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「家」という価値観の変化

最近はあまり外出はできないため、家にいる時間が長くなった。そこで、「家」とは何なのか気になったので、Google先生に聞いた。トップ出てきたコトバンクにはこのように書かれていた。

日本において家族生活の場であり,伝統的な社会の構成単位である親族集団をいう。語源「いへ」の「へ」はヘッツイ (かまど) のこと。火をともにする集団を意味した。近世までには,家父長の統制下で家業を営み,家計をともにする生活共同体となり,また家産を所有する主体となった。家紋,家印,家憲などのシンボルをもち,家の論理は個人に優先される。また,近代家族が結婚で成立し,他出,死亡で消滅するのに対し,家は構成員の生死をこえ,家産,家業,家名などの継承によって一系的に存続すべきものとされる。近年は実質がなくなり,家族の同義語とみなされることも多い。

最後に「近年は実質がなくなり、家族の同義語とみなされることが多い」この解釈にはなんら異論はないし、頭の中でぼんやり思っていたことがうまく言語化されていた。

しかし、なぜ伝統的な社会でいわれる「家」の実質がなくなってきてしまったのだろう。そこには社会の在り方が変わったことが要因の一つだと思う。
※ここでいう社会とは仲間意識をもった集団とする。(学校、家族、会社、国など)

社会とは、ある共通項によってくくられ、ほかから区別される人の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。(Wikipediaより)

今の世の中はインターネットによって仲間を日本全国、世界中で見つけることができるようになった。さらに、ネット上で仲間を見つけることも可能になったし、そこからオフラインで実際に会い、仲を深めることもできるようになった。

つまり、伝統的な親族集団、「家族」という形に以前よりもこだわらない人が増えたのは、家族以外でも簡単に仲間をつくることができるようになったからだと思う。
しかし、コロナウイルスの影響により、家にいることが時間が長くなった。そうなってくると「家」というものに以前のような親族集団のような関係性を求める人が増えたのではないだろうか。(僕もそんな一人で今、人生で一番パートナーが欲しい(笑))

最近は「家」に限らず、様々なものの在り方について改めて考えさせられるなーと感じます。


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