干し網と社会的居場所と「やってる感」

以前noteで書いたのですが、梅雨の時期になると梅仕事でしっちゃかめっちゃかになります。

「梅」とか「杏」という存在が大好きなので大分記事中のテンションが高い。
そして「土用干し」という名目で干し網を手に入れてしまったものだから、この夏はフル回転しています。
主にドライマンゴー……元々生の果物を量食べるのが苦手なので、冷凍の角切りマンゴーを干し網に広げて夏ならではの日差しに任せたらカラッカラになっているという寸法です。いや流石に一日でそこまでにはならない、でも二日ぐらいで噛みしめると甘み爆発ドライマンゴーができる。

おいしいよ


少なくとも市販品よりカロリーは低いので、お茶を飲みながら摘まんでいます。食べ過ぎ注意だ。

とはいえ、ここまでしっちゃかめっちゃかになるのは無職になってるからで
す。1日8時間拘束の通勤時間も合わせると、外に食べ物を干して一日放置というのはなかなか勇気が要りますからね。

つまり意図的にしっちゃかめっちゃかになりに行ってるんですよね。

だから。

この暇を「今日も一日なにもしなかったなあ」という思考に囚われないために、せっせと食べ物を干して世話をしている気がする。
それ自体は好きにすればいい事なのですが、無職なので貯蓄は減る一方なのである。
映画見に行くのを我慢してそこまで急ぎではない食材で映画代以上のお金を使うの、使いどころがおかしいのではという気もする。

また、代替行動かつ就職に役立ちそうな事ならいくらでもありそうなものなのに、どうして食材ばかりに気を取られてしまうのだろうか。

あとは料理動画を見たりレシピ本を読む機会が増えた。
食材のストックがそれなりにある状態で追加購入することもよくある。
おそらく「わかりやすい成果」が「目の前」にあり、その成果が「実在」しているという点に安心しているのだろうし、巣穴に木の実をつめこむ動物とあまり心理は変わらない気がする。

前年がガチで無収入だったので市からすら「市民税は……いいよ!」と言われており、それ自体はありがたいのですが「所属」からぽっかり浮いた気分にもなってしまいますね。

まあ個人的には所属については最低限でよく、金と暇が欲しいのですが……。

今年の春ごろから、とても大きな虚無主義が頭上を覆っているような気持ちがしていて、それでも足掻くように職業支援サービスに相談したら診断書が必要で、メンタルに行ったら「今のあなたは大分マトモに思えるから診断書は出せないね」と言われなんかもう。じゃあどうすりゃいいんだよっていうのは思いますね。

環境が大事とは言われるけど、自分が羽根を広げられる環境にどうやって辿り着けばいいのかなーんもわかんねえよ!なっ魚氷ちゃん!

(ワンクッション置くつもりでニコ百を張ったらお絵描きコが出てきたので逃げようがなかった)(これが現実だ)

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