東京ディズニーランドはどうであろうか?

ー確実に、コロナ禍前の様相に活気を取り戻す様を感じ取ることは出来る。
ダンサーの復活、キャラクターの密接、フロートの停止、そして、伝説と化した「ミニー@ファンダーランド」…。

35周年のあの圧倒的な喧騒を思い出す。
少なくとも前年度と比べても、確実にクオリティが向上していることはひとまず見て取れるだろう。「ずっと、まってた」かつてのパークがついに目の前に現れたのである。

しかしー「とはいえ、本当の意味で"かつてのパーク"に戻ることは二度とないのだな」と感じる場面は残念ながら存在するのである。
そう、悪名高き「ディズニー・プレミアアクセス」の台頭。

今年度は、「ディズニー・プレミアアクセス」の導入が加速度的に進んだシーズンであった。そして、恐らく来年度もますます進むであろう。

このシステム、はじめて目にしたディズニーファンの中には治安向上を期待した者もいただろう。ショーパレにおける「良ポジ争い」は予てから問題になっていた事象であった。そこで、場所自体を購入するシステムの導入により、治安向上を図ったのかもな、と(実際には、ただ客単価を上げることによりコロナ禍で受けたダメージを回復させる経済的動機でしかなかったという結論に私は至ったが)。

しかし、このシステムにはそんな期待とは裏腹に、重大すぎる欠陥があった。
「良ポジ」を「争い」たらしめるもの…そう、「早い者勝ち」という本質を克服していなかったのだ。

結果として、(とりわけ「ミニー@ファンダーランド」において)徹夜組、アーリー徹夜組、荷物検査場~エントランスまでのダッシュ等といったマナー違反行為が多数観測され、そして、そういう違反者が基本的に良ポジを取るという事象まで確認されている。

しかし、このシステムには良い面もある。
そこまで競争率が高くないショーパレに関しては、ファミリーエンターテイメント要素を深める事が出来るのだ(実際、「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」のDPA鑑賞エリアには、家族連れが多数観測されている)。
従来、ヘビーユーザー(非効率的なパーク時間が許される層)による地蔵で占拠されていたパレードルート。その一部を、来園機会の少ない、そして本来ウォルトディズニーがターゲットにしていた「ファミリー(効率的・計画的なパーク時間を求めている層)」に提供すること。それを意図していたという仮定の元ではーこのシステムは評価できる。

ただし、やはりそこに経済的動機を強く感じ取ってしまい、少なくとも良い気分にはならない。そして、かつてはそんな金銭を払わずとも、同等かそれ以上の体験を享受することが出来たという事実こそが、何よりもこのシステムに対する嫌悪感を強めているのである。

ドリームガーランド、それは私たちの願いの結晶

「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」を除き、東京ディズニーリゾート40周年を象徴するもの。それは、「ドリームガーランド」ではないだろうか。

ドリームガーランド

今では、パークを飛び出し都内でもガーランドを付けている若者をよく目にするようになった。
このガーランド、個人的には本アニバーサリーイベントに込められたメッセージを思う存分に表現していると感じている。

一応正式なテーマは"Dream-Go-Round(直訳:夢は巡る)"…それはまるで、メリーゴーランドのように夢が回り続ける様子を表しているのだろうが…実際には、「つなぐ」というテーマを強く感じた1年であった。
ーいや、そう思うと、"Dream-Go-Round"というのは、メリーゴーランドのような様子というよりも寧ろ、皆が手を取り合って、円を形成している様子の方が近いのかもしれない。

新型コロナウイルス感染拡大により、人との繋がりが絶たれた2020-2022年。私たちは、あの地獄のようなコロナ禍で、人との関わりの大切さを思い知らされた。
そして、来る東京ディズニーリゾート40周年、ようやくコロナ禍も完全に明けたと言える社会になり、再び人と「つながれる」喜びを享受出来るようになった。

「ドリームガーランド」は、複数の色とりどりのガーランドをつなぐ事ができる。それはまるで、個性豊かな私たち人類が、再び手を取り合って繋がる喜びを表現しているのではないだろうか。

「ドリームガーランドシール」「ドリームガーランドカード」もまた、私たちゲストと、夢の請負人であるキャストを結ぶ媒体として機能した。

先述した「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」を初め、数々のパレードからも、ダンサーが私たちの傍で踊り、想いをつなぐあの光景が、どんなにかけがえのないものであったかを思い知らされただろう。

When I'm dancing next to you
A world of color shining through
(あなたの傍で踊っていると
色とりどりの世界は輝いていくの)

Like a rainbow
(ディズニー・ハーモニー・イン・カラー)

またかつての、人とのつながりが許されたパークを体験したい。それは、私たちディズニーファン全員の共通な"願い"であった。まだコロナ禍の煽りを受ける中、「ビリーヴ!シー・オブ・ドリームス」では、テーマソング"Every wish deserves a dream"において、その名の通り私たちに「全ての願いは夢に値する」と説いた。
そしていま、その夢は確実に届き、"Dream-Go-Round"として、皆がまた繋がれるかつてのパークに戻ることが出来たのである。

『「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」とメッセージ性の没落』の章において、私はハモカラからメッセージを感じ取ることが出来ず、このイベント自体の目的に疑問を呈した。そのアンサーは、この章で述べた通りである。
欲を言えば、もう少しその美しい想いをパレードに込めて欲しかった。とはいえ、メッセンジャーとしての役割は、ハモカラと違い1年で幕を閉じる「ドリームガーランド」に託されたという事なのかもしれないー。

"ガーランド"に善し悪しなんてない

東京ディズニーリゾートと、社会情勢がリンクしているというのは、この界隈にある程度身を置けば感じ取ることが出来るだろう。
東京ディズニーシーにおいて、異国情緒よりもキャラクター性が重要視されるようになったのは、何も上層部がデストロイヤーという訳ではなくて、実際に社会が求めている方向性に合わせただけなのである。

私はこれに加えて、私個人の人生自体も、東京ディズニーリゾートとリンクしていると感じる機会が多い。
私の今年度の人生のテーマ…もとい試練は、アイデンティティ・クライシスの克服であった。
大学2年生。大学生活には十分慣れつつも、進路について本格的に考えなければいけない時期の手前であり、「わたし」について深く考える時間が多かった。そして、そんな自分に向き合う度に、自身の情けなさ、無力さに嘆く日も多かったような気がする。

散々悩んで出した結論としては、「個性に善し悪しなんかない」だった。結局、東京ディズニーリゾートがこの1年訴え続けてきたテーマそのものがアンサーだったのである。

赤が良くて、青はダメとか、そういう問題ではなくて、それらをつなぐことで、色とりどりの美しいガーランドを作り上げる事が出来る。結局、人との関わり、人生の向き合い方も、そういうものなのだろう。

自身の無力さに嘆き、本格的に抑うつ状態に悩まされてきた頃ー私の恋人はこう口にしてくれた。
「あなたには、わたしには無いものを持っている。だから、一緒にいることで、お互いの穴を埋めることが出来るんだよ。」

「個性」を複数持つことは、少なくとも多重人格でない限り出来ない。だからこそ、その「個性」自体を比較するというのは、自身のガーランドを他人のガーランドと比較して嘆いているような愚かな行為なのである。何をしているのだ、繋げば良いだけじゃないかー。

自身の個性が分からなくたって、別に自分の持っているスキルだとか、肩書きだとか、そういう表面的なものから探さなくても良い。何を隠そう、それは、元々あなたが持っているものなのだからー。

Just look inside of your heart
and you will find it
(心の中を探せば、きっと見つかるよ)

Living in color

東京ディズニーリゾート40周年をめぐる回想

私は最終章だろうと建前を言うつもりはない。今年度は冒頭で述べたように、東京ディズニーリゾートの未来を憂うかのような、残念な気持ちになる機会は確かに多かった。
「ディズニー・ハーモニー・イン・カラー」におけるメッセージ性の没落。ディズニー・プレミアアクセスの積極的導入。

「ミニー@ファンダーランド」における露骨なDPA導入と、それに伴う治安の悪化に関しては、思わずパーク離れを検討したほどだ(過去記事参照)。

それでも尚…いや、だからこそ、私は東京ディズニーリゾートを楽しもうとした。時にはいつもの地蔵をする訳ではなく、かつてそこまで東京ディズニーリゾートに熱中していなかった頃の周り方のような、アトラクションを乗り回し、ワンハンドメニュー片手にパークを闊歩する楽しみ方を試したりもした。

そういう姿勢だからこそ、時に普段気付かなかった「道端に咲く花」に感動することがある。ゲストリレーションでの、バリアフリーに関する取り組み。「ミッキーのマジカルミュージックワールド」を初めて鑑賞したであろう、隣に座っていた女性の歓声。一生懸命英語と身振り手振りで海外ゲストに説明しているキャストさん。いつも通りの、それでもかけがえなく美しい景観。

そして何より、ガーランドに込められた想い。

東京ディズニーリゾートの魅力を作り上げるのは、運営会社である株式会社オリエンタルランドだろうか。勿論そうである。エンターテイメントも、アトラクションも、パーク内の快適さも、何もかもの裁量権をこの会社が握っている。

しかし、ある意味では、私たちゲストも同じように、東京ディズニーリゾートの魅力を作り出しているのだと私は思う。
見知らぬ人に手を振る。キャストさん、キャラクターに想いを伝える。小さな拘りに気付いて、その世界観を愛す。

決して、誰一人欠けてはならないのである。皆が、同じ想いを共有し、繋がってこそ、東京ディズニーリゾートは"東京ディズニーリゾート"として、存在できるのである。
"Dream-Go-Round"というテーマは、きっとそれを伝えたかったはずだ。

…私たちの人生だって、この社会だってそうだ。いつまでも私たちに、この人生を、この社会を豊かにする責任が課せられている。
ー決して、オリエンタルランドのように、その場を、その機会を、とりあえず整備してくれる存在が目の前に現れてくれるわけではない。

この世界は、みんなを繋げている色で
輝いていると思うんだ。
これからも、色とりどりに輝くといいね!
そして、それを描いていくのは僕たち、
そう、みんななんだ!

レッツ・セレブレイト・ウィズ・カラー
ミッキーマウス

以上、私が東京ディズニーリゾート40周年を通して感じた全てをこの記事に込めた。
この1年を通して、パーク内というよりは寧ろ、実生活、人生においてその捉え方を考え直す機会を持つことが出来た。

ーそんな東京ディズニーリゾートは、きっと、
"良いテーマパーク"なのだろう。


東京ディズニーリゾートへ。

1年間お疲れ様でした。
これからも、たくさんの夢と、感動と、喜びと、やすらぎとーそして、メッセージを、この世界に届けてください。

4年後、また新たなパークで、そして、新たな自分で、東京ディズニーリゾート45周年を迎えることが出来る事を切に願い、「東京ディズニーリゾート40周年をめぐる回想」を綴じます。

2024年3月31日

東京ディズニーリゾート40周年
"Dream-Go-Round"
最終日によせて



*本文中の引用元として掲載しているURLは全て、2024年3月に閲覧したものです。

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